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第1章 城下町アルテアへようこそ

ep.5 私の配属先は医務課です

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「すみませんっ、遅れました……!」

 小走りで医務課へと辿り着けば、眼鏡をかけた白髪のおじいちゃん先生が振り返り、のんびりとした優しい笑顔と声が返ってくる。

「おや、メル。団長との話はもう終わったのかい?」

「はい。急な事ですみませんでした……! 時間……は、始業からだいぶ過ぎちゃいましたよね」

「大丈夫だよ。今日はこれから団員のほとんどが外に出るから、そんなに忙しくないんだ。着替えも慌てなくていいからね」

 団長も急に呼ぶから困ったものだよねぇ、と私の味方をしてくれるのだから、本当に優しくて頼りになる上司である。

「ありがとうございます。準備してきますっ」

 医務課の隣にある更衣室で団服のジャケットを脱ぎ、掛けてあった自分の白衣を羽織る。ちなみに、白衣にも黒夜所属だと分かる紋章のワッペンが胸元に付いているのだ。

 白衣を着ると、気持ちがスッと引き締まるような気がする。

「よし。今日も頑張るぞ」

 気合を入れ直していた私の背後から、突然腕がにょきりと伸びてきて、背中にムギュッと柔らかいモノが押しつけられた。
 のしかかられているのに、不思議と全く重たくない。

「おはようございます、レイラさん」

 振り向きながら挨拶を返すと、艶やかに微笑む先輩と間近で目が合った。

 勤務初日はこのスキンシップに凄く驚いたけれど、今ではだいぶ慣れたものだ。……というのも、ふんわりと薔薇の香りを纏っているこの人の、どうやらお決まりの挨拶らしいのである。

「メルちゃん、おはよん」

 私の直属の先輩であるレイラさん。(年齢は秘密らしいのだけど、見た目は20代にしか見えない)
 身長が高くてスラッとしているのに、出るところは出ているという、憧れてしまうような体型の持ち主だ。お顔も「美しい」の一言に尽きる。

「本当、いつ見てもお綺麗ですねぇ……」

 私が感嘆の意を込めて呟いていると、いつも褒めてくれてありがと、と笑われながらお礼を言われた。

「メルちゃんだって顔立ちが整ってるんだから、普段からもう少しメイクをしたらどう? それにメルちゃんは美人さんだけど可愛らしさもあるから、どっちも兼ね備えてて最強だと思うわ」

「え、えぇ……? そうですかねぇ……?」

 確かにメイクは必要最低限しかしていない。……騎士団での1日のはじまりは早いので、朝が弱い私はバッチリメイクよりも、ギリギリまで寝るという欲望を優先してしまうのだ。

 もっとも騎士団員の人達は私より早起きして朝練をしているので、こんな事を言ってるのは大変申し訳ないのだけれども。

「もぅ、自己評価が低いんだから。私、女の子に嘘は言わないわよ?」

「んん? 女の子、には……?」

 意味深な言い方に小首を傾げる。つまり逆を返せば、男の人には嘘をつくって事。でも、何の嘘を?

 なんて考えている間、レイラさんは楽しそうに私の頬っぺたをモチモチと触って遊んでいた。

「うふふ。さ、準備が出来たならいつもの騒がしい怪我人(騎士達)が来ない間に、事務や雑務を済ませちゃいましょ」

「あ、はいっ」

 さぁ、今日もまた医務課での1日がスタートだ。


 ────────────────


 思い返せば、勤務初日の私は緊張と不安で、硬い表情を浮かべていたと思う。
 
 そんな状態で医務課へとやって来た私に対して、団員の方々は皆とても優しかった。

 私が気にしていると思ったのだろう。適性がなくても何ら問題ないし大歓迎だと、開口一番に言ってくれたのは、きっと忘れられないと思う。

 正直その言葉にすごくホッとして、強張っていた肩の力が一気に抜けたような気がしたのだった──


「どうしたの? 書類の束に囲まれながらニコニコして」

「職場環境に恵まれてるなぁと思いまして」

 レイラさんから声を掛けられて回想から戻ってきた私は、手にしたままだった書類の確認に再び取り組む。
 事件や事故、調査の際に怪我を負った人の情報、その後の経過や経費などを記載したりと、意外と事務作業も多かったりする。

「そぉ? 騎士団内で1.2を争う多忙さなのに、メルちゃんって若いのに変わってるわよねぇ」

「やりがいがあるのはいい事ですから。所属を医務課ここに決めてくれた事に関しては、珍しく団長に感謝してます」

「なら私も団長に感謝しないとだな。こんなにやる気のあるいい子の新人を派遣してくれて助かっているからね」

 ……上司からの純粋な褒め言葉は、かなり照れる。照れ隠しのつもりで顔を書類で隠すと、隠せてない耳が赤いよと皆に笑われてしまった。うぐ。


 ──それから書類作業をペースよく消化し、午後になって私は、塗布薬の材料となる薬草を摘みに裏庭へとやって来ていた。

 医務課では、村で教わった薬草の知識が思ったよりも役に立っていて。まだ新人の私は薬を作る許可は下りていないのだけど、元々植物の世話は好きだったので、こういった類いの仕事は特に楽しい。

「普段の多忙な1日と比べたら、今日は本当にリラックスしながら仕事が出来ちゃう……」

 穏やかな陽気に、心地よい風も相まって気が緩む。
 周りに誰もいないのをいい事に、ついつい鼻歌なんかも口ずさんじゃうのだ。

『ねぇ』

 ふいに話しかけられ、思わず鼻歌をピタリと止めてしまった。

 誰かに……いや、この人間離れした声は精霊動物? に、話しかけ……られてる?

 小さな鈴が鳴るような、綺麗な声。
 聞いた事のないその不思議な声の持ち主は、どうやら女の子のようだけど、何の種類の動物だろうか。

 ウサギ? リス? き、気になる……!

 姿を見てみたいという自分の好奇心をどうどうと抑えつつ、声のする方へは向かずに、素知らぬフリでやり過ごす。

『ねぇったら。聞こえてるんでしょ?』

 いやいや、申し訳ないけれど知らないフリ、知らないフリ。
 止めてしまった鼻歌を誤魔化すかのように再開させつつ、薬草を摘む作業の手を早めようとした……のだけど。

 私と薬草の間に、にょ、と華奢な半透明な前足が現れたのだ。

「な、っにゃ、ねっ!? (訳:なんで、こんな至近距離に、猫の手がー!?)」

 後ろへ下がろうとしたのに、しゃがんでいた私はバランスを崩してそのまま軽く尻もちをついてしまった。

『やだ、ごめんなさい。そんなに驚くとは思ってなくて』

 私の目の前にちょこんと座って困ったように小首を傾げているのは、今朝見かけた副団長のパートナー精霊である、ロシアンブルーの猫だった。

「……いえ、大丈夫、です」

 こんなオーバーリアクションをとってしまったからには言い逃れも出来まい。私は混乱しながらも、どうにか言葉を返した。

 大丈夫なので、どうか願わくば近付かず、そのままの距離でいてほしい。

『食堂で目が合った時から分かっていたの。貴方、今も声が聞こえていて、私の姿が見えているのよね?』

「は、はい」

『ふぅん……こうして話していても、本当に適性が感じられないのね……じゃなくて。さっき出会った時、貴方ならきっと私達の力になってくれるって、ピンときたのよ』

「あの……一体何の話……?」

 ニコリと笑った猫の口元から、キラリと小さく尖った歯が見えて、思わずギョッとする。

 私達、って何? 力になるって何のこと?

 久しぶりに間近で見た猫は可愛いけど、やっぱり苦手意識は拭えない。

 とにかく今は……ちょっとだけ離れてください! 


 ──第1章・終──
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