暴君皇帝は二度目の人生でも騎士を愛する

蒼井あざらし

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27_恋の終着

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「宮内も国民たちも、思っていたよりもずっと静かですね」

 祈里が全国民に式神を飛ばした三日後、祈里の執務室を訪れた柊はそう言った。柊の言う通り、祈里の話を聞いた国民たちの反応は予想よりもずっと静かなものだった。正直反乱が起きてもおかしくはないと思っていた祈里にとって、この反応は嬉しくもあり、不安なものでもあった。

「これまで反抗というものを知らずに生きてきたということもあるでしょうが、貴方が直接話したことも大きかったのでしょう。皆、神への畏れは忘れていませんが、貴方に対しては同調的です」

 柊の言葉に、祈里は静かに頷いた。久遠神帝国は良くも悪くも従順で信心深い国民性が強い。神を殺すと宣言した祈里の言葉に驚き恐れを抱いても、それを止めさせようと行動を起こすことはしないのだ。柊が前にも言っていた通り、皆神帝である祈里の言葉を無条件に呑み込んでしまう。それが必ずしも良いことではないということを、今の祈里は分かっていた。

「今はまだ、みんな戸惑っているんだと思う。皆これから少しずつ変わっていくはずだ」
「ええ、そうですね。本当に大変なのは神を殺した後です。これまで神帝の言葉さえ聞いていればよかったのですから、自分たちの足で進むには時間がかかりますよ。それに……それは神性という支配者の証を失う貴方も同様です」

 柊の金と黒の瞳で真っすぐと見詰められ、祈里は背筋が伸びる思いになった。前はこうして柊に見詰められることが苦手だったのに、今では柊のそんな厳しい視線も自然に受け止められるようになっていた。そう思えるようになったのは、柊の厳しい視線や言葉は全て祈里のことを真剣に考えてくれている故のことだと、そう祈里が分かっているからだろう。

「うん、分かってる。これからも頼りにしてるよ、柊。どうか頼りない私をこれからも支えてくれ」

 祈里の言葉は、紛れも無く本心からの言葉だった。柊がいなければ、きっとこの国を変えるのは無理だっただろう。こうしてこの国の真実に辿り着き、神殺しという罪を被る決意が出来たのも、柊がこれまで祈里に協力してくれたお陰だ。

「……ついて行きますとも。どこまでも、貴方と共に」

 きっといつも通り皮肉を返してくるだろうと思っていた祈里は、柊のいつのなく素直な言葉に驚いてしまった。いつも何か難しいことを考えているような険しい表情も、この時は心なしか穏やかに見えた。

 心を開いてくれている柊に祈里が嬉しくなって微笑むと、柊は少し気恥ずかしそうに咳払いをしてから話題を変えた。

「それと、朝日少将の処遇は貴方に任せます」
「ああ、ありがとう。明日会いに行くよ」
「一人で行くのですか?」

 不用心ではないかと言いたげな柊の表情を見て、祈里は緩やかに首を振った。

「大丈夫。彼はもう神を信じていないよ。それに、私にとって彼は大切な友人だから」

 朝日が御前試合でクリスの聖剣に貫かれ、神の支配から解放されたということは祈里も聞いていた。祈里に対して朝日が主従を超えた情を持っていたことを祈里も不自然に思ってはいたが、それも神によって感情を暴走させられた結果なのだろう。朝日の美徳である忠節さを歪めた神には祈里も憤りを感じているが、きっと一番苦しんでいるのは朝日自身だろう。そんな朝日だからこそ、祈里は彼とちゃんと向き合いたいのだ。

 祈里の意思が固いと分かったのか、柊は祈里を一瞥してから仕方がないといった様子で肩を竦めた。

***

 その日の夜、祈里は夕食後に私室にやって来たクリスにその日あったことを話した。祈里が記憶を取り戻した日以来、こうして就寝前にクリスと話すことが二人の日課のようになっていた。

「俺も今日は桜下隊の軍務を手伝ったが、皆落ち着いていたよ。祈里の話に、自分を重ねている者も多かった。桜下隊は軍人家系の出身者も多いからな」

 昼間に柊と話したことをクリスに伝えると、クリスもここ数日の宮内の様子を教えてくれた。

「皆色々思うところもあるだろうが、表立って否定的なことを口にしてる人はいなかったよ」
「そっか……。たとえ反抗のやり方が分からないからだったとしても、ひとまず皆が受け入れてくれて安心したよ」
「これまで祈里が頑張ってきたからこそ、皆祈里の言葉に耳を傾けたんだ」
「ありがとう。でも、僕が今こうしていられるのは皆のお陰だよ。勿論、クリスもね」

 祈里の言葉に、クリスは嬉しそうに微笑んだ。こんな風に、クリスはよく祈里に笑ってくれるようになっていた。騎士らしい優雅な笑みではなく、凛々しさの中に少し子供っぽさが残っているかのような自然な笑顔だ。クリスがそんな表情を見せてくれるようになって嬉しい反面、祈里はそんなクリスの笑顔を見る度に勝手に胸が高鳴ってしまうので少し困っていた。

 祈里が記憶を取り戻して以来、クリスは祈里に対して敬語も使わなくなり、名前を呼ぶようになった。クリスは祈里のことを十年来の親友のように思っているらしく、今では完全に対等な関係になっていた。クリスと穏やかに話せることを、クリスから笑顔を向けられることを、何度も夢に見ていた祈里にとって、今の関係はこれ以上に無い程幸せなものだった。

「そろそろ部屋に戻るよ」

 その後も宮内の話や取り留めもない話を暫くしていた二人だったが、ティーポットに入っていたハーブティーが無くなった頃、クリスがそう言って立ち上がった。祈里は名残惜しい気持ちになったが、何も言わずにクリスを部屋の出口まで見送った。

「おやすみ、祈里」

 扉の前で振り返ったクリスは、そう言って祈里の額に掠めるようなキスをした。聖国では家族や親しい間柄の相手に対して、こうして別れの挨拶をする風習がある。就寝前に話すようになってからは毎晩この挨拶をされているが、祈里は未だにその挨拶に慣れることが出来ていなかった。クリスの友愛の証だと分かっていても、友愛とは違う感情をクリスに抱いている祈里にとっては、どうしてもこの別れの挨拶は胸をざわつかせるものだった。

「あの……クリス」
「どうした?」

 そのまま部屋を出て行こうとしたクリスを、祈里は咄嗟に引き留めた。この数日、クリスに対して思うところがあった祈里は、そのことを一度ちゃんとクリスに話さなければならないと思っていたのだ。だがその話をするために、祈里は自信の羞恥心と正面から向き合う必要があった。祈里は暫く気まずい気持ちで視線を宙に漂わせていたが、祈里の言葉を待っているクリスの優し気な表情を見て、やっと言葉にする覚悟を決めた。

「最近、えっと、すごく……距離が近いというか、いや、勿論僕としてはすごく嬉しいとは思ってるんだけど、その、あんまりそういうことをされると僕も申し訳ない気持ちになるんだ。僕は、今でもクリスのことが好きだから」

 祈里は真っ赤になっているであろう自分の顔を隠すために俯きながらそう言った。クリスは祈里の気持ちなどとうに知っているだろうが、改めて口に出すと顔から火が出そうになるくらい気恥ずかしかった。クリスは心の自由を教えてくれた祈里に感謝していると言ってくれたし、祈里との約束を果たすためにこの国にも来てくれた。でも、それは祈里に対してクリスが友人として敬意を払ってくれたからであって、祈里に恋愛的な感情があった訳では無かっただろう。それを祈里は分かっていたからこそ、クリスに敢えて言わなければならなかったのだ。自分がクリスに対して抱いている情は友愛ではないのだと、そうはっきりと伝えなければならなかった。

「俺は――いや、悪い。ちゃんと言ってなかった俺が悪かった。俺が勝手に舞い上がってたみたいだ」
「……?」

 どうしてクリスが謝っているのかと不思議に思い祈里が顔を上げると、祈里を見下ろしているクリスと目が合った。クリスは不意に祈里の手を取ると、静かに口を開いた。

「俺は、神帝が魂を削られる苦しみから聖剣に惹かれることを知っていたんだ。全て、亡くなった伯父から聞いていた」
「聖剣に、惹かれる……?」
「身に覚えがあるんじゃないか」

 クリスが元から知っていたということは驚きだったが、それ以上に聖剣に惹かれるという言葉が気にかかった。祈里は一度首を傾けたが、思い返すと確かに思い当たることがあった。クリスがミュラメント王家の使者としてこの国を訪れた時、祈里はクリスに対して激しい所有欲を覚えたのだ。当時神性によって酷く感情が希薄だった祈里にとって、その燃え上がるような激情は唯一の感情とも言えるものだった。今思えば、あれは祈里の体が本能で分かっていたからなのだろう。聖剣が、自分の苦しみを救ってくれるものだと。

「前に渡したネックレスも効果があっただろう。あれは昔聖剣の刃が欠けた時の破片で作ったものなんだ。だから聖剣と同じように、異能や神性を弾く力がある」

 クリスの言葉に、祈里は無意識に胸元に手を当てた。今もその服の下には、クリスからもらった銀製のネックレスが付いている。クリスの言う通り、あのネックレスを貰った晩から祈里は悪夢を見なくなった。これまでのクリスの行動が、クリスの言葉が、パズルのピースが嵌っていくように少しずつ物事の形を明確にしていく。クリスは最初から全て知っていて、その上で祈里を助けてくれていたのだ。

「俺はずっと、祈里は聖剣に惹かれてるだけなんだと思ってた。俺に執着をするのは、聖剣を傍に置くためなんだと」
「違う、違うんだクリス。僕は本当に君のことが……」

 咄嗟に否定の言葉が口をついて出た。確かに、最初は聖剣に惹かれただけだったかもしれない。でもそれはあくまできっかけであって、今祈里がクリスを好きだと言う気持ちに一切嘘偽りはないのだ。たとえクリスが聖剣を捨てたとしても、この気持ちは絶対に変わらないという確信が祈里にはあった。

 クリスは咄嗟に弁明しようとした祈里とは対照的に、穏やかな表情で静かに頷いた。

「大丈夫だ、分かってる。それは俺が勝手にそう思ってただけだったんだ。祈里は、俺の笑った顔が好きだと言ってくれた。そう言われて、やっと気付いたんだ。聖剣が無くても、祈里は俺が好きなんだって」

 クリスの言葉を聞いて、祈里はやっと御前試合の前にクリスに聞かれた質問の意図を理解することが出来た。

『陛下は、私のどこが好きなのですか?』
『私の何が好きだったのか、今の貴方に答えられますか』

 あの時は、どうしてクリスがそんなことを聞くのか全く分からなかった。クリスは、祈里に気付かせようとしてくれていたのだ。祈里の感情が、神性によって作られたものだと言うことに。それは心底クリスを愛していた祈里にとっては、結局無駄なことではあったが。

「それを知ってから、両想いなのが嬉しくてつい一人で舞い上がってた」
「りょ……両想い!?」

 クリスの言葉に祈里が素っ頓狂な声を出すと、クリスは少し意地悪そうな笑みを浮かべて首を傾けた。その笑顔はどこか艶麗に見えるものだった。

「違うのか?」
「えっ、どう……なんだろう?」

 クリスの問いかけに、祈里もつい聞き返してしまう。クリスが両想いだと言うのならば、もしかすると両想いということになるのかもしれない。状況をよく分かっていない祈里がクリスを見返すと、クリスは意地悪そうな笑みから自然な笑みに変わっていた。

「愛しているよ、祈里。十年前、約束をした時からずっと祈里は俺の標だ」

 まるで一陣の風が通り過ぎたように、クリスの言葉が祈里を揺さぶった。その言葉の意味をちゃんと頭が理解をする前に、祈里の心が反射的に答えていた。

「僕も、クリスが好きだ」
「じゃあ両想いだな」

 そう言って笑うクリスの笑顔が余りにも綺麗で、祈里はつい泣きたくなった。それは嬉し涙でもあったが、これまでの祈里の人生の答えを貰ったかのような、そんな内省の涙でもあった。

 クリスから愛されたいだなんて、そんなことを思うことさえ烏滸がましいと思っていた。決して、望んではいけないものだと思っていた。何度もそう思い、結局最後まで諦めきれなかった恋が、今目の前にあった。

「聖国の人間は一途で情熱的なんだ。兄上から聞いただろう」

 一筋流れていった祈里の涙をそっと拭いながらクリスは言った。クリスの言葉に、祈里は歪んだ視界の中で頷く。確かに祝賀パーティーの時にルイゼオがそんなことを言っていた。どうして今そんな話をするのかと祈里が不思議に思っていると、不意にクリスの顔が近づいてきた。

「覚悟してくれ。たとえ祈里が逃げたくなっても逃がさない。騎士の愛は重いんだ」

 そんな言葉と同時に、唇が塞がれる。少し剣呑さを宿した言葉とは裏腹に、そのキスはとても優しいものだった。
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