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本編
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しおりを挟む宿に着き、騎士団員の一人に犬を運んで貰ったのだが、
その時、思い掛けず声を掛けられた。
「ティア、僕を覚えている?」
ベールを少し捲り、見ると、確かに何処か見覚えのある顔に思えた。
二十代の青年だ。
心当たりを探していると、先に相手が名乗った。
「ロバートの友人のジェイソンだよ」
わたしは「ああ!」と、それを思い出した。
「近所の、ロバート兄様のお友達ね!」
近所の子供で、ロバートと年が同じで仲が良かった。
わたしとは4歳離れているので、二十七歳の筈だ。
「思い出してくれたかい?それにしても、見違えたよ!
最後に会った時、君は13歳だったかな?」
「ええ、ロバート兄様と一緒の騎士学校に入られたと聞きましたが…」
「よく覚えているね!騎士学校を卒業した後は、隊も違ったし、
お互い忙しくて、交遊も途絶えたけどね」
王宮の騎士団は、グリフォン騎士団、ドラゴン騎士団、フェニックス騎士団と三つあり、
それぞれ十二隊から構成されているので、団が違うと顔を合わせる事も無くなる。
「立派になられたのですね」
「君こそ、驚いたよ!
あの小さなティアが、大聖女になって、レオナルド殿下と結婚するなんてさ!」
わたしは久しぶりに昔馴染みに会い、会話が出来た事で気が緩んでいた。
後々、侍女たちの会話を聞き、良く無い事をしたと気付かされた。
「彼女、騎士団員に声を掛けていたわ!」
「男好きなのよ!」
「犬を拾いに行った時、ベールを被らなかったのは、わざとね!」
「レオナルド殿下はご存じなのかしら?」
レオナルド殿下は気にしないかもしれないが、醜聞を招く行動をしてしまった。
王家の名に傷を付けた場合、離縁をされる事もあると、注意を受けていた。
誤解を招く行動は慎まなければ…
犬は宿で一晩過ごした事で、怪我は治ってはいないものの、落ち着いたのか、
元気を取り戻し、食欲も出てきた。
パンを食べ、水を飲み、頭を起こして短い尻尾を振った。
「いい子ね、沢山食べてね、力が付いて怪我も治るわ」
「オン!」
体はスマートで、短い茶色の毛に覆われている、腹の部分は白い。
大きな耳は垂れ下がり、鼻は黒く、目はチョコレート色。
猟犬だろうか?俊敏そうで賢そうだ。
「あなたの名は、バディよ、レオナルド殿下を助けて差し上げてね」
「オン!」
わたしは犬の頭を撫でてやった。
「すっかり懐いたみたいだね、君は昔から動物が好きだったね、ティア」
ジェイソンに声を掛けられ、わたしは戸惑った。
無視するのも悪いが、やはり立場を弁えなくてはいけない。
「ジェイソン、ごめんなさい、あまり話せないの…」
「気にする事は無いよ、昔馴染みだし、言いたい奴には言わせておけばいいさ!」
「ごめんなさい、そういう訳にはいかないわ…」
「まぁ、いいよ、君を元気付けたかっただけだから、迷惑だったらごめんよ」
「あなたの気持ちはとってもうれしいわ、ありがとう、ジェイソン」
「いいよ、けど、僕の事忘れないで欲しいな、君は僕の初恋の人だから」
初恋!?
思わぬ事を言われ、わたしはポカンとしていた。
「冗談なんかじゃないよ、ティア」
ジェイソンが微笑む。
バディが「オンオン!」と吠えたので、わたしは我に返った。
だが、どう返して良いのか分からなかった。
こんな事を言われたのは初めてだったから…
「あの…ごめんなさい」
「ただ、覚えておいて欲しいだけだよ、余計な事を言ってごめんね、ティア」
ジェイソンはバディを抱えあげ、馬車に運んでくれた。
初恋の人と言われ、うれしい気持ちはあったが、結婚している身では、
喜んではいけないだろう。
案の定、侍女たちが勝手な噂話を咲かせていた。
「あの二人、怪しいわよね?」
「旅に退屈してるのよ!摘まみ食いでしょう!」
「それにしても、不貞を働くなんて!最低な女ね!」
「あたし、レオナルド殿下に申し上げるわ!」
レオナルド殿下に知られては、わたしだけでなく、ジェイソンの立場も悪くなるだろう。
わたしは気を付けなくては…と、身を引き締めた。
その後、ジェイソンとは顔を合わせる事は無く、二日後、オウルベイへ着いた。
◇
オウルベイは辺境の地にあり、山脈を背に開かれた土地だった。
家々が密集した町を抜けると、麦畑や酪農用の土地が広がり、
丘を上った所に、木々に囲まれ、古びた小さな城が建っていた。
「妃殿下、城へ到着致しました」
馬車が停まり、声を掛けられたわたしは、ベールを被り馬車を降りた。
バディはまだ足を引き摺っていたので、警備の者に運んで貰った。
城から現れたのは、老執事でわたしを中に促した。
「セレスティア様、遠い所、ご無事だったでしょうか」
「はい、殿下のご配慮のお陰で良い旅が出来ました」
「お疲れでしょう、どうぞ、こちらへ」
城付きの警備は三人居て、荷を運ぶのを手伝っていた。
馬車は荷を下ろすと直ぐに立ち去った。
わたしは城に入り、ベールを取った。
パーラーへ案内され、お茶を勧められたが、やんわりと断った。
「先に、レオナルド殿下にご挨拶をしたいのですが」
「はい、こちらへ」
目が見えないながらも、レオナルド殿下の部屋は二階にあった。
中央の階段を境に、右側が殿下の部屋、左側がわたしの部屋になっていた。
三階建てだが、三階は誰も使っておらず、使用人たちの部屋は母屋とは別で離れにあった。
執事が大きな扉を叩く。
「レオナルド様、セレスティア様が御着きになられました、ご挨拶にいらしております」
「入れ」
返事があり、執事が扉を開けてくれた。
わたしは「ありがとうございます」と礼を言い、中に入った。
部屋は広いが、ソファとテーブルしか置かれていない。
窓は全てカーテンが閉じられていた。
レオナルド殿下は仮面を着け、長ソファの中央に座っていて、
わたしは顔合わせの時を思い出し、顔が熱くなった。
殿下の目が見えなくて助かった。
わたしは近くへ行き、カーテシーをした。
「レオナルド殿下、只今到着致しました」
「目が見えぬ事は分かっているだろう、カーテシーなど不要だ」
「申し訳ございません」
目が見えないというのに、殿下は察しが良い。
わたしは畏まり頭を下げた。
「王子と結婚し、贅沢な暮らしがしたかったのであれば、残念だったな、
ここでの暮らしは、侘しく質素だぞ」
殿下の口元が皮肉な笑みを見せる。
「嫌ならいつでも言え、離縁して帰してやる」
「いえ、わたしは神殿で暮らして来ましたので、静かな場所は落ち着きます」
「フン、元大聖女だったな、だが、聖女といえ女だ、欲が無い訳ではあるまい?」
欲!?
わたしの頭に浮かんだのは、夫婦の営みで、わたしは答えに窮した。
だが、違う意味だった様だ。
「ここではパーティなどしない、派手なドレスや宝飾品も買う気は無い、
食事も町で仕入れられる物しか口にしない」
そんな事を宣言され、わたしは安堵した。
「はい、承知致しました」
尤も、レオナルド殿下の方は不機嫌そうに口を曲げた。
「全く、元聖女というのは厄介だな、まぁ、来てしまったのなら仕方が無い、
好きに暮らせ、但し、面倒は掛けるな、それと、俺に干渉はするな。
おまえとは顔を合わせる気もない。
それから、夫としての責任を果たす気は無いと言っておく。
不満があれば、いつでも言え、結婚を解消して家に帰してやる。
その後の暮らしも保証しよう」
レオナルド殿下が、わたしと結婚を解消したがっているのは分かった。
殿下は結婚する必要があった様に思えたが、それはもう済んだのだろうか?
わたしは用済みになったのかもしれない。
それとも、やはり、わたしは気に入って貰えなかったのだろうか…
「ここに置いて下さる、お許しを下さり、ありがとうございます」
「おまえに家は無いのか?帰る場所は無いというのか?」
「いえ、家は王都です、母と兄二人が居ます」
「それなら、帰れば良かろう、縁談が無いなら見つけてやる」
縁談!?
わたしの内に、強い嫌悪感が沸き上がった。
他の者との結婚など、考えられない___!
「わたしはレオナルド殿下に忠誠を誓いました。
殿下にお仕えする事がわたしの喜びです。
どうぞ、わたしの事は下女や奴隷だと思い、好きにご命令下さい」
わたしは深々と頭を下げた。
殿下は少しの間無言でいたが、やがて呆れた様に息を吐いた。
「俺などに忠誠を誓ってどうなるというのだ?
視力を失っただけでなく、仮面を着けていなければ、周囲は正気を失う。
俺は騎士団を辞さねばならず、王子としての仕事にも就けない。
ただ、生きているだけの役立たずだ、
ここを立ち去り、女としての喜びに生きろ、元大聖女」
「どうか、お願いでございます、レオナルド殿下!
わたしを御側に置いて下さい!
殿下を疎わせる事は致しません、ただ、お仕えしたいのです!」
「そこまで言う理由は分からんが…
世話をしたいというのであれば、使用人たちも助かるだろう、暫く置いてやる」
許しを得て、わたしは安堵した。
「ありがとうございます!レオナルド殿下!」
「部屋へ行き、今日は休め」
「はい、失礼致します」
わたしは頭を下げ、部屋を出た。
用意された部屋に向かうと、扉の前で若いメイドが一人立っていた。
「セレスティア様のお世話をさせて頂きます、アンです」
「よろしくね、アン、この町の方?何歳?」
「はい、十六歳になります、学校を出たばかりです」
「着替えを手伝って貰えるかしら?」
「はい」
アンを連れて部屋に入ると、バディが起き上がり、足を引き摺りながら迎えてくれた。
「バディ!無理しなくていいのよ、早く怪我を治さなきゃ」
「オン!」
バディは安心したのか、その場に伏せた。
「犬を飼われているんですね!可愛い!」
アンが少女らしい声を上げ、バディはそれにまんざらでもない顔をし、
短い尻尾を振った。
「怪我をしているの?」
「ここに来る途中に、馬車で轢いてしまったの」
「可哀想!でも、優しいご主人様に拾われて良かったわね!バディ」
クローゼットの中には、王都から送ってくれたのだろう、服がずらりと揃えられていた。
どれも上等な布で作られた、上品なドレスばかりだ。
わたしには過分だったが、妃殿下らしい装いをと言われているので、受け入れるしかない。
アンに手伝って貰い、着替えを済ませた。
アンは髪を梳かしてくれ、器用に結ってくれた。
「上手なのね、アン」
「ありがとうございます!他にご用はありませんか?」
「バディに何か食べさせてあげたいの、調理場に案内してくれる?」
「それなら、あたしがお持ちします!」
「ありがとう、アン、でも、わたしは動くのが好きだから、自分の事はなるべく自分でするわね」
「セレスティア様って、変わっていらっしゃいますね!皆、もっと威張っているものですよ!」
「わたしは貴族でも無いし、元聖女だから、威張るなんて逆に恐ろしいわ」
「元聖女様…納得です!それでは、ご案内しますね!」
何が『納得』なのかは分からなかったが、アンは好意的だったので、
聞くのは止めておいた。
応援ありがとうございます!
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