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第二章
2-9
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喜一郎とお八重はまだ幼い頃に親同士が決めた間柄であった。その為、今までに顔を合わせたのも数回程度である。まともに二人っきりで話をする機会などありはしなかった。だから今が親兄弟の柵無くお互いの本音を聞きだす好機なのである。道々話をしていけば、自ずとお互いの本音が見えてくるだろう。
喜一郎はこれが申し開きをする最後の機会と意を決し、鈴虫に暴行を加えた経緯は、お八重という許嫁が居ながら別の誰かと性交渉する事への嫌悪に因るもので、その時は衝動的であり、今は反省していると話して聞かせた。
「ふふふっ 私に義理立てしたと言うのですか。それは、嬉しいような…そうでも無いような、複雑な気持ちになりますね。私はこれを家業だと思って育っておりますから、実の所、全く気にしておりません。だってそうでしょう?相手は男ですよ?自分と同じ女同士で天秤に掛けられたと言うならば腹も立ちますが全然別の話じゃないですか。あれは躾けと呼ばれる行為です。あくまでも躾けなのです。」
「お八重さんは随分と物分りが良いというか、割り切っていらっしゃるのですね。俺は…うぅん…他のことならまだしも、それだけは許せなかったんですよね。それと…親との関わり方って難しくないですか?強制されると白けるって言うか、余計に厭になってくる時もあるでしょう!?」
「まぁ、私にもそう感じる時はありますね。今日、ここに来たのも強制なんですよ。なんでも、鈴虫様…いえ、今は現身様とお呼びした方が良いかしら?その方は体があまり丈夫では無いので心配だとか。私が喜一郎さんと久々にお会いすることには何の配慮もありはしませんでしたから。」
久々に言葉を交わしたお八重は、年下であるのにも拘らず随分としっかり者だと思えた。こういった素質のある女性が村を取り纏める家柄には必要だと嘉平が判断して選んだのだ。だからこそ破談を言い渡された時の嘉平の落胆振りは計り知れないものだったろう。
そうこうするうちに二人は屋敷に着き、土間に入って廊下の奥に向かって声を掛けるとお妙が顔を出した。
「まぁ、まぁ!お八重さんじゃないかい。お久しぶりだねぇ。綺麗な娘になったこと!」
「お久しぶりでございます。本日はお手伝いを申し付けられて参りました。」
お八重は深々と頭を下げて挨拶した。
「それじゃぁね、お八重さん。俺はまだ用意が済んでいないからそっちに行くよ。また話の続きが出来れば嬉しいな。」
「ふふふっ、そうですね。」
恐る恐る次の機会の有無を探る喜一郎にお八重は微笑を見せてくれた。佐吉を待たせている事もあって喜一郎は長居することは出来なかった。それでもお八重と話をすることが出来たのは大きな収穫だ。今日の様子では破談を撤回してくれるかどうかは判断できかねる。しかし、また話をする事を断られなかっただけで安堵感は得られた。喜一郎は精一杯の優しい笑顔で暇を告げると夜祭の準備へと戻って行くことにした。
お妙は手足を清めるための水を盥に用意し、歩き慣れない道を一人で訪ねて来てくれたお八重をもてなした。何か飲み物でも用意できれば良いのだろうけれど、あまり時間も無いのでそれもままならない。お八重は手甲と脚絆を外して汗と埃を拭いながら今後のことについてお妙に尋ねた。
「あのぉ、現身様はどちらにいらっしゃいますか?あの甘い香りがお屋敷の中からはしませんけれど。」
「鈴虫は庭の堂の中で眠っているはずよ。ご存知の通り、寝ている間は香が幾分和らぎますからね。それにしても、本当に丁度良い時に来てくれたねぇ。今から鈴虫に葛湯を食べさせようと思ってたところなんだよ。」
「そうですか、ではお妙様とご一緒させて下さいませ。」
お妙は大き目の椀に拵えた葛湯と水を盆に載せ、お八重と連れ立って庭の奥の堂へと向かった。
「鈴虫や、眠っているのかい?開けますよ。」
お妙は鈴虫の返事は待たずに堂の引き戸を開けた。葛の花のような甘い香りが吹き上がるように外へと流れ出る。
身形など構わずに汚れてしまった布団でぐったりと寝転がっていた鈴虫は急に差し込んで来た明るい太陽の光に驚かされ、思わず小さく悲鳴を上げて体を丸めた。
明るさに慣れない目を細めて見遣ると、お妙の隣には見慣れない女が立っていた。逆光ではっきりとは見えないが、その女の年の頃は、鈴虫とほぼ同じか少し上であろう。その手には二つの椀が乗った盆を捧げ持ち、鈴虫を上から見下ろしていた。
「鈴虫や、具合はどうだね?何か食べれそうかい?お水と葛湯を持ってきたから起きてごらん。」
「現身様、わたくしは上ノ村より遣わされました八重と申します。本日より身の回りのお世話をさせていただきます。宜しくお願い申し上げます。」
「…ぃやっ!来るな!…入るな!来ないでッ!!あっち行ってよ!」
鈴虫は慌てて飛び起きると着物の襟元と裾を引き寄せて肌を隠した。
急に起き上がった為に息苦しいのか、胸郭を大きく拡げて無駄に力の入った呼吸をしている。何故、お妙に連れられているとは言え、面識の無い、しかも自分と同じ年頃の娘が平然とした顔で自分の領域に入り込んで来るのか。体の事だけで精一杯なのに、どうして余計な気など遣わなければならないのか。苛立つ気持ちが、顔と口調に隠す素振りも無くそのまま出ていた。
「すみませんねぇ、今が一番気が立っている時だから、何をされても気に入らないんだよ。もう少し前から来て打ち解けていれば良かったねぇ。」
「いやぁぁっ!おらのこと見るなッ!来るなってばぁ!入るなっての!許さないよ!」
「でも…現身様、お水も食べ物も口にしてないのでしょう?お水が足りないと息苦しいのは治まりませんよ。それにしても現身様って凄くいい香ですね。なんとも儚げで…艶かしい。」
全力で拒絶している鈴虫にはお構い無しに二人は堂の中に踏み入ろうとしている。漏らしたわけではないのだが、鈴虫の寝いていた場所にはちょうど尻の辺りに大きな染みが出来ていた。このままでは自分の恥ずかしい姿を初対面の女に見られてしまう。それだけはどうしても嫌だ。
「うるさいなっ!あっち行けよ!何がなまめかしいだ!お前、どうしてもここに入るならば、素っ裸になっておらの前で誰かとまぐわって見せろ!じゃなきゃ入るなッ!」
一際大きな声で威嚇したのが祟ったのか、ふと気が遠くなるような、地面が回るような感覚を覚えて鈴虫は布団の上に倒れこんだ。頭がガンガン痛む。
「鈴虫や、分ったから落ち着きなさい。そんなに苛々してもしょうがないでしょう。
お八重さん、悪いね、今回はお前様に外回りをお願いするよ。行灯と衣装と…まぁ、色々あるんだが、嘉平が用意してくれているから母屋から運んではくれないかい。」
「はい…お気遣いありがとうございます。現身様は怯えてらっしゃるの?何もかもが怖ろしくって混乱してらっしゃるのね…大丈夫ですよ!私、頑張ってお遣えしますから!」
お八重は体を半分に折るほど深くお辞儀をすると母屋へと戻っていった。盆を受け取ったお妙はそのまま堂の中に足を踏み入れると、鈴虫の枕元に座った。
「鈴虫や、ほれ、お水と葛湯だよ。おなか一杯にして横になりなさい。」
「ぃやっ!来ないで!見ちゃいやだ!暗くしてよ!」
「暗くちゃ食べれないでしょう。我儘ばっかり言って!赤ちゃんに戻っちまったのかい?お口を開けてちょうだい。ほれ、あーん。」
お妙は木匙に葛湯を掬って鈴虫の口元へ運んだ。
「…あぁぁっ…できるっ…てば!うっ…ぃや…自分でできるもん!」
倒れこんだまま動けなくなっているにもかかわらず、無茶なことを言って鈴虫は拒絶した。お妙は鈴虫が何か言おうとして開いた口に次々と匙を運ぶ。ほんのりと甘い葛湯は鈴虫の嫌いな味では無い。怒りながらも口に入れられた物は飲み込んでゆく。お妙はそのままの木匙で水も飲ませながら鈴虫に諭すように語り掛けた。
「鈴虫よ…怖がらなくても良いんだよ。お前に怪我を負わせたりしないように手筈は整っているんだから、安心して観音様に体をお預けしなさい。何があっても…人に見られたくないような事も…それはお前がやった事じゃない。お前は体を貸してやっただけなんだからね。」
「だからさ…みんなして、何度も…何度も…そんな慰め、いらねぇ。」
鈴虫が口を閉ざして背中を向ける。佐吉も、お妙も、嘉平も、皆が口を揃えて、これは鈴虫のせいでは無いと言う。しかし、どんなに慰めを言われても、体の中で渦巻く異様な熱は他の誰でもなく自分のものなのだ。眠りから醒めて意識がはっきりしてくると、鈴虫の体はまたしても押さえきれない性衝動に駆られていた。
今の鈴虫には言葉での慰めなんて何の役にも立たない。食べることなんてどうでも良い。今の鈴虫が切実に必要としているもの。それは愛しい人からの愛撫だけ。
さきっさん…さきっさん…さきっさん…さき……
「あぁ…そだ…お婆様、おらに猿轡噛ませてくだせ。」
「何でまたそんな事を言い出したんだい?まぁ、お前がそうしたいなら構わないけど、急にどうしたって言うんだね。それじゃ息が辛くなるかも知れないよ。」
「いいんだ。おらの口を塞いじまってくれ。だって…おら、あの人の名前を呼んでしまいそう…きっと辛くなったらさきっさんの名前を呼んでしまいそうだから…」
「そうかい…大事な人の名前は秘めておきたいって言う事なんだね?」
鈴虫はゆるゆると体を起こしながら頷くと背中を向けて着物を脱いだ。
「お婆様、お仕度を始めましょうか。」
「そうだね、体を拭いて着物を着替えようね。」
鈴虫はその淡く上気した肌を老婆の手に委ねた。
喜一郎はこれが申し開きをする最後の機会と意を決し、鈴虫に暴行を加えた経緯は、お八重という許嫁が居ながら別の誰かと性交渉する事への嫌悪に因るもので、その時は衝動的であり、今は反省していると話して聞かせた。
「ふふふっ 私に義理立てしたと言うのですか。それは、嬉しいような…そうでも無いような、複雑な気持ちになりますね。私はこれを家業だと思って育っておりますから、実の所、全く気にしておりません。だってそうでしょう?相手は男ですよ?自分と同じ女同士で天秤に掛けられたと言うならば腹も立ちますが全然別の話じゃないですか。あれは躾けと呼ばれる行為です。あくまでも躾けなのです。」
「お八重さんは随分と物分りが良いというか、割り切っていらっしゃるのですね。俺は…うぅん…他のことならまだしも、それだけは許せなかったんですよね。それと…親との関わり方って難しくないですか?強制されると白けるって言うか、余計に厭になってくる時もあるでしょう!?」
「まぁ、私にもそう感じる時はありますね。今日、ここに来たのも強制なんですよ。なんでも、鈴虫様…いえ、今は現身様とお呼びした方が良いかしら?その方は体があまり丈夫では無いので心配だとか。私が喜一郎さんと久々にお会いすることには何の配慮もありはしませんでしたから。」
久々に言葉を交わしたお八重は、年下であるのにも拘らず随分としっかり者だと思えた。こういった素質のある女性が村を取り纏める家柄には必要だと嘉平が判断して選んだのだ。だからこそ破談を言い渡された時の嘉平の落胆振りは計り知れないものだったろう。
そうこうするうちに二人は屋敷に着き、土間に入って廊下の奥に向かって声を掛けるとお妙が顔を出した。
「まぁ、まぁ!お八重さんじゃないかい。お久しぶりだねぇ。綺麗な娘になったこと!」
「お久しぶりでございます。本日はお手伝いを申し付けられて参りました。」
お八重は深々と頭を下げて挨拶した。
「それじゃぁね、お八重さん。俺はまだ用意が済んでいないからそっちに行くよ。また話の続きが出来れば嬉しいな。」
「ふふふっ、そうですね。」
恐る恐る次の機会の有無を探る喜一郎にお八重は微笑を見せてくれた。佐吉を待たせている事もあって喜一郎は長居することは出来なかった。それでもお八重と話をすることが出来たのは大きな収穫だ。今日の様子では破談を撤回してくれるかどうかは判断できかねる。しかし、また話をする事を断られなかっただけで安堵感は得られた。喜一郎は精一杯の優しい笑顔で暇を告げると夜祭の準備へと戻って行くことにした。
お妙は手足を清めるための水を盥に用意し、歩き慣れない道を一人で訪ねて来てくれたお八重をもてなした。何か飲み物でも用意できれば良いのだろうけれど、あまり時間も無いのでそれもままならない。お八重は手甲と脚絆を外して汗と埃を拭いながら今後のことについてお妙に尋ねた。
「あのぉ、現身様はどちらにいらっしゃいますか?あの甘い香りがお屋敷の中からはしませんけれど。」
「鈴虫は庭の堂の中で眠っているはずよ。ご存知の通り、寝ている間は香が幾分和らぎますからね。それにしても、本当に丁度良い時に来てくれたねぇ。今から鈴虫に葛湯を食べさせようと思ってたところなんだよ。」
「そうですか、ではお妙様とご一緒させて下さいませ。」
お妙は大き目の椀に拵えた葛湯と水を盆に載せ、お八重と連れ立って庭の奥の堂へと向かった。
「鈴虫や、眠っているのかい?開けますよ。」
お妙は鈴虫の返事は待たずに堂の引き戸を開けた。葛の花のような甘い香りが吹き上がるように外へと流れ出る。
身形など構わずに汚れてしまった布団でぐったりと寝転がっていた鈴虫は急に差し込んで来た明るい太陽の光に驚かされ、思わず小さく悲鳴を上げて体を丸めた。
明るさに慣れない目を細めて見遣ると、お妙の隣には見慣れない女が立っていた。逆光ではっきりとは見えないが、その女の年の頃は、鈴虫とほぼ同じか少し上であろう。その手には二つの椀が乗った盆を捧げ持ち、鈴虫を上から見下ろしていた。
「鈴虫や、具合はどうだね?何か食べれそうかい?お水と葛湯を持ってきたから起きてごらん。」
「現身様、わたくしは上ノ村より遣わされました八重と申します。本日より身の回りのお世話をさせていただきます。宜しくお願い申し上げます。」
「…ぃやっ!来るな!…入るな!来ないでッ!!あっち行ってよ!」
鈴虫は慌てて飛び起きると着物の襟元と裾を引き寄せて肌を隠した。
急に起き上がった為に息苦しいのか、胸郭を大きく拡げて無駄に力の入った呼吸をしている。何故、お妙に連れられているとは言え、面識の無い、しかも自分と同じ年頃の娘が平然とした顔で自分の領域に入り込んで来るのか。体の事だけで精一杯なのに、どうして余計な気など遣わなければならないのか。苛立つ気持ちが、顔と口調に隠す素振りも無くそのまま出ていた。
「すみませんねぇ、今が一番気が立っている時だから、何をされても気に入らないんだよ。もう少し前から来て打ち解けていれば良かったねぇ。」
「いやぁぁっ!おらのこと見るなッ!来るなってばぁ!入るなっての!許さないよ!」
「でも…現身様、お水も食べ物も口にしてないのでしょう?お水が足りないと息苦しいのは治まりませんよ。それにしても現身様って凄くいい香ですね。なんとも儚げで…艶かしい。」
全力で拒絶している鈴虫にはお構い無しに二人は堂の中に踏み入ろうとしている。漏らしたわけではないのだが、鈴虫の寝いていた場所にはちょうど尻の辺りに大きな染みが出来ていた。このままでは自分の恥ずかしい姿を初対面の女に見られてしまう。それだけはどうしても嫌だ。
「うるさいなっ!あっち行けよ!何がなまめかしいだ!お前、どうしてもここに入るならば、素っ裸になっておらの前で誰かとまぐわって見せろ!じゃなきゃ入るなッ!」
一際大きな声で威嚇したのが祟ったのか、ふと気が遠くなるような、地面が回るような感覚を覚えて鈴虫は布団の上に倒れこんだ。頭がガンガン痛む。
「鈴虫や、分ったから落ち着きなさい。そんなに苛々してもしょうがないでしょう。
お八重さん、悪いね、今回はお前様に外回りをお願いするよ。行灯と衣装と…まぁ、色々あるんだが、嘉平が用意してくれているから母屋から運んではくれないかい。」
「はい…お気遣いありがとうございます。現身様は怯えてらっしゃるの?何もかもが怖ろしくって混乱してらっしゃるのね…大丈夫ですよ!私、頑張ってお遣えしますから!」
お八重は体を半分に折るほど深くお辞儀をすると母屋へと戻っていった。盆を受け取ったお妙はそのまま堂の中に足を踏み入れると、鈴虫の枕元に座った。
「鈴虫や、ほれ、お水と葛湯だよ。おなか一杯にして横になりなさい。」
「ぃやっ!来ないで!見ちゃいやだ!暗くしてよ!」
「暗くちゃ食べれないでしょう。我儘ばっかり言って!赤ちゃんに戻っちまったのかい?お口を開けてちょうだい。ほれ、あーん。」
お妙は木匙に葛湯を掬って鈴虫の口元へ運んだ。
「…あぁぁっ…できるっ…てば!うっ…ぃや…自分でできるもん!」
倒れこんだまま動けなくなっているにもかかわらず、無茶なことを言って鈴虫は拒絶した。お妙は鈴虫が何か言おうとして開いた口に次々と匙を運ぶ。ほんのりと甘い葛湯は鈴虫の嫌いな味では無い。怒りながらも口に入れられた物は飲み込んでゆく。お妙はそのままの木匙で水も飲ませながら鈴虫に諭すように語り掛けた。
「鈴虫よ…怖がらなくても良いんだよ。お前に怪我を負わせたりしないように手筈は整っているんだから、安心して観音様に体をお預けしなさい。何があっても…人に見られたくないような事も…それはお前がやった事じゃない。お前は体を貸してやっただけなんだからね。」
「だからさ…みんなして、何度も…何度も…そんな慰め、いらねぇ。」
鈴虫が口を閉ざして背中を向ける。佐吉も、お妙も、嘉平も、皆が口を揃えて、これは鈴虫のせいでは無いと言う。しかし、どんなに慰めを言われても、体の中で渦巻く異様な熱は他の誰でもなく自分のものなのだ。眠りから醒めて意識がはっきりしてくると、鈴虫の体はまたしても押さえきれない性衝動に駆られていた。
今の鈴虫には言葉での慰めなんて何の役にも立たない。食べることなんてどうでも良い。今の鈴虫が切実に必要としているもの。それは愛しい人からの愛撫だけ。
さきっさん…さきっさん…さきっさん…さき……
「あぁ…そだ…お婆様、おらに猿轡噛ませてくだせ。」
「何でまたそんな事を言い出したんだい?まぁ、お前がそうしたいなら構わないけど、急にどうしたって言うんだね。それじゃ息が辛くなるかも知れないよ。」
「いいんだ。おらの口を塞いじまってくれ。だって…おら、あの人の名前を呼んでしまいそう…きっと辛くなったらさきっさんの名前を呼んでしまいそうだから…」
「そうかい…大事な人の名前は秘めておきたいって言う事なんだね?」
鈴虫はゆるゆると体を起こしながら頷くと背中を向けて着物を脱いだ。
「お婆様、お仕度を始めましょうか。」
「そうだね、体を拭いて着物を着替えようね。」
鈴虫はその淡く上気した肌を老婆の手に委ねた。
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