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第六章 一日一夜物語

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さっきの怪しいローブ姿の人と別れて、
私とマリーさんはまた他の屋台を
見て歩いていた。

「うーん、やっぱりさっきのお店で
買おうかなあ・・・。」

後ろを振り返る。今年の甘いものを
売っている屋台の流行りは
ドーナツらしい。

屋台によってはねじった揚げパンに
砂糖をまぶしたものや穴のない、中に
ジャムを入れた丸いドーナツなど
色々なバリエーションのものがある。

あちこち見て歩いて、やっぱりさっき
通り過ぎた屋台のものにしようかと
思った時だった。

嗅ぎ慣れた甘く香ばしい香りが
鼻をかすめた。あれ、これは。

そちらの方を見てみると、
懐かしいものを売っていた。
甘い匂いに釣られたのか、子供達が
数人並んで買い食いしている。

「ベビーカステラだ‼︎」

お祭りの屋台でお馴染みのあれを
売っていた。え?なんでここで?

思わずその屋台に引き込まれるように
寄ってしまう。

「おや、かわいいお嬢ちゃんだ。
いらっしゃい、うちのミニケーキは
おいしいよ。」

茶色い髪の毛とヒゲのおじさんが
優しげに目を細めて声をかけてくれた。
右頬には斜めにうっすらと傷が
走っているが、優しげな雰囲気の
おかげで全然怖くない。

「ミニケーキ?」

見た目はまんまベビーカステラだけど。

「そう、ミニケーキ。ケーキの中身の
部分だけ丸く小さくして焼けば、
食べ歩き出来るだろう?最近他の国で
流行り始めているんだよ。
ドーナツの次に来るのはこれだよ
お嬢ちゃん。」

はいよ、と試食で食べさせてくれた。
甘くておいしい。言われてみれば
ちょっとだけカステラよりも
ケーキ寄りの味な気もする。

「これ、冷めてもおいしいですか?」

「そんなに日持ちはしないが、
まあ一日、二日くらいならうまいかな。
もちろん焼き立てが一番だけどね。」

屋台のおじさんは親切に教えてくれた。
どうしようかな。奥の院のみんなに
お土産で買って帰ろうか。

「お土産ですか?お嬢様。」

マリーさんも私が考えていることに
気付いて声を掛けてくれた。

「はい。でもお小遣いで足りるかな。
ええと、おじさん、これで15人分位
買えますか?」

今日は何度か屋台で代金を払っているが
最初から入っていた銅貨の小銭は
だいぶ少なくなってきた。
ポシェットの中から初めて銀貨を一枚
取り出しておじさんに渡す。

こちらの世界の貨幣がまだ
いまいちピンときていないので、
使ったことのない銀貨がどれくらいの
貨幣価値なのかも良く分からない。

ちなみにポシェットの中には
金貨も数枚入っているけど、
それは屋台で使うには
さすがに多すぎるだろうと
いうことは私にも分かる。

実はこの間の初めての街歩きの時も
ポシェットの中には金貨や銀貨が
数枚入っていた。
大した労働もしていない子供の私に、
リオン様はお小遣いを
渡し過ぎだと思う。

子どもを甘やかすと
碌なことになりませんよと
前回の街歩きのあとに言ったら、
そんなことを言う子なら
絶対に大丈夫だと
笑われてしまって、
懲りずにまた金貨を入れてくれた。

リオン様に遊ばれているんだろうか。
なぜか私が注意をすると嬉しそうに
しているから、たぶんそうだ。

そんな私の差し出した銀貨を見て、
おじさんは目を丸くした。
マリーさんも慌てて、多すぎです!と
声を上げた。あれ?ダメか。

「いや驚いた、お金持ちだなあ
お嬢ちゃんは。こんなに貰ったら
うちの店だと50人分は買えちまうよ。
もっと小さい小銭は持ってないのかい?
お付きのお嬢さん、あんたはどうだ?」

豪快に笑ったおじさんに言われて、
マリーさんが自分の財布を開けた。
どうやらここは出してくれるらしい。

「15人分だね、毎度あり。
それ、かわいいお嬢ちゃんには
風船のサービスだよ。」

そう言って、おじさんは気を付けて
持ちなよ、と大きな包みを一つ
マリーさんに手渡した。
中に小分けにしたベビーカステラ・・・
もといミニケーキが入っているらしい。

そして私には赤い風船を2つもくれた。
嬉しい。

「いいんですかっ?」

「買ってくれた子みんなに
サービスで風船をあげてるんだが、
お嬢ちゃんはかわいいから
特別に2個あげるよ。」

目を輝かせて喜んだ私におじさんは
ウインクしてくれた。
よく見ると屋台の後ろの方には風船が
たくさん、ふわふわと浮いている。

「これは特別な風船でね、万が一
手から紐が離れても空の上に
飛んでかないように、うちでは
魔法もかけてるんだよ。
さ、手を出してごらん。」

そう言って風船を握った私の手に
手をかざすと一瞬だけ明るく輝いた。

「そんな便利な魔法があるんですねぇ」

感心した私と同じくマリーさんも
驚いていた。

「すごいです、魔法も使える屋台の
人は初めて見ました。おじさん、
屋台なんかやらないでもっと別の仕事に
ついた方がいいんじゃないですか?」 

大商会のお嬢様で商いに関する事なら
大概なんでも知っているマリーさんが
驚くなんてかなり珍しいのでは。

「え?普通は使えないんですか?」

「そうですよ、魔法が使えたら
こんな屋台なんかやらなくても
もっといい働き口を普通は探します!」

「いやいや、俺のこれは他の屋台と
差をつけるために必死で覚えたやつで
そんな大したモンじゃないんだよ。
おかげで小さい子には好評だが、
目立ち過ぎて周りにやっかまれても
敵わないからね。あんまり大きな声で
言わないでおくれ。」

内緒だよと言われて慌てて口を閉じた。
確かに今、おじさんは他の屋台や
周りの人達には見えない、
死角になっていそうなところで
こっそり魔法をかけてくれた。

風船が勝手に飛んでいかずに手を
離しても私の後をついて来るなんて、
世の中には面白い魔法もあるんだなあ。
今度シグウェルさんに話してみよう。

おじさんにお礼を言って、手を振って
屋台を後にする。
その時、見覚えのあるローブ姿が
目の端をかすめたような気がした。

・・・あれ?

そっちを見ても誰もいない。
植込みがあるだけだ。

「お嬢様、これも騎士の方に
預けてきてもいいですか?」

マリーさんがミニケーキの入った
大きな袋を手にそう聞いてきた。
確かに、これを持ったまま私と
手を繋いでいると両手が塞がって
大変そうだ。
それに視界も良くないから危ない。

「勿論いいですよ!あそこの芝生で
ちょっと休憩しながら騎士さんを
呼びましょうか?」

視界の良くないマリーさんが
転ばないように、慎重に手を引いて
屋台が並んでいる場所を離れた。

その一角は綺麗に刈り込まれた植込みに
薔薇の花も咲いているちょっとした
庭園になっていて、芝生に寝転ぶ人や
ベンチで座って語らう人など
皆思い思いに過ごしている。

私がさっき買ったミニケーキを
食べている子達も何人かいるから、
元の世界と形や味は違っても
ベビーカステラはここでも人気らしい。

私はベンチに座り足をぶらつかせながら
マリーさんが合図をして騎士さんを
呼び、少し離れたところで荷物を預けて
いるのを眺めていた。

するとふいに背後の植込みから
声がして話しかけられた。

「瞳の綺麗なかわいいお嬢さん。
そのまま前を向いて動かずに、
黙ってオレの話を聞いてくれますか?」

ビクッ!として手から風船が離れた。
でも風船はおじさんの言った通り、
その場に留まってふわふわ浮いている。

驚き過ぎて固まってしまい、
動けないどころか声も上げられない。
マリーさんはまだ騎士さんと
何か話していて、私には気付かない。
早くこっちを見て。

「・・・ありがとうございます。
素直なお嬢さんで助かりますね、
声を上げられたら少々厄介な事に
なるところでした。
あのお付きのお嬢さん、そのまま
騎士と一緒に今すぐ帰ってもらうよう
言ってもらえませんか?
かわいいお嬢さん、あなたはオレが
責任を持ってきちんと家まで直接
送り届けますよ。」

この丁寧な物腰と声は、さっきの
ローブ姿の人じゃないだろうか。

それにしても何を言っているんだろう。
私がどこの誰かも知らないのに
家に送るとか、マリーさんと離そうと
するなんて怪し過ぎる。
一体そんなの、どこの誰が
了承すると言うんだろうか。

そんな私の雰囲気を感じ取ったのか、
背後で小さくため息をついたのが
聞こえた。

「困りましたね。もうじき日も暮れる。
時間がありません。静かに、速やかに、
手際良く。一流の仕事とは常に
そうあるべきだ。
そうでなければ美しくない。
オレは常々そう思うんです。
かわいいお嬢さん、あなたも
そう思いませんか?」

なんか、急に自分の美学みたいなのを
語り出した。物腰も柔らかにそんな事を
静かに語られるとかえって怖い。

どうしよう。ナンパじゃない気がする。
変質者だろうか。それとも誘拐犯?
逆らったら殺される?

緊張し過ぎて、口から心臓が
飛び出しそうだ。

「おや、返事がありませんね。
さてどうしようか・・・。
なるべく穏便に済ませたいところですが
このままでは」

その時だった。屋台の並ぶ方から
たくさんの悲鳴や怒号が上がった。

「・・・堪え性のない。
もう始めてしまいましたか。
仕方がないですね。それではかわいい
お嬢さん、また後でお会いしましょう」

そう言うと、私の背後から気配が
消えたのが分かった。

どっと汗が出る。何今の。
得体が知れなさ過ぎて怖かった‼︎

ていうか、最後になんて言ってた?
また会いましょう⁉︎
怖い怖い、もう二度と会いたくないよ‼︎

「ユーリ様っ‼︎」

マリーさんが私を呼んだ。
思わず名前を呼んでしまったと言う事は
よっぽどの事態だ。

私も今さっきの出来事が怖かったので、
マリーさんに駆け寄って抱き着いた。

「何があったんですか?」

「分かりません、あちらの屋台の方から
火が上がっていて、みんな逃げようと
こちらに向かって走ってきてるんです。
ユーリ様、はぐれないようにしっかり
掴まっていて下さい‼︎」

見ると、私達の周りには騎士さんが
2人しかいなかった。
他の騎士さん達はこの騒ぎと人混みで
合流できなくなったか、
街の人達を助けに走っているのかも
知れない。

人が逃げようとどんどんこちらに
流れてくる。
ここはちょうど開けた庭園になっていて
逃げてきやすいのだろう。

暴れ馬が、とか屋台がめちゃくちゃだ、
とか延焼してる、とかちらほらと
聞こえてくる。

でも馬車はこの屋台がある辺りまでは
入ってこれないはずだ。

誰かがわざと馬を引き入れた?

さっきのあの、私の背後から
話しかけて来た人は何か
知っているみたいだった。
堪え性がないとか、もう始めたのか、
って言ってた。
まさかあの人が関係している?

その時だった。
逃げてくる人波にぶつかられて、
抱き合っていたマリーさんから
手が離れ、私は転んでしまった。

ユーリ様、というマリーさんの
悲鳴みたいな声が聞こえた。
騎士さんも慌てているのがかすかに
見える。

大丈夫ですっ‼︎と大きな声を上げて、
急いで立ち上がると駆け寄ろうとした。

でも、大きな川に流されるように
人波に流されてあっという間に
マリーさん達の姿が見えなくなる。

・・・ウソでしょう?
こんな形ではぐれるなんて。
この小ささが恨めしい。

人混みに押されて転ばないように、
流されるままに移動するだけで
私は精一杯だった。



















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