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第六話:真実の愛の行方
しおりを挟むロッカールームには、ホストやら客やらの香水が混じり合い、ごちゃごちゃとした独特の香りが漂っている。初日は思わずえずいてしまうほどだったが、三日もすれば慣れてしまった。
今日もしこたま飲まされた。楽に金が稼げて足を洗えなくなる人間も多いそうだが、冥はこの仕事が全く楽には思えなかった。
向いてない。笑顔で接客するのも、甘い言葉を吐くのも、軽快なトークで笑いをとるのも、全部苦手だ。出来ることならさっさと情報を掴んでやめてしまいたい。
「うん、待ってるから、明日もよろしくな、かれん」
ひょっとして、森華恋のことか。
聞こえてきた名前に一気に酔いが覚めた。かれん、と口にしたのは当店のナンバーワンである綺羅斗(きらと)だ。
細かい話を聞こうと聞き耳を立てる。相槌ばかりで、会話の内容は掴めないが、甘い言葉とは裏腹に、綺羅斗の表情はうんざりとしている。あくまで声音は甘く、ナンバーワンの名を欲しいままにしているだけはあった。
電話の相手は森華恋かもしれない。ようやく掴めた糸口を離すわけにはいかなかった。
「お疲れ様っす。なんか厄介そうな客っすね」
電話を切った綺羅斗にすかさず声をかけると、彼はやれやれと髪を掻き上げた。
「うん、すんげぇ重いんだわ。太客じゃなかったらとっくに切ってる」
「大変っすね」
「まぁ、それが仕事だからな」
そう言って、綺羅斗は煙草に火をつけた。
「新人くん……名前、なんだっけ?」
「レンっす」
どうせすぐ辞めるから、と源氏名は適当につけた。悲しいかな、本名よりもマトモな名前であることに後から気付いた。
教養のない親が付けた、見てくれだけの名前。小学生の頃、名前の由来を調べる宿題で絶望した。
光のない、死者のゆく世界。
意味なんてない。格好良い漢字を使いたかったから、と悪びれもなく母親が言った。
いっそ、これを機に改名でもするか。
レンと名乗るたび、それも悪くないと考えている。
「レンくん、明日は俺のヘルプにつきなよ。ナンバーワンの仕事、間近で学んどけ」
チャンスだ。
ナンバーワンの仕事に全く興味はないが、乗らない手はない。なんせ、森愛華に会えるのかもしれないのだから。
分かりやすく食いつきそうになるが、あくまでクールを装いつつ、冥は頷いた。
「了解っす」
「きっちり教え込んでやるよ。そもそも、先輩がタバコ出してるんだから、つける素振りくらいしろ。まずは基本の接客からだな」
接客といえばノリとトーク、それに飲酒。
また飲まされるのか。うんざりした表情を表に出さないよう、冥は顔中の筋肉をフルに使って、無理やり笑顔を作った。
「ごめん、今日時間なくて顔だけ出しに来たんだ」
「俺のために来てくれるだけで超嬉しい。あ、今日の髪型、めちゃいいじゃん」
あれほど苦労して探した森華恋は、あっさりと姿を現した。ヘルプに入った冥には目もくれず、綺羅斗に身体を寄せて、歯の浮くような褒め言葉に頬を赤らめている。
トイレに行くふりをしてロッカールームに向かった冥を、華恋は気にも留めなかった。
雪村に電話を掛けると、即座に繋がった。
「森華恋、いた。ネメシスっていうホストクラブ」
「分かった。今すぐ向かう。一時間くらいかかるから、足止めしといてくれ」
一時間。さっき、時間がないと言っていた。華恋はそれくらいで帰る確率が高い。
マズイ。急いで席に戻ると、華恋はまさにブランドもののバッグを肩に掛けて帰り支度の途中だった。
せっかく掴んだチャンス。逃すわけにはいかない。
そうこうしている間に、綺羅斗にエスコートされ、華恋は店外へと向かっていく。
引き止めると言ったって、どうすればいい。
頭をフル回転させるが、無常にも玄関のドアが開く気配がして、冥は焦った。
この機会を逃したら、次に彼女に会えるのはいつになるかわからない。
「華恋さん!」
なんの考えもなしに、冥は大声で彼女を引き留めた。
「あれ、さっきのヘルプくん? 私、忘れ物でもした?」
「俺、蓮っていいます」
新人の奇行に、店中の視線が冥に集まる。
唐突な自己紹介に、愛華は不思議そうに首を傾げた。
もう、なるようになれだ。
思いつくままに、冥は言葉を続けた。
「俺のことも、見て欲しかった。居ないみたいに扱われて、寂しかったっす」
初対面の人間に、俺は何を言ってるんだ。
客やホスト達は唖然としている。しんと静まり返った店内に、冥の声はよく響いた。
「だから、名前だけでも覚えて帰ってほしい」
ぼそり、と呟くように付け加える。泣きそうな声がなんとも情けない。
先生、早く来てくれ。
出来ることは全部した。この後は流れに身を任せるしかない。でも、まずはボーイにボコボコにされる前に、逃げたい。
申し訳ございません、とフロアマネージャーが叫び、華恋に駆け寄ったが、華恋はケラケラと笑って、気にしてない、とフロアマネージャーにヒラヒラ手を振った。
「マジウケる。私は綺羅斗一筋だし担当は変えられないけど、名前だけは覚えとくね、蓮くん」
華恋がそう言い終わると同時に、自動ドアが開いた。
「すみません、うちの生徒がこちらにいると聞いたんですが……」
騒ぎを割って入ってきたのは、待ちに待った雪村だった。
助かった。
ほっと胸を撫で下ろす冥とは対局に、華恋はギョッとして、顔を引き攣らせた。
「先生、何でここに?」
「通報があったんだ。高校生がホストクラブに来店してるって」
「はぁ? ウソ、誰がチクったの」
恨みがましそうに華恋は周囲を睨みつけた。この状況では名乗り辛いが、冥が割って入ろうとした瞬間だった。
「俺だよ」
そう答えたのは綺羅斗だった。
「ごめん。財布の中に生徒証あるの見えちゃったから、学校に連絡させてもらった。高校生が来てるってバレたら捕まるのは俺らなんだわ。悪いけど、今後は出禁にさせてもらう」
先程までの営業スマイルはもう無い。入れ込んだ男の言葉に、華恋は途端に素直になって涙ぐんだ。
「……分かった。でも、綺羅斗とは別れたくない」
「いや、もう無理。ってか付き合ってないし」
ぴしゃりと即答され、華恋はわなわなと震え出した。
「ウソ、本カノにしてくれるって言ったじゃん」
「そりゃ言うでしょ。そういう商売なんだから」
綺羅斗はあっけらかんと言い退けた。現実を見せて目を覚まさせてやっている分、ホストとしてはまだマシな方なのかもしれないが、冥は思わず同情してしまう。
華恋は間違いなく、恋をしていたのだから。
「私、信じてたのに……騙すなんて、ひどいよ……」
「身分証偽って最初に騙したのはそっちだろ。俺らはむしろ被害者なんだけど」
「もういい!」
ヒステリックに叫び、華恋は店外へと飛び出した。
待て、と雪村が慌てて華恋を追いかけ、時間が動き出したかのように店内が騒めいた。華恋の場所を伝えるまでが冥の仕事だ。やるべきことはやったのだから、ここで退散してもいい。しかし、お前は行かなくていいのかと言いたげな綺羅斗の視線に耐えられず、冥も店を後にした。
ヒールの高い靴は逃げきれず、店から少し歩いたコンビニの前で、華恋は蹲っていた。雪村もしゃがみ込んで華恋を説得している。
「ご両親が心配してる。とりあえず家に帰らないか?」
「私、本気だった」
蹲ったまま、涙声で華恋が呟いた。
「最初はすんごく顔がタイプで、どうしても近付きたくて、嘘ついて入店したんだ。気付いたら、どうしようもないくらいハマっちゃった」
あくまで営業だと最初は理解していながらも、沼にハマっていく女性は少なくない。大人びていると言っても彼女も女子高生だ。甘い言葉に夢を見てしまうのも無理はなかった。
「頑張ってるね、って褒めてくれるから、私も綺羅斗のこと応援したくて、ナンバーワンにするためにパパ活で稼いでたくさんお金使ったんだ。本命だよって言われて、舞い上がっちゃった」
「先生はホスト自体を否定する気はないよ。大人になって通うこと自体、何の問題もない。良くなかったのは、森が未成年であるということと、店に年齢を偽ったことだ。これは先生の個人的な意見だが、騙されて喜ぶ人間なんていない。もしも綺羅斗さんを本気で愛しているなら、事実を言えば良かったんだ」
華恋が自棄にならないよう、雪村はゆっくりと諭した。
非行に走る彼女に一番必要なのは、信頼できる大人の言葉だ。昔の自分を思い出して、冥は改めてそう思った。
雪村のような存在がいて、華恋は恵まれている。こうやって向き合って、一緒に悩みながら、道を正してくれる。
もしも、自分が学生の時、素直に助けを求められたら。
貧乏だから進学は無理と親から言われ、納得したフリをしていた。それを伝えた時、雪村は奨学金の提案をしてくれたが、どうせ無理だと諦めて提案を蹴った。
あの時、喉元まで出掛かった言葉を飲み込まなければ。
華恋はまだやりなおせる。そのことが、少しだけ羨ましかった。
「とりあえず、一旦家に帰らないか。ご両親と本音で話をして、今後のことを考えよう。もしも、話しづらかったら、先生も同席するから」
ありがとう、と華恋が涙を拭って顔を上げた。涙でメイクが崩れてしまったせいで、今は年相応に見える。ずっと自然な、本当の姿だ。
「でも、私、もう綺羅斗は諦めようと思うんだ。あんな顔されて結構ショックだったし」
その方がいい。これから先、たくさんの誰かに出逢う中で、大切な人がきっと見つかるだろう。
色々あったが、丸く収まりそうでよかった。
一件落着、と店に戻ろうとした瞬間、衝撃的な一言が聞こえた。
「蓮くんに推し変しよっかな。ワンコ系に一途に想われるの、めちゃアリだわ」
心配して損した。
真顔の華恋を見て、冥は盛大なため息をつき、さっさと店を辞める連絡をしようと、固く決心した。
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