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第三章 愛憎
愛憎(4)
しおりを挟む暗色の空間を、うねりながら降りてくる姿がもう一つあった。
このうす暗い世界で美しく黒光りする黒龍と、その背に立つ明だった。
千早が連れ去られようとしている闇の底から、赤い眼が明へ向けられる。
とたん、闇の底から異形の魔物がわくように二人へと向かってきた。
その数は多く、次々と千早の脇を通り輝と明へと向かっていく。
まるで羽虫の大群のようにこちらへと向かってきた魔物たちを前に、明が輝へと大声で怒鳴る。
「お前は千早を助ける事に集中しろ!」
「あのわんさといる、その他大勢をどうするんだ!」
明は両手で星覇の柄をにぎった。鍔が一度、金音を立てる。
「俺が引き受ける」
明をじっと見た輝は、すぐに身をひるがえし千早へと向かっていく。
『主、その刀は危険ぞ』
「やるしかないだろう。悪いがお前もまきぞえになってもらうぞ」
向かい来る魔物の大群を見やりながら、黒龍は自分の背に立つ主人にふくみ笑う。
『我があやしていた幼子が、こんな大口をたたくようになるとはのぅ』
「だまれよ。千早のためにも、足場として何としても踏ん張ってくれ」
輝は襲いくる魔物を粉砕しながら、元は飛竜だった魔物と交戦していた。
御乙神一族を狙う『滅亡の魔物』と縁を結んだらしい飛竜健信は、人間だった頃とはけたちがいの力を得ていた。
神刀の使い手である輝と互角わたり合いながら、千早も締め上げたまま放さない。
けれど天輪の一刀がその体に入った時、はかったように千早の身体から強い神柱が立つ。
千早もただ捕まっていた訳ではない。反撃の時をうかがっていたのだ。
暗色の空間をつらぬいて、普段より細いながらも光の柱は神格の力を千早に届ける。
千早の身体を締め上げていた魔物の一部が、弾け飛んだ。神格の力に炙られ苦しみあえぐ飛竜だった魔物は、鳳凰と共に飛び込んできた輝の雷撃にさらに焼かれる。
空間にひびき渡るような絶叫を上げ、身を焼かれた魔物はその場から逃げ出した。輝は、魔物から解放された千早を落下する前につかまえる。
「逃がすか飛竜っ!」
しかし千早を抱きかかえた輝は逃げる魔物を追う余裕がない。
ここまでか、と魔物の群れにまぎれいく後ろ姿をにらみつけた時。
空間の気配が変わる。無数の魔物たちも、はかったように動きを止める。
黒龍の背の上、星覇を構える明の周囲に、群青の宇宙空間が浮かび上がる。
それは星覇の継承時に現れた、あの小宇宙だった。
満ちる瘴気の毒々しさを駆逐するように、悪でも善でもない、純粋な力がこの空間に急速に満ちてくる。
星が燃え、流星が飛び、破壊と誕生を繰り返す壮大な宇宙空間の力が、明の構えた星覇から流れ出る。
明は、星覇を振り抜いた。明を包む群青の宇宙空間が刀に集約し、瘴気も、魔物も切り裂いて、どこまでも飛んでゆく。
はるか遠く、闇の底で光っていた無数の赤い眼が、わずかに消えた。
群青の光の行方を見た輝の腕の中で、千早も事の成り行きを見ていた。
測ることができぬほど遠い魔物の居場所まで、星覇の威力は届いていた。それは同じ神刀であるはずの、天輪の威
力とは比べ物にならない。例えれば、小銃と大砲ほどの威力の差があった。
星覇を振り抜いた明は、さらに目を閉じ意識を集中している。
すると千早も輝も、なにか強大な気配が、この空間に近づいて来るのを感じた。異形の魔物たちもおびえたように身動きをしない。
目を閉じたまま、明が舞うように星覇を横に薙ぎそして上段に振り上げた。
構えた明は、まぶたを上げる。
明の黒い瞳は、澄んだ青に変わっていた。構えた星覇からも、同じ青の陽炎が立ちのぼり明を包む。
その姿は生来の端正な容姿もあいまって、まさに人間離れしていた。
魔物の大群が、一斉に闇の底へと撤退し始める。
それを追うように、明は星覇を振り下ろす。
白刃の軌跡を追うように、空間を破り、白く燃えた巨大な光が出現した。
反射的に輝は千早を抱き込みかばい、右手一本で天輪をかまえ雷の力で身を守る。
白く燃えた塊は、逃げる魔物の大群を消滅させながら闇の底へと向かっていく。飛竜だった魔物も、逃げきれず燃え尽きた。
遠く、遠く、闇の底に白い光が上がった。そして光が収まると、明らかに赤い光が一部消えていた。
潮が引くように、無数の赤い光は消えていく。じきに、底の見えない闇となった。
千早を抱きかかえ、輝は自分達の生きる次元へと帰ってきた。一拍遅れて、明も次元の狭間から帰還してくる。
降り立った場所は、千早の離れの脱衣所だった。床に千早を降ろすと、明が素早く大判のバスタオルでくるむ。
自分の足で立ってはいるが、千早は一言も発しない。沈黙する千早をはさんで、輝は明を見ていた。まじまじと、見てしまった。
(あれは、流星だ……)
星覇の呼んだ白く燃える塊。天輪の雷も届かない地獄の底へ、一撃を与えていた。
先視で再三視ていた、勝負を決する流星よりは小さい。それでも現実で見ると、のけぞるような威圧があった。
御乙神一族を滅ぼすかもしれないその力に、圧倒されているのは輝だけではなかった。
星覇を振るった張本人、明も動揺しているのが分かった。
バスタオルをかけた千早の肩に両手を置いたまま、心ここにあらずといった様子で、明の視線は空をさまよっていた。その瞳は、元の黒に戻っている。
言葉を失っていた二人を現実に引き戻したのは、千早のすすり泣く声だった。
なんとも悲しみに満ちた泣き声だった。昼間は歓喜の涙を流したばかりだったのに、今は別人のように悲しみにぬれた泣き声を上げている。
どんなに強く決別を決めても、物心ついた時から父親と信じ家族として過ごしてきた相手が、敵意をむき出しにして命を狙ってきた。それがどれだけ千早の心を傷つけたか。
三奈や義人があわただしく駆けつける中、二人はいたたまれない思いで千早に付きそっていた。
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