お伽話 

六笠 嵩也

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第二章

2-8

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音の無い朝に目覚めると、目尻に僅かな湿り気を覚えた。
佐吉は自分の肩を抱いて起き上がると朝日の差し込み始めた格子窓に目をやる。体温が床板に吸い込まれて行ってしまったかのように下がっていた。朝夕はもう何も掛けずに眠るには寒いかも知れない。

「…すず…独り寝は寒くなかろうか…」

もうしばらくすると山に住む鳥たちがさえずり始め、家々の戸が開くだろう。
何も無かったように小屋を出て、何も無かったように今日を生きなければならない。それなのに、胸の中に大きな空洞があって、息を吸い込んでもそこから全て抜けて行ってしまうように気力が湧いて来ない。佐吉は仕方なく壁に凭れてぼんやりとしていた。

程なくして母屋の戸が開く気配がする。人目に付く前に喜一郎が屋敷へと帰るのだろうか。入れ替わりに母屋に戻る頃合なのかも知れない。そう思いもしたが、佐吉はやはり動く気になれず、鳥が鳴き出すまで何も考えないで居ようと思っていた。

しかし、思いもよらず戸口の向こうから声が掛かる。

「佐吉兄ぃ、居るんだろ?開けても良いか。」

「うぅん…居ないよ。俺は居ないんじゃないかな。」

「そか、佐吉兄ぃは居ねぇか。じゃぁ、ネズミにでも言伝をたのむしかねぇな!俺は一度帰る。何かあったら知らせるから普通にしてろって…伝えてくれ。」

それだけ伝えると喜一郎の足音はすぐさま遠くへ去って行った。

「普通かぁ…。どんな顔してたってけ、俺。」

佐吉は立ち上がり表へ出ると清水で顔を洗った。泣かないと誓った手前、本当に泣いた覚えなど無いのだが、どうやら悪い夢にうなされでもしたらしい。今朝はどう割り引いても普通の顔ではないだろう。誰かに会う前に腫れぼったくなった目元を少し冷やした方が良いかもしれない。

自分自身にうんざりしながら佐吉は母屋の戸を少しだけ開けて、寝ぼけ眼の親父に朝の挨拶だけはした。そして笠を目深に被り直して裏手の畑へと出る。その直ぐ後に親父が家から出てきたが、特に話をするでもなく、ごく普通に畑仕事をこなしてゆく。二人ともそのまま昼近くまで黙々ときびの為に雀と戦いながら作業をした。

少し離れていた所で、たわわに実った雑穀の類を虎視眈々と狙っていた雀の一群が一斉に飛び立った。羽音に驚いて見遣ると、喜一郎が家の前の道を川下の方へと急ぎ行くのが目に入った。何をそんなに急いでいるのだろうか。佐吉は作業の手を止めて喜一郎の後を追いかけた。

「お~い、喜一郎、どうした?そんなに急いで。
 まぁ、とりあえず笠と手拭い返せぇ。」

「おお、忘れてた。すまねぇ。」

喜一郎が笠と手拭いを返しながら早口気味に事情を説明した。

「佐吉兄ぃ、説明すると長くなるが今夜から夜祭だ。日が暮れてから松明たいまつ掲げて一刻ばかり、囃子に合わせた踊りを催すことになった。で、今から薪と田楽の用意をしなけりゃならねぇ。」

「はぁ?随分と急な話だな。」

「本来ならば刈り入れの後に祭りをするのだが、今回はまだ全然稲刈りが始まってもいねぇ。だから順番が逆になる。それを上手く誤魔化すために趣向を大きく変えたという事にするらしい。んまぁ、どうにもならないから苦肉の策だ。」

「ほう…嘉平さま、そう来たか。で、夜までに準備するとなると手がたりないんじゃないか?」

喜一郎がニヤリと口角をあげた。

「はい、はい。親父に断りを入れてくるから待ってろや。」

屋敷の前の道を川下へと下って行くと、隣村との境近くに古くからの小さな御社おやしろがある。誰が手入れをすると決まりは無かったが、村人皆によって管理され、いつも掃き清められいた。深い緑の鎮守の杜の中にある広々とした境内を幾人かの子供が走り抜けて行く。子供達にとっては恰好の遊び場だ。

昼を過ぎてから急に夜祭の準備をする羽目になった二人はざっと算段して準備に取り掛かった。
佐吉と喜一郎は御社の裏手へ回り、冬に向けて少しずつ集めて乾かしておいた薪を、境内の中央に井桁の形に積み上げた。二人を見て不思議に思った村人が度々やって来ては事情を尋ねる。喜一郎は嘉平から言われた通りに、女子供には今年から祭りが夜祭になったと、男衆には十五年振りに菩薩像の御開帳があると説明した。

全て積み上げてはみたものの、祭りは三日ほどを予定している為、御社の後ろの薪では足りそうに無い。他から調達すべく二人は川上方へと向かった。

「佐吉兄ぃ、もちろん御開帳には行かないだろ?」

「ハァ…それ、俺に訊くか?俺は笛でも吹こうかと思ってる。お前も何かやれよ。」

「だよな。親父様も行かねぇだろうから三人で笛だの太鼓だのやってやろうか。俺、実は破談になっただんだぜ。だからよ、今年の祭りで誰か可愛い娘と知り合いになれるように頑張って良いところを見せてやろうと思ってな!」

「喜一郎、おまえ…いつ?…あぁ…もしかして、あの時…。…すげぇ立ち直り早いな。」

「兄ぃ、褒めすぎだぁ~。後悔なんてしてたら、あっという間に一生が終わっちまうよ。次を探せば良いだけだ。駄目なら駄目で、独りで生きてゆくしかないしな。」

「…喜一郎、お前が友で良かった。」

「はははっ、そか?俺は佐吉兄ぃを見てて、諦めって言うか…なんか、悟った。」

「なんじゃ、そりゃ?」

日が暮れる前に全てを用立てなければいけないと言うのに、二人は楽しげに話をしながら歩みを進めていた。取り合えず急場を凌ぐために、佐吉の家の薪を借り受けよう。二人は親父に事情とこれからの成り行きを詳しく説明し、借り受けた薪を抱えて川下へ向かう道へと戻った。

道を行きながら佐吉は背中に視線を感じた。ふと振り返ると、一見旅人の様な身形の見知らぬ娘が一人、じっと二人を見詰めながら後ろを付いて来た。

「なぁ、喜一郎、あれ、あの娘っこ…俺のこと見てるぜ!」

「はぁ?佐吉兄ぃ、浮かれ調子でそんな事を言って良いのか?俺は容赦なく鈴虫に告げ口するからな。」

「ば、ばか!駄目だろ。すっ、すっ、駄目だ!他人に聞かれるだろがッ!」

「どぉれ、どの娘だぁ…?」

振り返った喜一郎の視線の先には、手甲と脚絆をつけ、風呂敷一包みを持った小柄でふっくらとした娘が立っていた。

「うっ!わぁ…」

喜一郎が慌てて佐吉の後ろに身を隠した。佐吉は訳が分らずに怪訝そうな顔をしている。

「あ、なんだ、俺じゃなくて喜一郎のこと見てるのか?……だよな。」

その娘は軽く会釈をするとツカツカと足早に二人に歩み寄って自ら名乗った。

「喜一郎さん、八重やえです。…忘れた…なんてこと、ありませんよね?今日は父の言い付けで参りました。お屋敷でお妙様のお手伝いをするようにとの事でございます。」

「忘れたなんて!あるわけ…ない…だろ……」

お八重と名乗るこの女、容姿から判断するに、どうやら喜一郎との婚約を破談にした者のようである。喜一郎は佐吉の後ろから出ることもせず、言葉の語尾もまるで消え入るように弱々しいもので、ほとんど聞き取れないほどだ。佐吉は気まずい二人に挟まれて、とりあえず壁に成り切るしかなかった。

「喜一郎さん、あなたはこの非常時に何をしていらっしゃるのかしら?お屋敷で嘉平様とお妙様のお手伝いをなさらなくて良いの?こういう時は経験を積むと言う心構えで事に臨まなければならないと想うのですが、いかがお考えでしょうか?」

佐吉はとてもまずい場面に出くわしてしまったようだ。

「あぁ…あのぉ…な、俺達は女子供を村の反対側に引き付けて置くという役目を仰せ遣ってだな。こうして薪だの用意してるんだわ。まぁ、手分けして別行動とってるって事だ。なぁ、兄ぃ。」

佐吉は話を振らないでくれと心の中で祈りながら出来るだけ気配を消していたのに、急に話しかけられ焦って言葉が出て来ない。とりあえず目を合わせないままでコクコクと何度も頷いて見せた。

「左様でしたか、お邪魔しまして申し訳ありませんでした。」

「あっ、あのさ、も、もし良ければ…えっと、俺が家まで送って行こうか?丁度、通り道だしな。な、佐吉兄ぃ!」

「はぁ?嘘付け。反対側だろ。」

佐吉がポツリと小さな声で呟くと、喜一郎が顔を赤くして焦りだした。

「しッ、しッ!!!言うな、兄ぃ!」

「まぁ!嬉しい。喜一郎様、ありがとうございます。」

お八重はにっこり笑って御礼を言った。

「あっ!おまっ、おまえ、おい!喜一郎、おまっ、こっ、この薪を全部俺に持たせるつもりかっ!」

丁度通り道、という部分に大きな疑問符を付けて、佐吉は声を大にして抗議してやろうと思った。しかし、案外間の悪い喜一郎が、今回は運よく元許嫁と二人で話をする時間が持てたのだ。この機会を生かす事が出来れば、婚約破棄を解消出来るかも知れない。喜一郎にとって、ここは正念場。佐吉は諦めて喜一郎の背中を押してやるのが良いのだろう。

喜一郎は佐吉にお八重を家まで送り届けたら、直ぐに戻ると約束してその場を離れ、連れ立って屋敷に向かったた。

「ちゃぁんと、心を入れ替えましたって、あと、貴女を大事にしますって伝えろよー。」

喜一郎に佐吉の声は届いたかどうかは定かでない。ちゃっかりとお八重の風呂敷包みを持ってやり、優しげに歩調を合わせて去ってゆく背中を見送ると、佐吉は手に持てるだけの薪を抱えて村の外れの鎮守の杜へと歩いて行った。
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