魔法使いと皇の剣

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5章 運命

談話

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「だから! あんたも手伝いなさいよ!」

 焚き火の赤々とした光の中で、アイリーンの怒号が夜の静けさを切り裂いた。燃えさかる薪が火花を散らし、微かな煙が空に昇っていく。ミエラは顔を上げ、いつものことだとため息をつきながら、焚き火越しに怒鳴る彼女の姿を眺めた。

 アイリーンの怒りを買った当の本人、アーベンはというと、まるで何事もなかったかのように、草木を下に敷き詰め足を伸ばして木にもたれかかっていた。その優雅で怠惰な姿勢は、まるで王宮にいる時と変わらぬ落ち着きを保っていた。

「アイリーン。君の怒りは至極もっともだ。だが前にも話した通り、私はこういった旅暮らしは初めてでね。下手に手を出せば君たちの手を煩わせるだけだ。むしろ、こうしてじっとしていた方が皆のためだと判断したのだよ。」

 涼やかに言い返すアーベンの言葉に、石を削って皿を作ろうとしていたアイリーンは、苛立ちを隠さず大きく舌打ちをした。彼女の爪が石の表面を滑るたびに、小さな火花が散るような音を響かせていた。

 オーデントを離れてから、三日目の夜が訪れていた。

 ミエラたち一行の旅路は、出だしから困難に満ちていた。馬もなく、疲弊した足でひたすらオステリィアを目指す中、少しでも物資を得ようと近くの村に立ち寄ろうとしたその時、先行していたロスティンが慌てた様子で引き返してきたのだった。

「おい、あんた――探されてるぞ。もちろん、悪い意味でな。」

 ロスティンの語った話は衝撃的だった。病の神の力を引き込んだ先王ハンベルグの死、その混乱の中で玉座についたのは、宰相サイスル。そしてサイスルは、オルフィーナの加護を得て国を沈静化させた英雄として、広められていた。そして今、アーベンを含む“王族の生き残り”を危険分子として捜索しているという。

 話を聞いたアーベンは、他人事のような笑みを浮かべたまま、薄く肩をすくめただけだった。

「なるほど、困ったね。父が病神の力を招いた? サイスルが王になった? ……私には真実は分からないが、いずれにせよ、状況は不利だね。で、皆は手持ち資金は?」

 その場の誰もがアーベンの冷淡な反応に呆れながらも、彼の問いかけに目を逸らした。アイリーンは短く首を振り、ミエラも同様だった。そして盗賊であるロスティンは当然のように言い放った。

「金? 持ち歩かないさ。仕事の邪魔になるし、必要な時に盗めばいいだけだ。」

 無責任な言葉に、ミエラは呆れ、反射的にアーベンを見たが、彼は悪びれることもなく両手を広げ、微笑を浮かべるのみだった。

 当然ながらロスティンの「盗めばいい」という案は即座に却下され、続くアイリーンの「アーベンの服を売ろう」という提案も彼の一言で潰された。

「王族の服だ。どれだけ汚れていようと、それと分かる。売るより、燃やした方がまだ安全だ。」

 結果、村への立ち寄りは諦め、野営を余儀なくされた。だが、そこでまた新たな問題が露呈することになる。

 アイリーンは一応傭兵としての知識を持ってはいたが、眷属としての本能が強いのか、食事の準備も「腹に入れば良い」という乱雑さ。アーベンに至っては、もはや何の役にも立つつもりがないのか、火の起こし方から寝床の作り方に至るまで、ただ口を出すばかりで何もしない。

 唯一、魔法を使えるミエラが草木を切り落とし、火を起こし、寝床を作る手助けをしていたが、消耗は激しかった。

 その中で、意外にも最も頼りになったのはロスティンだった。獲物をしとめ、的確な指示をミエラに出し、石を温めて寝床に埋め、暖を取る工夫まで施した。

 ミエラは、彼が何故旅に同行しているのかと疑念を抱きながらも、次第に彼への評価を見直さざるを得なかった。そしてロスティンも、誇らしげにアーベンを見下ろしていた。

 だが、アーベンはその視線すら涼やかに受け流し、笑顔で彼を称賛するだけだった。まるで「おかげで何もせずに済んだ」と言わんばかりに――。

 アイリーンとロスティンの衝突を予想していた旅のはずが、蓋を開ければ怒号の矛先は、もっぱらアーベンに向けられる毎日だった。

 そして今宵もまた、焚き火の炎の中で、旅路の喧騒は続いていた。

「しかしこの王子様と一緒にいて、得することなんてなさそうだな。いつ見限る?」

 焚き火の明かりの中、ロスティンは手際よく小さなウサギの毛をむしりながら呟いた。その声音は軽く、冗談めいていたが、どこか本音の鋭さを含んでいた。

 ミエラはその様子を見て、ふとムムムの姿を思い出してしまい、胸が締めつけられるような感覚に目を逸らした。動物も神の手によって生まれた存在。もしかしたらウサギはオルフィーナの創造した命――そう考えると、目の前の命はと

 ミエラの反応に気づいたロスティンが少し訝しげに彼女を見やるが、言葉にはしなかった。代わりに、その視線を受けていたアーベンが静かに口を開いた。

「本人を前に、なかなか手厳しい話だね。……だが、君たちの足を引っ張っている自覚はあるよ。その分、地位を取り戻した際には、必ず礼は尽くすつもりだ。だから、もう少し仲良くしてもらえれば嬉しいね」

 言葉の端々に余裕を滲ませながら、アーベンはアイリーンが削り出した石皿に注がれたスープを品よく口に運んでいた。火の光がその整った横顔を照らし、王族の余韻を確かに感じさせる。

 しかしロスティンは冷ややかに返す。

「王族、ね……すくなくとも今のあんたは、ただの逃亡者にすぎねぇよ」

 アイリーンも同意するように皿を置き、眉をひそめた。

「ミエラちゃんの話を聞く限り、今の王はサイスルでしょ? 下手に“王子様”なんて名乗ってたら、こっちまで巻き込まれるのよ」

 アーベンは静かにスープを皿に戻し、木の幹にもたれかかる姿勢を正すと、わずかに目を細めた。

「……まあ、それも一理ある。だが、問題の本質はそこじゃない」

「なんだと?」

 ロスティンが眉を上げると、アーベンはゆっくりと頷きながら言葉を続けた。

「私が気にしているのは、なぜ“今”なのか――ということだ」

 ミエラはその言葉に目を伏せていたが、やがて意を決して口を開いた。

「……なぜオーデントは、アーベン様たちの王家が治めていたのか。そしてなぜ今になって、サイスルという“本来の血筋”が名乗り出たのか――」

「そういうことだよ」

 アーベンはミエラを見つめ、静かに言葉を重ねる。

「我が祖先が、王位を“奪った”と仮定しよう。だが、それならば尚のこと不思議なのは……なぜ危険を冒してまで、そんなことをしたのかという点だ」

「欲しかったんじゃないの? 王の座が」

 アイリーンが手を挙げて答えると、アーベンはそれを手のひらで制し、指でバツを作って首を横に振る。

「単純すぎる。国を興す手段なら他にもあったはずだ。しかも記録に残るような内乱もない……すべてが静かに、知らぬ間に“王がすり替わった”かのように」

「それなら……」

 ロスティンが言いかけた言葉を、アーベンが引き継いだ。

「そう、自ら“王位を捨てた”と考えるべきだ。何らかの事情で、ケンニグの血を引く者たちは、王位を捨て、代わりに我が家が担った。それがもっとも辻褄が合う」

 ミエラはその仮説を受け止めながら、レグラスが語った事を思い出しそっと口を開く。

「…オルフィーナ様の姿は――アルベストにもなく、グランタリスにも、存在していない……」

 アーベンは静かに火を見つめたまま、ぼそりと呟いた。

「……奇妙だよね。本来、神の加護を受けし国の神が、なぜそこにいないのか。オルフィーナは、一体どこにいるんだろう」

 場の空気がわずかに重たく沈んだ。

 アイリーンが溜息まじりに立ち上がり、イライラを隠そうともせずに声をあげた。

「あーもう! 考えたって分かるわけないでしょ! それにアタシたちには関係ない! アタシは“自分を知るため”、ミエラちゃんはノストールを、ロスティンは……うん、まぁ……」

「俺は平和な暮らしのためになんでもやる、それだけさ」

 ロスティンが肩を竦めると、ミエラはふと何かを思い出したようにアーベンの方を向いた。

「……アーベン王子。思い出させてしまうことになるかもしれませんが……あなたの母君のことで、お聞きしたいことがあります」


 その慎重な声音に、アーベンはわずかに目を細めた。

「……母のことを?」

 焚き火がぱちりと弾け、赤い火の粉が夜の闇に弧を描いた。話は、新たな核心へと触れようとしていた――。
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