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「……公爵様。質問です」
「なんだ」
「なぜ、箪笥(たんす)の奥から『未記入の小切手帳』と『干からびたトカゲの死骸』がセットで出てくるのですか?」
深夜二時。
グランディール公爵邸、執務室。
私とキース公爵、そして呼び出された使用人たちは、依然として「紙の樹海」と格闘していた。
キースは私が摘み上げたトカゲの死骸を見て、少し考え込んだ。
「……ああ、それは魔術の触媒だ。希少なサラマンダーの幼体だな」
「燃えるゴミですね」
「待て! それは一本で家が建つ値段だ!」
「では、なぜそんな高価なものを防虫剤代わりに箪笥へ放り込んでいるのですか! 資産管理の意識が低すぎます!」
私はトカゲ(高級品)を専用の保存箱へと投げ入れ、代わりに小切手帳をキースの顔面に押し付けた。
「サインしてください。掃除用具の追加購入費です。経費で落とします」
「……お前、俺をなんだと思っている」
「ATM兼、作業員Aです」
キースは不服そうにしながらも、大人しくサインをした。
彼の背後では、メイド長のマーサを含む使用人たちが、白目を剥きながら書類の山を運搬している。
当初、私に反発していたマーサも、今の私の鬼気迫る指揮官ぶり――というより、「悪役令嬢」丸出しの恫喝――に、完全に屈服していた。
「おい、そこのあなた! 手が止まってるわよ! その書類の束は『Bランク・領地経営』の棚へ! 間違えて『Aランク・軍事機密』に入れたら、あなたの来月の給料から査定を引くわよ!」
「は、はいぃぃっ!」
「そっちのあなたは窓拭き! 曇り一点につきマイナス五百ゴールド!」
「お慈悲をぉぉ!」
「お慈悲は業務効率を下げます。さあ動く!」
私の怒号が飛ぶたびに、部屋が目に見えて綺麗になっていく。
快感だ。
混沌(カオス)が秩序(コスモス)へと変わっていくこの瞬間こそ、事務官にとって最高のエクスタシーである。
「……なあ、ノワル」
マスクをして埃まみれになったキースが、少し疲れた声で話しかけてきた。
「なんだか、俺の部下たちが恐怖で洗脳されている気がするんだが」
「誤解です。彼らは『効率化の喜び』に目覚めただけです」
「目が死んでいるぞ」
「気のせいです。……それより公爵様、ここにある『王家からの縁談釣書』の山はどうしますか? 三年前の日付ですが」
私は部屋の隅に積み上げられた、ピンク色の封筒の山を指差した。
キースは顔をしかめた。
「ああ、見たくもない。全部燃やしてくれ」
「了解です。暖炉の燃料にします」
私は躊躇なく、令嬢たちの愛の言葉が綴られた手紙を暖炉にくべた。
パチパチと景気良く燃え上がる炎。
「……本当に燃やすとは思わなかった」
「指示通りです。断捨離の基本は『迷ったら捨てる』。特に過去の女と期限切れのクーポンは即座に処分すべきです」
「クーポンと一緒にするな」
そうこうしているうちに、東の空が白み始めた。
「――終了」
私が宣言すると同時に、使用人たちが「終わった……」と呻きながらその場に崩れ落ちた。
執務室は見違えるようだった。
床が見える。壁が見える。
窓からは朝日が差し込み、磨き上げられたガラスがキラキラと輝いている。
書類は全て重要度別にファイリングされ、壁一面の本棚に整然と並んでいた。
「……信じられん」
キースが部屋を見渡し、呆然と呟いた。
「この部屋、こんなに広かったのか」
「ええ。床面積にして約四十畳。ダンスパーティが開ける広さですね」
私は満足げに頷き、そして一枚の張り紙をデスクの前に貼った。
「これは?」
「『執務室利用規約』です」
「……規約?」
「はい。せっかく片付けても、貴方がまた散らかしたら意味がありません。今後、この部屋を使用する際は、以下のルールを遵守していただきます」
私は指差し棒(箒の柄)で、張り紙の条文を叩いた。
「第一条:書類は使ったら元の場所に戻すこと」
「小学生か」
「第二条:机の上で食事をしないこと。特にコーヒーカップを直置きしたら罰金一万ゴールド」
「厳しいな」
「第三条:脱いだ上着を床に放置しないこと。三秒以内にハンガーにかけなければ、私が売却処分します」
「俺の服を売るな」
「第四条:私への給与支払いは遅滞なく行うこと。以上」
キースは張り紙をじっと見つめ、それから私を見て、深くため息をついた。
「……戦場の指揮官より厳しいな」
「光栄です。戦場では命が懸かっていますが、ここでは金が懸かっていますから」
「お前にとっては金の方が重いのか」
「同義です」
私は胸を張った。
すると、崩れ落ちていたマーサが、ヨロヨロと立ち上がってきた。
その顔は疲労困憊していたが、どこか憑き物が落ちたような表情をしていた。
「……ノワル様」
「なんでしょう、マーサさん。まだ拭き残しがありましたか?」
「いえ……」
マーサは部屋を見渡し、それから私に向かって深々と頭を下げた。
「お見逸れいたしました。……正直、貴族の令嬢ごときが、口先だけで何もできないと思っておりました」
「まあ、よくある偏見ですね」
「ですが、貴女様は……この魔窟を、たった一晩で……」
マーサの声が震える。
「しかも、我々使用人よりも早く動き、的確な指示を出し、一度も弱音を吐かなかった。……完敗です」
「勝負をしていたつもりはありませんが」
「いいえ、私の負けです。これからは、貴女様を『事務官様』として認め、全力でお仕えいたします」
マーサに続き、他の使用人たちも一斉に頭を下げた。
「よろしくお願いします! 事務官様!」
どうやら、恐怖による支配から、実力による信頼へとシフトしたらしい。
悪くない傾向だ。
仕事がしやすくなる。
「……分かりました。では、マーサさん。早速ですが業務命令です」
「はい! 何なりと!」
「公爵様と私に、最高級の朝食と、濃い紅茶を用意してください。糖分が必要です。私の脳が『カロリーをよこせ』と悲鳴を上げています」
「かしこまりました! 直ちに!」
マーサたちがテキパキと部屋を出て行く。
部屋に残されたのは、私とキースだけになった。
「……ふう」
私は緊張の糸が切れたように、ソファにドサリと座り込んだ。
さすがに疲れた。
徹夜での肉体労働は、十八歳の乙女の肌に悪い。
「お疲れ様、ノワル」
キースが近づいてきて、私の隣に立った。
見上げると、彼は朝日を背に、どこか清々しい顔をしていた。
「悪くない朝だ。……この部屋の空気が、こんなに澄んでいるのは初めてかもしれん」
「換気をしましたからね。瘴気が溜まっていましたよ」
「瘴気か。……ふっ」
キースは笑い、そして不器用そうに私の頭に手を置いた。
ポン、と軽く叩く。
「よくやった。……褒めてやる」
「……」
子供扱いだろうか。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
彼の冷たい手が、少しだけ熱を帯びているように感じたからかもしれない。
「褒め言葉よりも、ボーナスをお願いします」
「……お前、本当にブレないな」
「当然です。感謝の言葉で腹は膨れません」
「分かった、考えておく。……だがその前に」
キースは私の頭から手を離し、自分のデスクへと向かった。
そして、綺麗に整頓されたペン立てから一本の万年筆を取り出し、インク壺に浸した。
「仕事だ」
「は?」
「部屋が綺麗になったからな。これで心置きなく書類仕事ができる」
キースは書類の山(『本日中処理・最優先』ボックス)から一束を取り出し、サラサラとサインを始めた。
私は開いた口が塞がらなかった。
「……公爵様。徹夜明けですよ? 少しは休まないのですか?」
「俺はショートスリーパーだ。それに、お前が環境を整えてくれたおかげで、やる気が湧いてきた」
「……」
この男、本物のワーカーホリックだ。
私以上の仕事人間がここにいた。
「おい、ノワル。ここの計算が合わん。検算しろ」
「……休憩中ですが」
「残業代は出す」
「……拝見します」
私は重い体を起こし、彼の隣に立った。
どうやら、私の隠居生活への道のりは、思っていた以上に険しく、そして騒がしいものになりそうだ。
「ここです。税率の掛け方が間違っています。……まったく、私がいないと何もできないんですね、この国の『裏の宰相』様は」
「うるさい。そのための事務官だろう」
文句を言い合いながらも、ペンを走らせる音だけが、朝の静寂に心地よく響いていた。
「なんだ」
「なぜ、箪笥(たんす)の奥から『未記入の小切手帳』と『干からびたトカゲの死骸』がセットで出てくるのですか?」
深夜二時。
グランディール公爵邸、執務室。
私とキース公爵、そして呼び出された使用人たちは、依然として「紙の樹海」と格闘していた。
キースは私が摘み上げたトカゲの死骸を見て、少し考え込んだ。
「……ああ、それは魔術の触媒だ。希少なサラマンダーの幼体だな」
「燃えるゴミですね」
「待て! それは一本で家が建つ値段だ!」
「では、なぜそんな高価なものを防虫剤代わりに箪笥へ放り込んでいるのですか! 資産管理の意識が低すぎます!」
私はトカゲ(高級品)を専用の保存箱へと投げ入れ、代わりに小切手帳をキースの顔面に押し付けた。
「サインしてください。掃除用具の追加購入費です。経費で落とします」
「……お前、俺をなんだと思っている」
「ATM兼、作業員Aです」
キースは不服そうにしながらも、大人しくサインをした。
彼の背後では、メイド長のマーサを含む使用人たちが、白目を剥きながら書類の山を運搬している。
当初、私に反発していたマーサも、今の私の鬼気迫る指揮官ぶり――というより、「悪役令嬢」丸出しの恫喝――に、完全に屈服していた。
「おい、そこのあなた! 手が止まってるわよ! その書類の束は『Bランク・領地経営』の棚へ! 間違えて『Aランク・軍事機密』に入れたら、あなたの来月の給料から査定を引くわよ!」
「は、はいぃぃっ!」
「そっちのあなたは窓拭き! 曇り一点につきマイナス五百ゴールド!」
「お慈悲をぉぉ!」
「お慈悲は業務効率を下げます。さあ動く!」
私の怒号が飛ぶたびに、部屋が目に見えて綺麗になっていく。
快感だ。
混沌(カオス)が秩序(コスモス)へと変わっていくこの瞬間こそ、事務官にとって最高のエクスタシーである。
「……なあ、ノワル」
マスクをして埃まみれになったキースが、少し疲れた声で話しかけてきた。
「なんだか、俺の部下たちが恐怖で洗脳されている気がするんだが」
「誤解です。彼らは『効率化の喜び』に目覚めただけです」
「目が死んでいるぞ」
「気のせいです。……それより公爵様、ここにある『王家からの縁談釣書』の山はどうしますか? 三年前の日付ですが」
私は部屋の隅に積み上げられた、ピンク色の封筒の山を指差した。
キースは顔をしかめた。
「ああ、見たくもない。全部燃やしてくれ」
「了解です。暖炉の燃料にします」
私は躊躇なく、令嬢たちの愛の言葉が綴られた手紙を暖炉にくべた。
パチパチと景気良く燃え上がる炎。
「……本当に燃やすとは思わなかった」
「指示通りです。断捨離の基本は『迷ったら捨てる』。特に過去の女と期限切れのクーポンは即座に処分すべきです」
「クーポンと一緒にするな」
そうこうしているうちに、東の空が白み始めた。
「――終了」
私が宣言すると同時に、使用人たちが「終わった……」と呻きながらその場に崩れ落ちた。
執務室は見違えるようだった。
床が見える。壁が見える。
窓からは朝日が差し込み、磨き上げられたガラスがキラキラと輝いている。
書類は全て重要度別にファイリングされ、壁一面の本棚に整然と並んでいた。
「……信じられん」
キースが部屋を見渡し、呆然と呟いた。
「この部屋、こんなに広かったのか」
「ええ。床面積にして約四十畳。ダンスパーティが開ける広さですね」
私は満足げに頷き、そして一枚の張り紙をデスクの前に貼った。
「これは?」
「『執務室利用規約』です」
「……規約?」
「はい。せっかく片付けても、貴方がまた散らかしたら意味がありません。今後、この部屋を使用する際は、以下のルールを遵守していただきます」
私は指差し棒(箒の柄)で、張り紙の条文を叩いた。
「第一条:書類は使ったら元の場所に戻すこと」
「小学生か」
「第二条:机の上で食事をしないこと。特にコーヒーカップを直置きしたら罰金一万ゴールド」
「厳しいな」
「第三条:脱いだ上着を床に放置しないこと。三秒以内にハンガーにかけなければ、私が売却処分します」
「俺の服を売るな」
「第四条:私への給与支払いは遅滞なく行うこと。以上」
キースは張り紙をじっと見つめ、それから私を見て、深くため息をついた。
「……戦場の指揮官より厳しいな」
「光栄です。戦場では命が懸かっていますが、ここでは金が懸かっていますから」
「お前にとっては金の方が重いのか」
「同義です」
私は胸を張った。
すると、崩れ落ちていたマーサが、ヨロヨロと立ち上がってきた。
その顔は疲労困憊していたが、どこか憑き物が落ちたような表情をしていた。
「……ノワル様」
「なんでしょう、マーサさん。まだ拭き残しがありましたか?」
「いえ……」
マーサは部屋を見渡し、それから私に向かって深々と頭を下げた。
「お見逸れいたしました。……正直、貴族の令嬢ごときが、口先だけで何もできないと思っておりました」
「まあ、よくある偏見ですね」
「ですが、貴女様は……この魔窟を、たった一晩で……」
マーサの声が震える。
「しかも、我々使用人よりも早く動き、的確な指示を出し、一度も弱音を吐かなかった。……完敗です」
「勝負をしていたつもりはありませんが」
「いいえ、私の負けです。これからは、貴女様を『事務官様』として認め、全力でお仕えいたします」
マーサに続き、他の使用人たちも一斉に頭を下げた。
「よろしくお願いします! 事務官様!」
どうやら、恐怖による支配から、実力による信頼へとシフトしたらしい。
悪くない傾向だ。
仕事がしやすくなる。
「……分かりました。では、マーサさん。早速ですが業務命令です」
「はい! 何なりと!」
「公爵様と私に、最高級の朝食と、濃い紅茶を用意してください。糖分が必要です。私の脳が『カロリーをよこせ』と悲鳴を上げています」
「かしこまりました! 直ちに!」
マーサたちがテキパキと部屋を出て行く。
部屋に残されたのは、私とキースだけになった。
「……ふう」
私は緊張の糸が切れたように、ソファにドサリと座り込んだ。
さすがに疲れた。
徹夜での肉体労働は、十八歳の乙女の肌に悪い。
「お疲れ様、ノワル」
キースが近づいてきて、私の隣に立った。
見上げると、彼は朝日を背に、どこか清々しい顔をしていた。
「悪くない朝だ。……この部屋の空気が、こんなに澄んでいるのは初めてかもしれん」
「換気をしましたからね。瘴気が溜まっていましたよ」
「瘴気か。……ふっ」
キースは笑い、そして不器用そうに私の頭に手を置いた。
ポン、と軽く叩く。
「よくやった。……褒めてやる」
「……」
子供扱いだろうか。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
彼の冷たい手が、少しだけ熱を帯びているように感じたからかもしれない。
「褒め言葉よりも、ボーナスをお願いします」
「……お前、本当にブレないな」
「当然です。感謝の言葉で腹は膨れません」
「分かった、考えておく。……だがその前に」
キースは私の頭から手を離し、自分のデスクへと向かった。
そして、綺麗に整頓されたペン立てから一本の万年筆を取り出し、インク壺に浸した。
「仕事だ」
「は?」
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キースは書類の山(『本日中処理・最優先』ボックス)から一束を取り出し、サラサラとサインを始めた。
私は開いた口が塞がらなかった。
「……公爵様。徹夜明けですよ? 少しは休まないのですか?」
「俺はショートスリーパーだ。それに、お前が環境を整えてくれたおかげで、やる気が湧いてきた」
「……」
この男、本物のワーカーホリックだ。
私以上の仕事人間がここにいた。
「おい、ノワル。ここの計算が合わん。検算しろ」
「……休憩中ですが」
「残業代は出す」
「……拝見します」
私は重い体を起こし、彼の隣に立った。
どうやら、私の隠居生活への道のりは、思っていた以上に険しく、そして騒がしいものになりそうだ。
「ここです。税率の掛け方が間違っています。……まったく、私がいないと何もできないんですね、この国の『裏の宰相』様は」
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