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「……女王陛下。エスター女王陛下。本日はついに、お隣の国のトップ……アルベルト様の主君である皇帝陛下が、自らお越しになりました」
アンの、もはや神を憐れむような乾いた声が、私の至高の惰眠を無慈悲に粉砕する。
私は、呪術師モルガナが「音波を完全に吸収する闇の繭」として改造した寝床の中で、眉間に深い溝を刻んだ。
「……アン。皇帝? そんなキラキラした肩書の人は、私の辞書には載っていないわ。……帰っていただいて。私は今、重力と和解して、自分の体が羽毛の一部になる大事なプロセスの最中なの……」
「そうは仰いましても、皇帝陛下は『我が国の至宝(アルベルト様)を誘拐した魔女の顔を拝みに来た!』と仰りつつ、背後に百台の馬車を連ねております。その中身は、全て大陸全土から集められた希少な高級食材だそうですよ」
(……。……。……。……高級食材。……百台。……百台分のご飯……!)
私の脳内の「食欲」という名のエンジンの回転数が、僅かに上がった。
「……。……。……アン。私の『女王の戦闘服(※パジャマに見えるが実は最高級シルクのドレス)』を持ってきて。……お隣の陛下を、空腹のまま帰すのは失礼だわ(私が食べたいだけだけど)」
私は重い体を引きずり、アンに支えられながら、半分意識が飛んだ状態で謁見の間へと向かった。
そこには、黄金の刺繍を施した軍服を纏い、威厳に満ちた表情で椅子に座る初老の男性――皇帝マクシミリアンがいた。
彼の横では、アルベルトが今にも主君を氷漬けにしそうなほど殺気立って立ちはだかっている。
「陛下。エスターをこれ以上待たせるなら、たとえ我が主君であっても、私の魔力の錆にして差し上げますよ」
「アルベルト……。お前、本当に別の生き物になってしまったのだな。あの冷徹だった公爵が、今やただの『忠実な猟犬』ではないか……」
ガチャリ。
私が扉を開け、寝癖で凄まじいことになった髪を振り乱しながら、浮遊王座に乗って現れた。
私は眩しさに耐えるために三白眼をギリリと剥き、低血圧でチカチカする視界を安定させるために皇帝を凝視した。
「……うるさい。……挨拶は三文字以内にしてちょうだい。耳が疲れるわ」
地を這うような、かすれた、世界の終末を予告するような超低音。
マクシミリアン皇帝は、私の姿を見るなり、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
「……っ! な、なんだその威圧感は……! 一切の虚飾を廃し、パジャマ(に見えるドレス)一つで皇帝の前に現れる、その不敵なまでの自信……! エスター嬢、貴女、何という高潔な魂の持ち主だ!」
(……。いや、ただ着替えるのが面倒だっただけよ)
私は浮遊王座に深く沈み込み、三白眼で彼をじっと「観察」した。本当は、視点を動かすのが怠くて固定されているだけなのだが。
「皇帝陛下……。……馬車百台分の食材、……どこ? ……早くしないと、私の胃袋が暴動を起こして、この国を飲み込んでしまうわよ」
「……おお! 今の声……! 『食材など供え物の一部に過ぎない、私の渇きを癒せると思うな』という、底知れぬ強欲……いや、王者の渇望! 素晴らしい! アルベルトが国を捨ててまで跪く理由がわかったぞ!」
(……。いや、お腹空いてるだけよ)
マクシミリアン皇帝は感動に震え、アルベルトの肩を叩いた。
「アルベルト! 安心しろ、私はお前を連れ戻しに来たのではない! 私は……私は、この素晴らしき『不働の女神』のスポンサーになりたいのだ!」
「……は?」
アルベルトと私の声が重なった。
「我が国は今、繁栄しすぎて皆、疲れ切っている。だが、エスター陛下のような『動かない、働かない、睨むだけ』という究極のリーダーシップこそ、今の時代に必要だ! 私は、我が国の次世代の指導者たちを、ここに留学させたい!」
(……。留学? 私の国で寝るだけなのに?)
「エスター陛下! 今日から百台の馬車は『定期便』にしよう! 代わりに、我が国の疲弊した大臣たちに、その三白眼で『休め』という一瞥を授けてやってはくれないか!」
「……一瞥? ……いいわ。……彼らが美味しいお菓子を置いていくなら、……いくらでも睨んであげるわ」
私はマカロンを一つつまみ、口に放り込みながら三白眼を最大出力で細めた。
「……っ! 今の眼差し! 『菓子ごときで私を動かせると思うな、跪け』という沈黙の鉄槌……! ああ、癒やされる……!」
皇帝までもが、その場でうっとりと目を閉じ始めた。
アンが、手際よく皇帝との「食材供給契約書」を作成しながら、ぼそりと呟く。
「お嬢様、おめでとうございます。これで当国の『食糧自給率(※他国からの略奪……ではなく献上)』は一千パーセントを超えました」
「……。いいわ。……私は、もう、寝るわよ。……皇帝、……あとでプリンを忘れないでね」
私は浮遊王座を反転させ、寝室へと戻っていった。
翌日の隣国の官報には、『エスター女王、皇帝を食材の貢ぎ物のみで心服させる。不働王国の食卓は、今や大陸一の豪華さを誇る』という、もはや意味不明な外交の成功例として報じられることになる。
王都のセドリック王子が、自分の空っぽのキッチンで、一人、乾いたパンをかじりながら「……隣の皇帝まで、あっちの味方かよ……?」と、涙でパンを湿らせていたのは、誰にも知られることのない寂しい朝の風景であった。
アンの、もはや神を憐れむような乾いた声が、私の至高の惰眠を無慈悲に粉砕する。
私は、呪術師モルガナが「音波を完全に吸収する闇の繭」として改造した寝床の中で、眉間に深い溝を刻んだ。
「……アン。皇帝? そんなキラキラした肩書の人は、私の辞書には載っていないわ。……帰っていただいて。私は今、重力と和解して、自分の体が羽毛の一部になる大事なプロセスの最中なの……」
「そうは仰いましても、皇帝陛下は『我が国の至宝(アルベルト様)を誘拐した魔女の顔を拝みに来た!』と仰りつつ、背後に百台の馬車を連ねております。その中身は、全て大陸全土から集められた希少な高級食材だそうですよ」
(……。……。……。……高級食材。……百台。……百台分のご飯……!)
私の脳内の「食欲」という名のエンジンの回転数が、僅かに上がった。
「……。……。……アン。私の『女王の戦闘服(※パジャマに見えるが実は最高級シルクのドレス)』を持ってきて。……お隣の陛下を、空腹のまま帰すのは失礼だわ(私が食べたいだけだけど)」
私は重い体を引きずり、アンに支えられながら、半分意識が飛んだ状態で謁見の間へと向かった。
そこには、黄金の刺繍を施した軍服を纏い、威厳に満ちた表情で椅子に座る初老の男性――皇帝マクシミリアンがいた。
彼の横では、アルベルトが今にも主君を氷漬けにしそうなほど殺気立って立ちはだかっている。
「陛下。エスターをこれ以上待たせるなら、たとえ我が主君であっても、私の魔力の錆にして差し上げますよ」
「アルベルト……。お前、本当に別の生き物になってしまったのだな。あの冷徹だった公爵が、今やただの『忠実な猟犬』ではないか……」
ガチャリ。
私が扉を開け、寝癖で凄まじいことになった髪を振り乱しながら、浮遊王座に乗って現れた。
私は眩しさに耐えるために三白眼をギリリと剥き、低血圧でチカチカする視界を安定させるために皇帝を凝視した。
「……うるさい。……挨拶は三文字以内にしてちょうだい。耳が疲れるわ」
地を這うような、かすれた、世界の終末を予告するような超低音。
マクシミリアン皇帝は、私の姿を見るなり、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
「……っ! な、なんだその威圧感は……! 一切の虚飾を廃し、パジャマ(に見えるドレス)一つで皇帝の前に現れる、その不敵なまでの自信……! エスター嬢、貴女、何という高潔な魂の持ち主だ!」
(……。いや、ただ着替えるのが面倒だっただけよ)
私は浮遊王座に深く沈み込み、三白眼で彼をじっと「観察」した。本当は、視点を動かすのが怠くて固定されているだけなのだが。
「皇帝陛下……。……馬車百台分の食材、……どこ? ……早くしないと、私の胃袋が暴動を起こして、この国を飲み込んでしまうわよ」
「……おお! 今の声……! 『食材など供え物の一部に過ぎない、私の渇きを癒せると思うな』という、底知れぬ強欲……いや、王者の渇望! 素晴らしい! アルベルトが国を捨ててまで跪く理由がわかったぞ!」
(……。いや、お腹空いてるだけよ)
マクシミリアン皇帝は感動に震え、アルベルトの肩を叩いた。
「アルベルト! 安心しろ、私はお前を連れ戻しに来たのではない! 私は……私は、この素晴らしき『不働の女神』のスポンサーになりたいのだ!」
「……は?」
アルベルトと私の声が重なった。
「我が国は今、繁栄しすぎて皆、疲れ切っている。だが、エスター陛下のような『動かない、働かない、睨むだけ』という究極のリーダーシップこそ、今の時代に必要だ! 私は、我が国の次世代の指導者たちを、ここに留学させたい!」
(……。留学? 私の国で寝るだけなのに?)
「エスター陛下! 今日から百台の馬車は『定期便』にしよう! 代わりに、我が国の疲弊した大臣たちに、その三白眼で『休め』という一瞥を授けてやってはくれないか!」
「……一瞥? ……いいわ。……彼らが美味しいお菓子を置いていくなら、……いくらでも睨んであげるわ」
私はマカロンを一つつまみ、口に放り込みながら三白眼を最大出力で細めた。
「……っ! 今の眼差し! 『菓子ごときで私を動かせると思うな、跪け』という沈黙の鉄槌……! ああ、癒やされる……!」
皇帝までもが、その場でうっとりと目を閉じ始めた。
アンが、手際よく皇帝との「食材供給契約書」を作成しながら、ぼそりと呟く。
「お嬢様、おめでとうございます。これで当国の『食糧自給率(※他国からの略奪……ではなく献上)』は一千パーセントを超えました」
「……。いいわ。……私は、もう、寝るわよ。……皇帝、……あとでプリンを忘れないでね」
私は浮遊王座を反転させ、寝室へと戻っていった。
翌日の隣国の官報には、『エスター女王、皇帝を食材の貢ぎ物のみで心服させる。不働王国の食卓は、今や大陸一の豪華さを誇る』という、もはや意味不明な外交の成功例として報じられることになる。
王都のセドリック王子が、自分の空っぽのキッチンで、一人、乾いたパンをかじりながら「……隣の皇帝まで、あっちの味方かよ……?」と、涙でパンを湿らせていたのは、誰にも知られることのない寂しい朝の風景であった。
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