悪役令嬢ですらないのに婚約破棄?そもそも私、影が薄すぎてモブなんですけど!

ツナ

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カイン閣下との「拷問」に近いキラキラしたティータイムを終え、私は命からがらアズベル伯爵邸へと逃げ帰ってきました。


正確には、閣下の超豪華な馬車で玄関先まで送り届けられたのですが。
近所の人たちが「ついにアズベル伯爵家が騎士団に包囲された!」と勘違いして、窓から震えて見ていたのが心苦しいです。


「お帰り、ミューモ。今日も騎士団長殿とデートだったのか? 精が出るな」


リビングに入ると、父がのんびりと新聞を広げながら声をかけてきました。
その傍らには、母である伯爵夫人がにこやかに刺繍をしています。


「デートじゃありません、不慮の事故です。お父様、どうしてそんなに落ち着いているんですか? 娘が国一番の変人……いえ、猛者に目をつけられているんですよ?」


「変人とは失礼な。カイン殿は誠実な青年じゃないか。昨日も『ミューモ嬢の好物である最高級のお茶漬けセット(金箔入り)』を届けてくれたぞ」


「金箔入りのお茶漬けなんて、喉越しが悪そうで嫌です……。というか、お母様も何か言ってください!」


母は刺繍の手を止め、ふふっと上品に微笑みました。


「あら、いいじゃない。シグルド様と婚約していた頃の貴女は、いつも『私の存在が背景のレンガと同化していますように』って祈るような顔をしていたもの。今のほうが、ずっと人間らしいわよ」


「母様、それは褒めていない気がします。私はレンガになりたかったんです」


「それにね、ミューモ。アズベル家は代々『来る者拒まず、去る者追わず、変な奴には深入りせず』が家訓でしょう? 王子が去ったならそれでいいし、公爵様が来るならおもてなしするだけよ」


「家訓が適当すぎます! もっと娘の将来を真剣に心配してください!」


私はソファーに倒れ込みました。
この家の人々は、良くも悪くも「ノリが良い」のです。
第一王子の婚約破棄という、普通ならお家断絶を覚悟するような事態でも、「まあ、あいつ馬鹿だったしな」の一言で済ませてしまうような家族なのです。


「それよりミューモ、お前に客人が来ているぞ。応接室だ」


「えっ、カイン様ならさっき別れたばかりですけど……まさか、先回りしたんですか!? あの人、瞬間移動の魔法でも使えるんですか!?」


「いや、今回は別の方だ。ほら、例の『自称・親友』の方だよ」


父が指差した先――応接室から、バタン!と勢いよく扉が開く音がしました。


「ミューモぉぉぉ! 大変だって聞いたわよ! あの馬鹿王子、ついに血迷って貴女を捨てたんですってね!?」


現れたのは、燃えるような赤い髪を振り乱した美女。
私の唯一と言ってもいい友人であり、隣領の伯爵令嬢、ベアトリスでした。


「ベアトリス……。声が大きいわよ。あと、王子のことを馬鹿って呼ぶのは、心の中だけにしておきなさいっていつも言ってるでしょう」


「いいのよ、あんなの誰が見ても馬鹿だもの! それより貴女、大丈夫なの!? 今頃ショックで、庭の土でも食べてるんじゃないかと思って飛んできたわ!」


「なぜ土を食べる前提なのよ。見ての通り、私はピンピンしてるわ。むしろ肩の荷が下りて、お肌の調子が良いくらい」


私はベアトリスをソファーに座らせ、アンに冷たいお茶を持ってこさせました。
ベアトリスは私の顔をジロジロと眺め、ふむ、と頷きました。


「確かに、意外と元気そうね。……でも、噂はすごいわよ? 『ミューモ・アズベルは、真実の愛に敗れて狂い、今は自室で呪いの人形を編んでいる』なんて言われてるんだから」


「誰がそんな手の込んだ噂を流しているのよ。私が編めるのは、地味な色のマフラーくらいよ」


「でしょ? だから私が真実を広めてあげようと思ったの。『ミューモは今、カイン・ヴォルフラム公爵と熱烈な恋に落ちていて、王子のことなんて一秒で忘れた』って!」


「やめて! それ、火に油を注ぐどころか、王宮に隕石を落とすようなものよ!」


私は全力でベアトリスを止めました。
彼女は行動力がありすぎるのが玉に瑕なのです。


「あら、でもカイン様が貴女を狙っているのは事実でしょう? さっき門の前を通ったら、騎士団の精鋭たちが『ミューモ様、本日の警護任務を開始します!』って、お辞儀してきたわよ?」


「……え? 門の前?」


私は慌てて窓に駆け寄り、カーテンの隙間から外を覗きました。
するとそこには、昨日まではいなかったはずの、黒い甲冑に身を包んだ屈強な男たちが、等間隔でアズベル邸を囲んでいました。


「……お父様。あれ、何ですか?」


「ん? ああ、カイン殿が『婚約破棄直後の令嬢は、情緒不安定な輩に狙われやすい。私が責任を持って守る』と言って、勝手に配置していったんだ。便利だぞ、不審なセールスが一人も来なくなった」


「公費の無駄遣いです! というか、私が一番狙われているのはあの閣下からなんですけど!」


私の叫びは、またしても家族の笑い声にかき消されました。
母は楽しそうに、騎士たちが立ち並ぶ様子を眺めています。


「いいじゃない、ミューモ。あんなに素敵な騎士様たちに囲まれて。まるでお城のお姫様みたい」


「お母様、私はお姫様じゃなくて、監視対象の重要人物に見えます」


「あらあら。でも、カイン様は本気みたいよ。あの方、昔から貴女のことだけは、どんなに人混みの中でも見つけ出していたんですもの」


「……え? 昔から?」


私は母の言葉に、小さな違和感を覚えました。
カイン様は昨日、十年前から私を知っているような口ぶりでした。
でも、十年前の私なんて、今以上に影の薄い、ただの子供だったはずです。


「ミューモ、貴女、本当に覚えていないの? 十年前の、あの建国記念祭の夜のこと」


母が少しだけ真剣な表情で、私を見つめました。


「建国記念祭……? ええと、迷子になって、暗い倉庫で一晩過ごした記憶ならありますけれど」


「そう。あの時、貴女を最初に見つけて、一晩中手を握って励ましてくれた少年が誰だったか……」


「……えっ」


私の脳裏に、微かな記憶が蘇ります。
真っ暗な倉庫の中、怖くて泣いていた私の手を、大きな……いえ、当時はまだ私と同じくらいの大きさだった、温かい手が握ってくれていました。


『大丈夫だ。私がついている。……君は、こんなに温かくて、優しい色をしているのに。どうして皆、君に気づかないんだろうな』


その声は、低くて、とても優しくて。
今のカイン様の声とは少し違いましたが、その響きには共通するものがありました。


「……嘘。まさか、あの時の子が、カイン様?」


「あら、気づいていなかったの? 彼、あの後すぐにヴォルフラム家の養子になって、死ぬ気で修行して騎士団長に上り詰めたのよ。すべては、貴女の隣に立つ資格を得るためだって、お父様には挨拶に来ていたみたいだけど」


私は呆然と立ち尽くしました。
父を見ると、彼はバツが悪そうに目を逸らしました。


「……だってお前、教えたら『重すぎて無理です』って言って逃げ出すだろう?」


「当たり前です! 重すぎます! 十年間の執念なんて、モブの私には耐えられません!」


「でもねぇ、ミューモ。彼は貴女が『モブ』だから好きになったんじゃないわよ。貴女が、誰に気づかれなくても、自分らしく凛と咲いているから好きになったんですって。……あら、カイン様、いらっしゃい」


母が玄関の方を向いて手を振りました。
振り返ると、そこには、いつの間にか邸内に入り込んでいたカイン様が、花束を持って立っていました。


「……話が聞こえてしまったようだな。隠しておくつもりだったのだが」


カイン様は、照れ隠しなのか、少しだけ顔を背けました。
しかし、その瞳はしっかりと私を捉えています。


「ミューモ。私は、君が自分を『モブ』だと卑下するのを、一生かけて否定し続けるつもりだ。……覚悟しておいてくれ」


「……ひぃっ、宣戦布告ですか!?」


私の自由な独身生活は、どうやら始まった瞬間に、最強の騎士団長によって「包囲完了」されてしまったようです。
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