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第一章 攻防
攻防(3)
しおりを挟む宗家屋敷のリネン室には、昔ながらの広い干場がもうけられている。
山盛りの洗濯かごを足元に、初めてはいたジーンズに黄色いエプロンを着けた千早は、シーツを物干し台に掛けようと奮闘している。
日に日に青が濃くなる空に、洗い立ての真白いシーツは良く映えた。三月も間近なこの日は寒さも和らぎ、屋外を吹く風は心地良かった。
あっ、と千早が声を上げる。ようやく物干し台に掛けたシーツは、気が付くと向こう側のすそが地面に着いていた。
あわてて地面に着いてしまったシーツを巻き取ろうとするが、今度は勢いあまって物干しざおが台から外れてしまった。結果、洗い立てのシーツは土の地面に落下してしまう。
がらんがらんと、物干しざおが地面をたたく音を聞きながら千早は固まる。地面に落ちたシーツを呆然と見つめる千早に、リネン室から出てきた三奈が声をかける。
「千早様、大丈夫ですよ。すぐ拾ってはたけばどうってことありませんから」
三奈の声に千早は振り向く。三奈を見る千早は、子供のような泣きそうな顔をしている。
次期宗主の許嫁として御乙神一族きっての術師として、表情を押さえ感情の起伏を悟らせなかった過去の千早とは、まるで別人のようだ。
落ちたシーツをすぐに拾い、物干しざおを台にかけ直し、三奈はさっと付いた土をはたく。
さいわい地面は乾いていて、シーツに着いた土はあっさり落ちてくれた。
てきぱきと自分の失敗の後片付けをしてくれる三奈に、千早は消え入りそうな声で謝る。
「三奈さん、色々、うまくできなくてごめんなさい」
「えぇ?こんなの大したことありませんよ?私なんてしょっちゅう洗濯物落としちゃって。だからそんな顔しないでください」
千早の謝罪に、三奈は明るいおどけた笑顔で返す。家事の達人である三奈にとって、今の言葉が千早を気遣った『ウソも方便』であることは分かっている。
その気遣いをありがたく受け取り、千早は少し無理をして笑顔を作ってみせた。
『あの日』から部屋に引きこもるのをやめ、千早は自分に出来そうな事を探して取り組んでいた。
けれど呪術から離れた千早に出来る事は、三奈に教わりながら簡単な家事を手伝うのが精一杯だった。しかも失敗が多く、結局三奈の手をわずらわせてしまう。
情けない、と自分の現状を思う。呪術以外、何の取り得もなかったのだと思い知らされる毎日である。
二月に入った頃から、魔物の襲撃が増加していた。宗主となった輝は先視で魔物の襲撃を読み、防戦を繰り返している。
けれど御乙神一族の人間が、ひとり、また一人と命を奪われていた。分家の中には、一族外から来た妻を離縁して実家に帰す者、身を守るため家族全員を連れ宗家屋敷の離れに長期滞在する者も出始めた。
けれど先日も裏をかかれて、分家の一つ、佐田家の当主一家が襲われた。四人が命を落とし、総勢約三〇〇人はいた御乙神一族は、今や半数近くまで減っていた。
一族の者たちの、命を狙われる恐怖はたとえようもないものだろう。千早は輝に、戦いへの加勢を申し出たが許されなかった。それどころか宗家屋敷を離れてほしいとまで言われている。
「千早ちゃんは御乙神の血を引いていない。『滅亡の魔物』の標的ではないから、参戦しなければ殺されはしない」と。だから絶対にこの戦いに関わってはいけないと、それだけはきつく言い渡されている。
滅亡の危機にさらされている一族を統率しながら、輝は千早の避難先にと住居まで用意してくれたそうだ。
本当にありがたい申し出だが、千早は長年過ごした御乙神一族、そして輝や三奈たちの事が気がかりで宗家屋敷にとどまっていた。
そして、千早が宗家屋敷にとどまる理由はそれだけではない。
次の洗濯物を手に取りながら、千早は干場から遠目に見える、雑木の陰にかくれた小ぶりな離れを見つめる。
茶室が造り付けられたその離れに、明はここしばらく閉じこもっている。屋敷に人が増えてきたので、魔物の首魁とうり二つの顔を見られないようにしているのだろうが、千早はもう二週間以上明に会っていない。
避けられていると感じる。それは間違いないと、千早には確信があった。
千早が生きる気力を失っていた頃は、離れている時間がほぼないほどそばにいてくれた。
ベッドサイドで髪をなでてくれた。昔お気に入りだった絵本を読んで聞かせてくれた。
夜、自分でも理由が分からず涙が流れる時は、大きな手で優しくぬぐってくれて、何も聞かず手をにぎっていてくれた。
月のきれいな夜は、毛布に包んで抱き上げて、窓辺に連れて行ってくれた。
明のひざの上で、腕の中に抱かれていると、本当に安心できた。自分よりずっと高い体温に包まれていると、現実の苦しさを忘れて、おだやかに眠りにつけた。
安らかに夢うつつとなった千早に、いつくしむ様に額にキスしてくれた。髪に優しく口づけされていたのを覚えている。
しかし一転、飛竜健信を拉致したことが判明したあの日を境に、明は千早から距離を取り始めた。正確には、千早が自分を取り戻してからだ。
きっとあまりにも自分が弱り過ぎていたから、明は放っておけなかったのだろうと千早は思っている。明の気持ちは明にしか分からない。千早には、推測するしかない。
きっと自分は、手のかかる妹くらいに思われているのだろう。子供の頃から一緒にいたから、きっと家族のように思われているのだろうと。
(きっと明には、私は『女』に見えていないんだろうな……)
千早は思い出すだけで顔が熱くなってくるが、明にとってあのキスは、あのいつくしみは、家族に向ける愛情なのだろう。
その事を思うと、石でも飲み込んだように胸が重くなる。しかし今はそんな個人的な事はどうでもいい事だ。
今の宗家屋敷の空気は慌ただしく落ち着かず、どこか息苦しい。表立ってはいないが、沈黙の中、殺気立っている。
明は、隠されていた六振目の神刀・星覇を継承した。
桁外れの力を感じる星覇の使い手となった今の明は、その気になれば、御乙神一族を滅亡に追いやる事も出来るはずなのだ。
輝をふくめ事情を知る者たちは、常に意識を明の居る離れに向けているようだった。うっすらと殺気立った硬い監視の目で、枝影にかくれた茶室を見ている。
空は青く、日々春に向かって色合いを明るくしていく。
けれど御乙神一族の未来は暗澹としていた。
たとえ家族に会えなくてもこの先一人でも、前を向いて生きていくと決めた千早の心も、気を抜くと暗く暗澹とくもりそうだった。
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