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5章 運命
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夜は深く静まり返り、森を渡る風がわずかに葉を揺らす音だけが、焚き火のぱちぱちと弾ける音に混ざっていた。アーベンは火の番をしながら、ふと己の内へと意識を沈めていた。
ミエラとアイリーンは寄り添うように毛布にくるまり、穏やかな寝息をたてている。その傍ら、ロスティンは地面にうつ伏せに沈むように眠っていた。その姿は、まるで何もかもを警戒しているようでもあり、同時に全てを許しているようでもあった。
――不思議なものだ、とアーベンは思う。
かつてなら、竜族や盗賊と共に一夜を明かすなど、王家の人間である自分には考えられない事だった。しかもこのような野営の地で、裸の大地を背にして。
先ほどの会話――国の記憶、家族のこと、過去の出来事をあそこまで語った自分。それは王子としての責務や、失脚した弱者の告白ではなかった。どこか、語らずにはいられなかったのだ。必要のないはずの言葉が、口をついて出た。
理由は、自分でも分かっている。今、自分には「立場」がないからだ。
かつてはすべてが“義務”だった。言葉も、振る舞いも、行動の一つ一つも、「アーベンとして」どうあるべきかに従っていた。だが今やそのしがらみはない。先を考えねばならぬ重荷も、失えばならぬものも、何ひとつ背負っていない。
――それが、楽なのだ。
焚き火の炎に木の枝をくべながら、アーベンは静かに頷く。今の自分は、「ただの一人の男」であり、だからこそ心のままに言葉を紡ぎ、ただ目の前の焔の揺らぎを見つめていられる。
そして、少し――いや、確かに楽しんでいるのだ。
この予測不能な状況を。
この“自由”を。
かつてのように整った寝台で眠り、選び抜かれた料理を前に振る舞いを気にしながら食べ、媚びと計算に満ちた会話を交わす日々の方が勿論楽だし良かった。
だが今のこの、獣の肉の匂いと土の匂いの交じった焚き火の前の時間のほうが、ずっと“生きている”と感じられる。
思考は自然と、死んだ父――ハンベルグへと向かった。
哀れな男だった。母を喪い、情けなさに呑まれ、貴族たちの操り人形と化していた。父として、王として、その姿は決して理想ではなかったが、それでも家族としての情は残っていた。
ケイオス。優れた弟だった。武勇も統率も申し分なく、王の器にもっとも近い男。だが、母の死を契機に神への敵意に染まり、狂信と恐怖で国を統べる道を選んだ。信仰者狩りなど、正気の沙汰ではなかったが、それでも一つの「信念」はあったのだろう。決して弱い者ではなかった。
だが民はついてこなかった。
一定の民や騎士の忠誠を得ても、長く信頼を得るには「正しさ」が必要だったのだ。
ふと脳裏に、もう一人の弟――レグラスの姿が浮かぶ。
姿は見違えていた。
力強く、しかし繊細な心を持ち、自分にも他人にも誠実すぎるほどだった。信仰者狩りに反対したという話は、民にとっては救いだろう。民のために、国のために、何かを成そうとするならば――いま最も適しているのは、彼なのかもしれない。
だがもし、レグラスが剣を取りオーデントと戦う日が来たら、自分はどうするだろう。
逆に、自分が剣を取りサイスルに立ち向かうなら、レグラスはどうするだろう。
考えが巡るたび、胸に重く積もるものがあった。
焚き火の火が消えかけたのに気づき、アーベンは慌てて小枝をくべた。炎が再び揺れを取り戻すと、その橙色の光に照らされて、ミエラとアイリーンの眠る横顔が浮かび上がった。
彼女たちは“何か”を信じて進んでいる。
旅の目的がある。
彼女たちの旅路が動き出したのは、自分たちオーデント家が撒いた火種からだ。
ならば――生き残った自分に、何ができるのだろう。
アーベンは焚き火の炎を見つめ、唇にうっすらと笑みを浮かべた。
「……決めねばならないな」
いま、ここにいる意味を。
自分が向かうべき“終わり”を。
決めずに歩くのは楽だが、それでは何も成せはしない。
――彼女たちの行く末が運命ならば、そこに交わろう。
そして最後に、自らの意志で笑おう。
それが、私の“生”の価値だ。
生きることは、戦いだ。
そして――生き延びた者こそが、最後に勝つのだ。
(神や人、どちらが勝とうが最後には私が笑おう)
ミエラとアイリーンは寄り添うように毛布にくるまり、穏やかな寝息をたてている。その傍ら、ロスティンは地面にうつ伏せに沈むように眠っていた。その姿は、まるで何もかもを警戒しているようでもあり、同時に全てを許しているようでもあった。
――不思議なものだ、とアーベンは思う。
かつてなら、竜族や盗賊と共に一夜を明かすなど、王家の人間である自分には考えられない事だった。しかもこのような野営の地で、裸の大地を背にして。
先ほどの会話――国の記憶、家族のこと、過去の出来事をあそこまで語った自分。それは王子としての責務や、失脚した弱者の告白ではなかった。どこか、語らずにはいられなかったのだ。必要のないはずの言葉が、口をついて出た。
理由は、自分でも分かっている。今、自分には「立場」がないからだ。
かつてはすべてが“義務”だった。言葉も、振る舞いも、行動の一つ一つも、「アーベンとして」どうあるべきかに従っていた。だが今やそのしがらみはない。先を考えねばならぬ重荷も、失えばならぬものも、何ひとつ背負っていない。
――それが、楽なのだ。
焚き火の炎に木の枝をくべながら、アーベンは静かに頷く。今の自分は、「ただの一人の男」であり、だからこそ心のままに言葉を紡ぎ、ただ目の前の焔の揺らぎを見つめていられる。
そして、少し――いや、確かに楽しんでいるのだ。
この予測不能な状況を。
この“自由”を。
かつてのように整った寝台で眠り、選び抜かれた料理を前に振る舞いを気にしながら食べ、媚びと計算に満ちた会話を交わす日々の方が勿論楽だし良かった。
だが今のこの、獣の肉の匂いと土の匂いの交じった焚き火の前の時間のほうが、ずっと“生きている”と感じられる。
思考は自然と、死んだ父――ハンベルグへと向かった。
哀れな男だった。母を喪い、情けなさに呑まれ、貴族たちの操り人形と化していた。父として、王として、その姿は決して理想ではなかったが、それでも家族としての情は残っていた。
ケイオス。優れた弟だった。武勇も統率も申し分なく、王の器にもっとも近い男。だが、母の死を契機に神への敵意に染まり、狂信と恐怖で国を統べる道を選んだ。信仰者狩りなど、正気の沙汰ではなかったが、それでも一つの「信念」はあったのだろう。決して弱い者ではなかった。
だが民はついてこなかった。
一定の民や騎士の忠誠を得ても、長く信頼を得るには「正しさ」が必要だったのだ。
ふと脳裏に、もう一人の弟――レグラスの姿が浮かぶ。
姿は見違えていた。
力強く、しかし繊細な心を持ち、自分にも他人にも誠実すぎるほどだった。信仰者狩りに反対したという話は、民にとっては救いだろう。民のために、国のために、何かを成そうとするならば――いま最も適しているのは、彼なのかもしれない。
だがもし、レグラスが剣を取りオーデントと戦う日が来たら、自分はどうするだろう。
逆に、自分が剣を取りサイスルに立ち向かうなら、レグラスはどうするだろう。
考えが巡るたび、胸に重く積もるものがあった。
焚き火の火が消えかけたのに気づき、アーベンは慌てて小枝をくべた。炎が再び揺れを取り戻すと、その橙色の光に照らされて、ミエラとアイリーンの眠る横顔が浮かび上がった。
彼女たちは“何か”を信じて進んでいる。
旅の目的がある。
彼女たちの旅路が動き出したのは、自分たちオーデント家が撒いた火種からだ。
ならば――生き残った自分に、何ができるのだろう。
アーベンは焚き火の炎を見つめ、唇にうっすらと笑みを浮かべた。
「……決めねばならないな」
いま、ここにいる意味を。
自分が向かうべき“終わり”を。
決めずに歩くのは楽だが、それでは何も成せはしない。
――彼女たちの行く末が運命ならば、そこに交わろう。
そして最後に、自らの意志で笑おう。
それが、私の“生”の価値だ。
生きることは、戦いだ。
そして――生き延びた者こそが、最後に勝つのだ。
(神や人、どちらが勝とうが最後には私が笑おう)
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