うちのお母さんは最低だ

ツバサ

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放課後、それは多くの高校生たちが教室という檻から解き放たれる瞬間だ。けれど、私にとってのそれは檻から檻への移動でしかない。
帰宅の足が著しく重いのもそのせいだ。
家に帰るのが憂鬱な高校生なんて、きっと日本中探しても私だけだ。
そんなに家に帰りたくないなら、部活に勤しんだり道草でも食ったりすればいいと思うかもしれない。でも、そういう問題じゃないのだ。だって、門限通りに帰らないとお母さんが怒るから。
私の門限は十七時に設定されている。
私の通学時間は大体一時間くらいで、ホームルームが終わるのが十五時半から十六時くらい。何かをする余裕なんて無いにも等しい。
電車の揺れる音が、死神の鳴き声にさえ聞こえてくる。
電車の中はガラガラで、席はどこも選び放題。
だけど、私はあえて立っていた。
座ってしまうと、睡魔に抗えなくなってしまうから。高校を入学したばかりの頃に一度、やらかしたことがある。その日はとても疲れていて、案の定眠ってしまって、目を覚ましたら終電だったのだ。
その後、胃を痛めながら家に帰った私は、お母さんな理由を説明したけど、全然納得してくれなくて。
そのまま翌朝までこっぴどく叱られて酷い罰を受けたものだ。あのときの罰は何だっけ。そうだ、夜ご飯抜きだ。
まあ、その日は学校に行く途中のコンビニでおにぎりを買って食べたから、空腹は問題なかったんだけど。それより、一睡もしてない身体で学校に行かされたのが辛かったな。
もうあんな惨劇はゴメンだ。
とはいえ、こうして立っていても連日の寝不足に抗うのは難しい。変わらない景色を見つめていると、自然と全身の力が抜けて、まぶたが下りてきてしまう。
このままではまずいと思った私は、通学用のなんの飾り気もないカバンから、ガムの入ったボトルを取り出した。
これは私の秘密兵器。メンソールガム・スーパーハードタイプだ。
その辛さは口に入れてしまえば、しばらく味覚もなくなるほどに強烈だ。
そんな劇薬を、私は掴めるだけつかんで一気に口に放り込む。
口いっぱいのガムを噛み締めれば、ハッカにワサビをかけたようなとてつもない辛味が舌を痺れさせる。自分の舌が自分のものではなくなる。その感覚が心地よかった。
そのまま私の意識も無くなって、この身体が自分のものじゃなくなってしまえばいいのに。
手すりにもたれかかったまま、流れゆく外の景色を見つめてそんなことを思う。
その時、ポケットが震えた。
一瞬、お母さんからの連絡かと思って心臓が跳ねた。でも、すぐに違うとわかって安心した。
お母さんから連絡の来る可能性があるケータイは、左のポケットに入っている。
けれど、震えたのは右のスマホだ。
強張った肩の力を抜いて、早速右ポケットからスマホを取り出して、内容を確認する。
『ヤミーさん。そろそろ学校終わった?』
来ていたのはフィックスのメッセージだった。
送り主の名前はキタノサンマリア。
ある競走馬から引用したハンドルネームは、本名をもじったものらしい。ちなみに本名は北野というそうだ。それを聞いた時はあまりにも直球すぎて吹き出してしまったっけ。
それと、ヤミーは私のもう一つの名前だ。こちらも北野さんほど単純じゃないけど、名字をもじったものだ。
そんなヤミーこと私と北野さんはネットで知り合った仲だ。だから、私は北野さんの顔を知らない。でも、頻繁にメッセージをやりとりしている。いわゆるネッ友というやつだ。
『はい。終わりました。今は電車に乗ってます。結構暇です』
眠気覚ましにちょうどいい。
そんなことを思いながら返信する。
『そう? ならちょうどよかった。この前話してた衣装、スケッチしてみたから感想聞かせてくれる?』
返事はノータイムで来た。
メッセージと共に添付されたPDFファイル。
私は迷わず開く。
すると、鉛筆で描いたらしい絵が画面に映る。スカートに三層くらいのフリルのついているゴシック系の服の絵だ。それが正面と側面、背面まで丁寧に描写されている。
鉛筆で描かれてるから白黒だけど、重厚感がよく伝わってくる。そんな絵だった。
『すごくいいと思います。この一番下のフリルについてるキラキラしたものって、ラメですか?』
数秒ほど絵を見つめると、私はファイルを閉じて意見を送った。
『ううん、違うよ。それは宝石』
「宝石?」
北野さんが送ってきた言葉に目を疑う。
宝石というと小さいものでも千円を超えるイメージだ。
イラストではそれがたくさん使われている。そんな服を作るとしたら、一体総額いくらになるんだろう。
『宝石をこんなに使うんですか? 私、そんなにお金無いんですけど』
『大丈夫、その宝石一個十円とかで作れるから』
『え! そうなんですか?』
『うん。こんな感じでできるよ』
宝石の単価、安すぎやしないだろうか。
そう思ったけど、直後に送られたリンクを見たら納得した。
軽く流し見しただけど、なんと、おはじきを水で薄めたアクリル絵の具に浸せば、立派な宝石っぽい小物ができるそうだ。
絵の具なら美術の授業で使うものがあるし、確かにこれなら一個十円とかでもできるだろう。
『どう? どうしても嫌なら考え直すけど』
『いえ、大丈夫です。むしろ、こんな資料まで調べてくれて、ありがとうございます。次の衣装はそんな感じで作ってみようと思います』
『了解。もうちょっと具体的な製図と型紙が出来たらまた送るね。多分、三、四日くらいで出来ると思う』
『分かりました。いつもありがとうございます。楽しみにしてます』
『ううん、好きでやってることだから。こっちこそ、ヤミーさんがこの衣装を着てるとこ、楽しみにしてるから』
『はい。完成したらいつも通り自撮り送りますね』
会話が一段落したところで、ちょうど電車が目的の駅に着く。
『すみません。電車が来たので、ちょっとロムります』
『了解。気をつけて帰ってね』
そんなやりとりを最後に会話を切り上げると、私は胸を弾ませながら改札をくぐった。
駅を出てからの足取りは軽い。
脳裏に思い浮かべるのは、さっき北野さんが送ってくれた衣装の完成形だ。
あれを纏った自分の姿を妄想したら、自然と笑みが溢れる。
コスプレ。
それは『私』の唯一の趣味で、『わたし』の生きがいだった。
私生活では着れないような華やかな衣装に袖を通して、お化粧を施せば私の面影は消える。
さらに自撮りを加工して、SNSにアップすれば可愛いと褒めてくれる人がいる。
その世界に速水雫はいない。
インターネットの世界であれば、私はコスプレイヤーのヤミーとして、自由に羽ばたくことが出来るのだ。
北野さんはそんな私をサポートしてくれる。いや、サポートというよりほとんど作ってくれてるようなものだ。
なぜなら北野さんが担当してくれるのは私の衣装のデザインと、型紙という服の設計図のようなものを作るところまで。それらはあくまで裁縫に入るまでの事前準備だけど、最も手間のかかる工程だ。デザイナーやパタンナーとか、それらの提供でお金を稼ぐ職業も存在するくらいだ。だけど北野さんに金銭を請求されたことはない。代わりに服を着た具体的な感想とSNSに載せない自撮りを求められるけど、代価としては安すぎる。
一度、そんな北野さんにちゃんとした報酬金を提示したことがある。ところが、それは手拍子で断られてしまった。北野さん曰く、私の感想と自撮りにはお金に換えられない価値があるらしい。
北野さんが嘘を言っていないのはわかる。だけど、私は思うのだ。その言葉に甘んじてしまっていいのかと。
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