婚約破棄で謳歌するはずが、構ってほしそうにこっちを見てる?

どんぶり

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「……お嬢様。いえ、女王陛下。本日はついに、お嬢様の『不働』の評判を妬んだ闇の森の呪術師が、城内に潜入した模様です」


アンの、もはや日常茶飯事といった体温の低い声が、私の微睡みを優しく(物理的には冷酷に)引き裂く。


私は、アルベルトが「女王の安眠を妨げる微振動さえも感知して中和する」と豪語して開発させた浮遊寝床の中で、眉間に皺を寄せた。


「……アン。呪術師? そんな怪しげな人、私の人生のタイムラインには存在しないわ。……お茶でも出して、さっさと帰っていただいて……」


「そうはいきませんが、彼女、アルベルト様の強力な結界を『不幸のオーラ』だけで通り抜けてきました。現在、リビングの中央で禍々しい杖を振り回し、『エスターを永遠の闇に葬る!』と絶叫しておりますよ」


(……。永遠の闇? それって、遮光カーテンを閉めた後の寝室のことかしら?)


私は睡魔と好奇心が天秤にかけられ、僅差で睡魔が勝利しかけたところで、リビングから「オホホホ!」という高笑いが聞こえてきた。


「……うるさい。高周波が頭に響くわ。……アン、私のガウン。一番厚手で、そのまま寝てもシワにならないやつを持ってきて」


私は重い体を引きずり、アンに支えられながら(半分浮遊しながら)リビングへと向かった。


そこには、ボロボロの黒いローブを纏い、ドクロの杖を構えた老婆が、紫色の煙を立ち昇らせて立っていた。


彼女は私の姿を見るなり、杖を突きつけて勝ち誇ったように叫んだ。


「見つけたわ、怠惰の女王エスター! 貴様のその不遜な平穏、今日が最後よ! この『闇の呪術師モルガナ』が、貴様に最も恐ろしい呪いをかけてやるわ!」


(……。恐ろしい呪い? 毎朝五時に強制的に起こされるとかかしら? それは確かに怖いわね)


私は眩しさに耐えるために三白眼をギリリと細め、充血した瞳でモルガナを凝視した。


「……。早くして。私は今、プリンが空から降ってくる夢の途中なの。……要件は何?」


地を這うような、かすれた、死神すらもドン引きしそうな超低音。


モルガナは一瞬怯んだが、すぐに醜悪な笑みを浮かべた。


「ふふふ……。貴様にかけるのは、古の禁忌! 『永劫不覚の呪(エターナル・スリープ)』よ! これを受けた者は、いかなる魔法でも目覚めることはない! 死ぬまでベッドの上で、永遠に夢の中に閉じ込められるのよ!」


一瞬、静寂が訪れた。


背後でアルベルトが、激昂して氷の魔力を爆発させようとした。


「おのれ、老婆……! 私のエスターに、目覚めることのない眠りだと!? 今すぐ貴様を原子レベルで氷漬けにして――」


「……待ちなさい、アルベルト」


私は掠れた声でアルベルトを制止した。


私の心臓は、かつてないほどの高鳴り(※ただし省エネモード)を見せていた。


(……えっ? いかなる魔法でも目覚めない? 死ぬまでベッドの上? 永遠に夢の中?)


私は三白眼を大きく見開き、モルガナの方へ一歩(アンに支えられながら)歩み寄った。


「……。その呪い、今すぐかけてちょうだい。……出し惜しみは無しよ」


「……は?」


モルガナが呆気に取られた声を出す。


「……聞こえなかった? その『エターナル・スリープ』っていうの、早く私にかけて。……今すぐ、ここ(ソファ)で受けるわ。準備はできているの」


「な、何を言っているの!? 目覚めないのよ!? 二度と美味しいものも食べられないし、社交界でちやほやされることもないのよ!?」


「……美味しいものは、夢の中で食べるからいいわ。……社交界なんて、呼吸するより面倒な場所、最初から求めていないのよ。……さあ、早く! 私の人生、そのためにあったと言っても過言じゃないわ!」


私はモルガナの手を握らんばかりの勢いで詰め寄った(実際には倒れ込みそうになっただけだ)。


モルガナは、その場に崩れ落ちそうになりながら後退した。


「……な、なんて奴……! 呪いを……『ご褒美』だと言い切るなんて……! 貴様の精神、一体どうなっているの!? 私の何十年もの修行の成果が、ただの『安眠グッズ』扱いだなんて……!」


すると、背後で見ていた勇者カイゼルや聖女クララたちが、一斉に涙を流し始めた。


「……素晴らしい! 女王陛下は、呪いという名の『悪意』さえも、自らの『至福』へと変換してしまわれた! これこそ、真の不働の極致!」


「エスター様……! 貴女様は、老婆の負のエネルギーを浄化し、彼女の存在理由さえも否定することで救済されたのですね……!」


(いや、ただ寝たいだけなんだけど)


モルガナは、杖を落とし、呆然と私を見上げた。


「……負けたわ。呪い師としてのプライドが、粉々に砕け散ったわ。……貴女に呪いをかけるなんて、私にはできない。そんなの……ただの『お疲れ様会』じゃない……!」


「……えっ、かけてくれないの? ケチね」


私は本気でがっかりして、三白眼をさらに細めた。


モルガナは突然、その場で平伏した。


「女王陛下……! 私は今日から、貴女の『安眠専門の呪術師』になります! 貴女の周囲に、最高級の静寂と、最高級の枕の柔らかさを維持する呪いをかけ続けさせてください!」


「……静寂? ……いいわ。採用。……早速、私の部屋を『絶対に音が聞こえない空間』にしてちょうだい」


「御意に、陛下ぁぁ!!」


モルガナは感激しながら、私の寝室へと駆けていった。


アルベルトが、私の肩を抱き寄せ、情熱的に囁いた。


「エスター。君は、呪い師の殺意さえも、君を甘やかすための道具に変えたのか……。君のその、全てを無効化する怠惰……。私は、もう君なしでは一秒も生きていけない……!」


(……アルベルト。……貴方は、もうずっと前からそうよね)


アンが、新しい寝袋(※呪術師監修)を準備しながらぼそりと呟く。


「お嬢様。これで当屋敷に『呪術部門』も設立されました。防犯も安眠も、もはや完璧ですね」


「……そうね。……じゃあ、私は、呪われてくるわ……」


私は、モルガナが精魂込めて「快眠の呪い」をかけたベッドへとダイブした。


翌日のニュースでは、『女王エスター、闇の呪術を「癒やし」へと昇華させ、死の呪いを究極の快眠へと変える』という、もはや意味不明な偉業として報じられることになる。


王都のセドリック王子が、自分の執務室で「……俺も、その呪術師、紹介してもらえないかな……?」と、不眠症による目の下のクマを擦りながら独り言を言っていたのは、もはや日常の風景であった。
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