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「エスター・ド・ヴァリエール! 貴様のような冷酷で、慈悲の心を持たぬ女との婚約を、私は今この場を持って破棄する!」
きらびやかな王城の夜会。その中心で、第一王子セドリックが朗々と声を張り上げた。
シャンデリアの光を浴びて、彼はこれ以上ないほどドラマチックなポーズを決めている。
私は、手に持っていたカナッペを飲み込むのを、辛うじて踏みとどまった。
(……きた、きたきたきたー!)
内心でガッツポーズ。脳内では拍手喝采の嵐だ。
私はゆっくりと、持っていた皿を近くの給仕に預けた。そして、生まれつきの三白眼を最大限に活かし、冷徹な令嬢の仮面を被る。
「……殿下、それは本気で仰っているのですか?」
「ふん、今さら命乞いをしても遅い! 私の隣に相応しいのは、貴様のように人を睨みつける蛇女ではない。この、花のように愛らしいマリアだ!」
セドリックの隣には、これまたこれ以上ないほど「守ってあげたいヒロイン」を体現したような男爵令嬢、マリアが寄り添っている。
マリアは私の視線に怯えるふりをして、セドリックの腕をぎゅっと掴んだ。
「……ひっ。セドリック様、怖いです。エスター様が、まるで私を呪い殺すような目で見てきます……!」
(いや、それはただのドライアイ。さっきからまばたきを我慢してるだけだから)
私は心の中でツッコミを入れつつ、さらに凄みを利かせて一歩踏み出した。
「マリア様。私が……怖い、と仰いましたの?」
「ひっ、はいぃ! その、三白眼が……いえ、鋭い眼光が恐ろしくて!」
「……ふふっ、あはははは!」
私は扇で口元を隠し、高らかに笑ってみせた。悪役令嬢らしく、高圧的に。
「よろしいですわ、セドリック殿下! そこまで仰るのなら、この私から身を引いて差し上げます!」
「な、何だと……? もっと泣いて縋るか、マリアに嫌がらせをしていたことを否定するかと思ったが……」
セドリックが少し拍子抜けしたような顔をする。
どうやら彼は、私が泣き叫ぶ姿を皆に見せつけて、自分が「悪女を成敗したヒーロー」になる快感に浸りたかったらしい。
残念。私の望みは、たった一つ。
「身に覚えのない罪を並べ立てられ、衆人環視の中で辱めを受ける……。もはや、この国に私の居場所などございません。……そうでしょう?」
「あ、ああ。貴様のような女は、我が国の品位を汚す。明日にはこの王都から出て行くがいい! 領地の果ての、あのボロ屋敷で一生反省するんだな!」
(最高。神様ありがとう。セドリック殿下、今日だけは貴方が神に見えるわ)
私はこれ以上口角が上がるのを抑えるため、わざとらしく顔を伏せ、肩を震わせた。
「……っ! わかり、ましたわ……! 明日、日が昇る前にここを発ちます!」
「ふん、潔いことだ。さらばだ、エスター!」
セドリックは満足げに鼻を鳴らし、マリアを連れて会場の奥へと消えていった。
周囲からは、私を蔑むような、あるいは同情するようなヒソヒソ声が聞こえてくる。
「まあ、あのヴァリエール家の冷徹令嬢がついに……」
「あの目を見れば納得ね。きっと裏でマリア様に酷いことをしていたんだわ」
私はそんな声を背中で受け止めながら、足早に会場を後にした。
足取りが軽い。羽が生えたように軽い。
(やった……! ついに手に入れた! 自由だ! 働かなくていい、誰の顔色もうかがわなくていいニート生活!)
馬車に乗り込んだ瞬間、私は背もたれに深く体を預けて、深呼吸をした。
「お嬢様。……そんなにニヤニヤされては、悪役令嬢としての威厳が台無しですよ」
馬車の中で待っていた侍女のアンが、呆れたように私を見た。
「いいのよアン! 今の見た? 殿下のあのドヤ顔! 『ボロ屋敷へ行け』って言われた瞬間の私の気持ち、アンにわかる?」
「わかりますよ。お嬢様が三年前から、わざと殿下に嫌われるように振る舞い、コツコツと悪評を積み上げてきたのを一番近くで見てきましたから」
「そう! この日のために、私は三白眼を活かした威嚇メイクを研究し、社交界では一切笑わず、マリア様には『私の代わりに王子を押しつける』ための交渉を重ねてきたんだから!」
そう、これは全て計画通り。
私は前世の記憶があるわけでも、特別な魔法が使えるわけでもない。
ただ、極度の「面倒くさがり」なのだ。
公爵令嬢として生まれ、常に完璧を求められ、将来は興味もないナルシスト王子の妃として一生を捧げる。
そんなの、考えるだけで肩が凝る。
「さあ、帰ったらすぐに荷造りよ! 最低限の服と、あとは寝具! 最高級の羽毛布団は絶対に持っていくわよ!」
「はいはい。もう準備はほとんど済んでいます。お嬢様がいつ婚約破棄されてもいいようにね」
「さすがアン! 話がわかるわ!」
馬車が屋敷へ向かって走り出す。
夜空に浮かぶ月さえも、今の私にはミラーボールのように輝いて見える。
明日からは、午前中に起きる必要さえないのだ。
昼まで寝て、起きたら美味しいお菓子を食べて、また寝る。
これこそが、私が追い求めていた真の貴族の姿。
しかし、この時の私はまだ知らなかった。
自由を求めて逃げ出した先で、さらに面倒な「氷の公爵」という名の巨大な障害が待ち構えていることを。
そして、私の自慢の三白眼が、とんでもない誤解を招くことになるということも。
「ふふ、ふふふふ……。さらば、王都。さらば、王子。私は自由なニートになるわ!」
エスター・ド・ヴァリエールの新しい人生は、今、最高に不名誉な形で幕を開けたのである。
きらびやかな王城の夜会。その中心で、第一王子セドリックが朗々と声を張り上げた。
シャンデリアの光を浴びて、彼はこれ以上ないほどドラマチックなポーズを決めている。
私は、手に持っていたカナッペを飲み込むのを、辛うじて踏みとどまった。
(……きた、きたきたきたー!)
内心でガッツポーズ。脳内では拍手喝采の嵐だ。
私はゆっくりと、持っていた皿を近くの給仕に預けた。そして、生まれつきの三白眼を最大限に活かし、冷徹な令嬢の仮面を被る。
「……殿下、それは本気で仰っているのですか?」
「ふん、今さら命乞いをしても遅い! 私の隣に相応しいのは、貴様のように人を睨みつける蛇女ではない。この、花のように愛らしいマリアだ!」
セドリックの隣には、これまたこれ以上ないほど「守ってあげたいヒロイン」を体現したような男爵令嬢、マリアが寄り添っている。
マリアは私の視線に怯えるふりをして、セドリックの腕をぎゅっと掴んだ。
「……ひっ。セドリック様、怖いです。エスター様が、まるで私を呪い殺すような目で見てきます……!」
(いや、それはただのドライアイ。さっきからまばたきを我慢してるだけだから)
私は心の中でツッコミを入れつつ、さらに凄みを利かせて一歩踏み出した。
「マリア様。私が……怖い、と仰いましたの?」
「ひっ、はいぃ! その、三白眼が……いえ、鋭い眼光が恐ろしくて!」
「……ふふっ、あはははは!」
私は扇で口元を隠し、高らかに笑ってみせた。悪役令嬢らしく、高圧的に。
「よろしいですわ、セドリック殿下! そこまで仰るのなら、この私から身を引いて差し上げます!」
「な、何だと……? もっと泣いて縋るか、マリアに嫌がらせをしていたことを否定するかと思ったが……」
セドリックが少し拍子抜けしたような顔をする。
どうやら彼は、私が泣き叫ぶ姿を皆に見せつけて、自分が「悪女を成敗したヒーロー」になる快感に浸りたかったらしい。
残念。私の望みは、たった一つ。
「身に覚えのない罪を並べ立てられ、衆人環視の中で辱めを受ける……。もはや、この国に私の居場所などございません。……そうでしょう?」
「あ、ああ。貴様のような女は、我が国の品位を汚す。明日にはこの王都から出て行くがいい! 領地の果ての、あのボロ屋敷で一生反省するんだな!」
(最高。神様ありがとう。セドリック殿下、今日だけは貴方が神に見えるわ)
私はこれ以上口角が上がるのを抑えるため、わざとらしく顔を伏せ、肩を震わせた。
「……っ! わかり、ましたわ……! 明日、日が昇る前にここを発ちます!」
「ふん、潔いことだ。さらばだ、エスター!」
セドリックは満足げに鼻を鳴らし、マリアを連れて会場の奥へと消えていった。
周囲からは、私を蔑むような、あるいは同情するようなヒソヒソ声が聞こえてくる。
「まあ、あのヴァリエール家の冷徹令嬢がついに……」
「あの目を見れば納得ね。きっと裏でマリア様に酷いことをしていたんだわ」
私はそんな声を背中で受け止めながら、足早に会場を後にした。
足取りが軽い。羽が生えたように軽い。
(やった……! ついに手に入れた! 自由だ! 働かなくていい、誰の顔色もうかがわなくていいニート生活!)
馬車に乗り込んだ瞬間、私は背もたれに深く体を預けて、深呼吸をした。
「お嬢様。……そんなにニヤニヤされては、悪役令嬢としての威厳が台無しですよ」
馬車の中で待っていた侍女のアンが、呆れたように私を見た。
「いいのよアン! 今の見た? 殿下のあのドヤ顔! 『ボロ屋敷へ行け』って言われた瞬間の私の気持ち、アンにわかる?」
「わかりますよ。お嬢様が三年前から、わざと殿下に嫌われるように振る舞い、コツコツと悪評を積み上げてきたのを一番近くで見てきましたから」
「そう! この日のために、私は三白眼を活かした威嚇メイクを研究し、社交界では一切笑わず、マリア様には『私の代わりに王子を押しつける』ための交渉を重ねてきたんだから!」
そう、これは全て計画通り。
私は前世の記憶があるわけでも、特別な魔法が使えるわけでもない。
ただ、極度の「面倒くさがり」なのだ。
公爵令嬢として生まれ、常に完璧を求められ、将来は興味もないナルシスト王子の妃として一生を捧げる。
そんなの、考えるだけで肩が凝る。
「さあ、帰ったらすぐに荷造りよ! 最低限の服と、あとは寝具! 最高級の羽毛布団は絶対に持っていくわよ!」
「はいはい。もう準備はほとんど済んでいます。お嬢様がいつ婚約破棄されてもいいようにね」
「さすがアン! 話がわかるわ!」
馬車が屋敷へ向かって走り出す。
夜空に浮かぶ月さえも、今の私にはミラーボールのように輝いて見える。
明日からは、午前中に起きる必要さえないのだ。
昼まで寝て、起きたら美味しいお菓子を食べて、また寝る。
これこそが、私が追い求めていた真の貴族の姿。
しかし、この時の私はまだ知らなかった。
自由を求めて逃げ出した先で、さらに面倒な「氷の公爵」という名の巨大な障害が待ち構えていることを。
そして、私の自慢の三白眼が、とんでもない誤解を招くことになるということも。
「ふふ、ふふふふ……。さらば、王都。さらば、王子。私は自由なニートになるわ!」
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