闇に堕つとも君を愛す

咲屋安希

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第一章  攻防

攻防(2)

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 また小さな悲鳴が上がる。この魔物は他の次元じげんに身をかくしつつ攻撃してくるので、ほとんど気配が読み取れない。
 
 もちろん姿もえず、我が子のような年齢の仲間が連れ去られていくのを、大人たちはどうすることもできずにいた。

「ちくしょうっ……!」

 魔物たちの攻勢こうせいも激しく、別次元にひそむ魔物を見極める余力が取れない。

 ひかるも魔物・御乙神みこがみ織哉おりやの相手が精一杯で、他の術師の加勢かせいがなければ対処がきびしい数だった。

 劣勢れっせい、の文字が術師たちの脳裏のうりに浮かぶ。

 
 その時、屋敷の中から妃杉きすぎ家当主・妃杉きすぎ孝晴たかはるが走り出てきた。

 手には七尺ななしゃく五寸ごすんの、使い込まれた和弓わきゅうが握られている。それは男性としては小柄な妃杉には長すぎる弓だった。

 仲間が防衛線を張っているその場所から少し後方で、妃杉は弓をかまえた。

 右肩には戦場には似合わない、黄緑きみどりの羽根のメジロが乗っている。

『あなた、見つけました。三つ下方の次元、四時の方向に魔物はひそんでいます』

 メジロのくちばしから女性の声が聞こえる。メジロは式神だった。その声にしたがって、妃杉は黒漆くろうるし塗りの弓に矢をつがえる。

 その矢も弓も、長い時間をかけて神格の加護を受けた呪具だった。そして矢には一本の細い絹糸が結わえられている。

『魔物が動き始めました。あなた、あなたに向かって、動いて……!』

 逃げて!と叫ぶ妻の式神を肩に乗せたまま、妃杉は弓を引く。見るからに弓力きゅうりょくの高い弓を、妃杉は美しい姿勢で七〇センチを超えて見事に引き、狙いを定める。

『あなたに向かって、もうそこまで来ています!早く逃げて!』

 妃杉家に代々伝わる退魔の呪具、翔破弓しょうはきゅうを強くしならせながら妃杉は叫んだ。

「我が弓よ、この矢を魔物の元へと届けてくれ――!」

 大きな音を立てて矢は打ち出される。暗闇にきらりと絹糸を光らせながら、矢は姿を消した。

 とたん、音でもない衝撃波でもない、霊能の感覚にだけ届く不気味なゆれを術師たちは感知する。

 そして姿は見えずとも、別次元に潜む魔物の気配があらわとなる。皆、妃杉の放った矢が決定的なダメージを与えたことを確信した。

 足元深くに魔物の気配が暴れる。魔物は動きが取れなくなっているのが良く分かった。

 その様子は例えれば、かかった釣り針から逃れようと暴れている巨大な魚のようだった。

 矢に結わえられた絹糸は、千日もの間祭壇さいだんにささげげられ、神格の加護を厚く受けたものだった。本来は術師たちの正装を織り上げるための絹糸である。


 途中から空に消える絹糸は、見える部分がはげしく振られている。見かけはごく細い絹糸なのに、魔物にとっては鋼鉄のくさりより強固ないましめとなっているのだ。

 屋敷を襲う魔物たちとの乱戦の中、異次元に潜む魔物の気配がこちらの次元へと向かって来る。元を絶たねばいましめは解けぬと判断したのだろう。


 新たな矢をつがえた妃杉が、黒衣の魔物と切り結ぶ若き宗主へと声を張り上げる。

「魔物が来ます!天輪てんりんの一刀を!」

 黒衣の魔物へ、妃杉孝晴は矢を向ける。一瞬、悲し気に顔をゆがめたが、すぐに強く魔物をにらみ付け矢を放つ。

 強弓から放たれた矢は、風切かざきり音を立てて黒衣の肩をつらぬいた。黒衣の魔物は、射貫かれた肩をかばい輝から離れる。

 そのすきに輝は、この次元に向かって来る異次元の魔物の気配をとらえる。

 近づいてきて分かる、その魔物は、長い体を持つ異形の様だった。

 何もない景色から、突然障子でも破るように何者かがおどり出てきた。


 口から血を流し、裸の上半身の右胸を矢に貫かれ、両腕にぐったりと弛緩しかんした少年少女を抱えた赤い目の魔物は、その体は巨大なムカデから生えていた。

 上半身が人間で下半身が大ムカデの魔物だった。全長が五メートルはあろうかという巨体をうねらせ、何百もある昆虫の足をうごめかせ、魔物は見定めた術師たちのかしら、御乙神輝へと襲いかかった。


 激しい雷光がはじけた。見事に落とされた巨大なムカデの頭部は、天輪の雷光に焼きつくされた。

 そしる切り返した一刀で、輝は魔物の左胸を貫いていた。固まった魔物の両腕から、さらわれた少年少女たちがずり落ちた。

 魔物を貫いた天輪が激しく雷を放つ。内側から焼かれた魔物は断末魔の叫びを上げ、人間の部分から崩れていき、跡形もなく消えた。


 妃杉邸を取り囲んでいた魔物の群れも、黒衣の魔物も、いつの間にか消えている。大人達が解放された若者たちを介抱かいほうする横で、弓を下げた妃杉が宗主へと駆け寄る。

「輝様、ありがとうございました。おかげさまで妃杉家は全員生き残ることができました。加勢してくれた術師たちもみな無事で、これも輝様のお力の賜物たまものです」

 深々とした礼から顔を上げた妃杉は、宗主の表情が晴れないことに気が付く。

「輝様?」

 眉根を寄せ、何かを考え込んでいる様子の輝は、ふいに何もない空中に目をやる。

 一拍おくれて、その場所に一体の霊体が出現する。

 それは無残に羽毛がはげたぼろぼろの鳥――誰かの式神だった。

『輝様、助けて……たすけ……』

 気が付いた術師たちが表情を凍らせる中、輝はもう落ちそうな鳥をすくい上げようと走り寄る。

 しかし鳥は輝の手が届く前に激しく燃え上がり、すぐに黒い灰となって跡形も無くなった。

 式神を飛ばした術師が命ついえたことを感じ取り、安堵したばかりの術師たちは恐怖に体をこわばらせる。

「……陽動ようどうだ。陽動を仕掛けられたんだ……」

 何もつかめなかった手を握りしめ、輝は青ざめた顔で呆然とつぶやいた。




 そこはとあるリゾート地へと繋がる山間の道だった。

 外灯もない田舎道に、一台の高級SUVが変形し横転している。黒いアスファルトにガラスの粒が散り、油性の臭いが強く漂っていた。

 魔物の標的となった妃杉家への援護要請を無視し、隠れ家へと向かっていた御乙神分家・佐田家当主の車だった。

 複数の人のうめき声が漏れるSUVを、黒装束の男は赤い目で見降ろす。

 
 車から式神、呪術で造りだした鳥が飛んでいくが、それを魔物・御乙神織哉は止める事は無かった。

 アスファルトを濡らすガソリンが発火した。一瞬後、暗闇の田舎道に、轟音と共にオレンジ色の火柱が上がった。



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