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「……素晴らしい景色ですわね、カイル様。この切り立った断崖、そして眼下に広がる荒廃した農地。事務的に見て、非常に『監査しがい』のある光景ですわ」
ガタゴトと揺れる豪華な馬車の中。新婚旅行(ハネムーン)という名の実地調査に出発したポルカは、窓の外を眺めながらうっとりと呟いた。
彼女の膝の上には、地図ではなく、この地方の過去十年分の「作物収穫報告書」が広げられている。
「……ポルカ。普通の貴婦人は、ハネムーンで農地の荒廃具合を見て目を輝かせたりはしませんよ。もう少し、隣に座っている夫との甘い語らいにリソースを割いていただけませんか?」
カイルは苦笑しながら、ポルカの細い肩を引き寄せ、その髪に指を這わせた。
「あら、カイル様。甘い語らいは、一日のノルマである『帳簿の照合』を終えた後の、自分への報酬(ボーナス)として計上しておりますわ。……見てください。このエッジ領の灌漑施設維持費。毎年多額の予算が下りているはずなのに、窓から見える運河は干上がって泥だらけですわよ」
「……なるほど。予算が『蒸発』したわけですね。事務的に見て、太陽光による自然現象とは思えません」
「ええ。人為的な熱量――つまり、領主の懐に入る際に生じた摩擦熱による消失ですわね。……カイル様、馬車を止めなさい。抜き打ちの実地監査を開始いたしますわ!」
馬車が止まったのは、エッジ領の領主、ダスト男爵の屋敷の前だった。
突然現れた豪華な馬車と、そこから降りてきた「監査ファイル」を抱えた美女に、門番たちは腰を抜かさんばかりに驚いた。
「な、なんだ貴様らは! ここはダスト男爵閣下の屋敷だぞ! アポイントメントはあるのか!」
「案件番号43『不適切な門前払いによる調査遅延の発生』。……門番さん。私は王立監査部のポルカ・アインザッツ。……アポイントメントなら、今この瞬間に私の算盤が発行いたしましたわ」
ポルカは、算盤をチャッ、と一回弾き、冷徹な視線を門番に向けた。
「……ひ、ひいいっ! あ、あの『数字の魔女』が、なぜこんな辺境に!」
「……失礼ね。今は『数字の新妻』ですわ。……さあ、男爵を呼びなさい。彼が隠している『裏帳簿という名のハネムーンギフト』、今すぐ受け取りに参りましたの」
屋敷の奥から、慌てて飛び出してきたのは、脂ぎった顔をしたダスト男爵だった。
彼はポルカとカイルの姿を見るなり、揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべた。
「おお、これはこれは! カイル様、そしてポルカ様! まさか新婚旅行でこのような寂れた領地にお越しいただけるとは! さあさあ、今夜は最高のジビエ料理を用意して……」
「男爵。挨拶の文字数は最小限で結構ですわ。……それよりも、この領地の『橋の通行税』についてお伺いしたく。……先ほど通った橋、欄干が腐り落ちていましたが、徴収されている税金はどこへ消えたのかしら?」
「そ、それは……自然災害による突発的な修繕費がかさみまして……」
「嘘をおっしゃい。過去三年の気象データを確認しましたが、この地方に橋を破壊するほどの災害は発生しておりませんわ。……逆に、貴方の屋敷の地下にある『特注の金貨保管箱』。……これの購入費が、なぜか『公共事業費』の項目に混じっておりましたけれど?」
ポルカが、ファイルをパッと開く。そこには、男爵が密かに注文した贅沢品の請求書と、領地の予算書が対比させて貼り付けられていた。
「な……な、ぜ、そのような末端の伝票まで……!」
「事務の力を侮らないで。……男爵。貴方が『これくらいバレないだろう』と思って捨てたレシートの半券、すべて私のネットワークが回収済みですわ。……事務的に見て、貴方の横領の手口は、計算ドリルを一問目から間違えている小学生レベルですわね」
ポルカの算盤が、猛烈な速さで弾かれる。
「……出ましたわ。横領総額、金貨三千枚。……男爵、これらすべてを今すぐ吐き出していただきます。……あ、お詫びとして、領民の方々への『税の払い戻し』の事務作業、貴方の手で明日までに完遂していただきますわよ」
「ひ、ひいいいっ! 三千枚! そんなことしたら、私の生活が……!」
「領民の生活を犠牲にした結果ですわ。……カイル様、この方の拘束と、資産の差し押さえをお願いできますこと?」
カイルは、優雅に頷き、控えていた騎士たちに合図を送った。
「……承知いたしました。……男爵。我が妻のハネムーンを汚した罪、その体でしっかり清算していただきますよ」
男爵が泣き叫びながら連行されていくと、ポルカは満足げにファイルを閉じた。
「……ふぅ。カイル様、ハネムーン初日の『ノルマ』は達成ですわね」
「お疲れ様です、ポルカ。……さて、仕事が片付いたところで。……今夜の宿は、私が手配した『監査対象外』の美しい湖畔のヴィラです。……そこでは、数字の話は一切禁止。……私の愛の言葉だけを聞いていただく、プライベートな契約時間を確保させていただきますよ」
「……カイル様。……その提案、事務的に見て……非常に『不公平』ですが……。……今の私の満足度が上限を突破したため、異議なしで受理いたしますわ」
ポルカは、カイルの差し出した手を握り、幸せそうに微笑んだ。
ハネムーンという名の抜き打ち監査。それは、悪役令嬢から最恐の監査官へと転生(ジョブチェンジ)した彼女にふさわしい、正義と愛の旅路であった。
「……あ、でもカイル様。……ヴィラの宿泊料、もし不当に高かった場合は、領収書を精査させていただきますわよ?」
「……ポルカ。……今日だけは、その算盤をしまってください」
二人の楽しげなやり取りが、夕暮れの辺境領に響き渡った。
ガタゴトと揺れる豪華な馬車の中。新婚旅行(ハネムーン)という名の実地調査に出発したポルカは、窓の外を眺めながらうっとりと呟いた。
彼女の膝の上には、地図ではなく、この地方の過去十年分の「作物収穫報告書」が広げられている。
「……ポルカ。普通の貴婦人は、ハネムーンで農地の荒廃具合を見て目を輝かせたりはしませんよ。もう少し、隣に座っている夫との甘い語らいにリソースを割いていただけませんか?」
カイルは苦笑しながら、ポルカの細い肩を引き寄せ、その髪に指を這わせた。
「あら、カイル様。甘い語らいは、一日のノルマである『帳簿の照合』を終えた後の、自分への報酬(ボーナス)として計上しておりますわ。……見てください。このエッジ領の灌漑施設維持費。毎年多額の予算が下りているはずなのに、窓から見える運河は干上がって泥だらけですわよ」
「……なるほど。予算が『蒸発』したわけですね。事務的に見て、太陽光による自然現象とは思えません」
「ええ。人為的な熱量――つまり、領主の懐に入る際に生じた摩擦熱による消失ですわね。……カイル様、馬車を止めなさい。抜き打ちの実地監査を開始いたしますわ!」
馬車が止まったのは、エッジ領の領主、ダスト男爵の屋敷の前だった。
突然現れた豪華な馬車と、そこから降りてきた「監査ファイル」を抱えた美女に、門番たちは腰を抜かさんばかりに驚いた。
「な、なんだ貴様らは! ここはダスト男爵閣下の屋敷だぞ! アポイントメントはあるのか!」
「案件番号43『不適切な門前払いによる調査遅延の発生』。……門番さん。私は王立監査部のポルカ・アインザッツ。……アポイントメントなら、今この瞬間に私の算盤が発行いたしましたわ」
ポルカは、算盤をチャッ、と一回弾き、冷徹な視線を門番に向けた。
「……ひ、ひいいっ! あ、あの『数字の魔女』が、なぜこんな辺境に!」
「……失礼ね。今は『数字の新妻』ですわ。……さあ、男爵を呼びなさい。彼が隠している『裏帳簿という名のハネムーンギフト』、今すぐ受け取りに参りましたの」
屋敷の奥から、慌てて飛び出してきたのは、脂ぎった顔をしたダスト男爵だった。
彼はポルカとカイルの姿を見るなり、揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべた。
「おお、これはこれは! カイル様、そしてポルカ様! まさか新婚旅行でこのような寂れた領地にお越しいただけるとは! さあさあ、今夜は最高のジビエ料理を用意して……」
「男爵。挨拶の文字数は最小限で結構ですわ。……それよりも、この領地の『橋の通行税』についてお伺いしたく。……先ほど通った橋、欄干が腐り落ちていましたが、徴収されている税金はどこへ消えたのかしら?」
「そ、それは……自然災害による突発的な修繕費がかさみまして……」
「嘘をおっしゃい。過去三年の気象データを確認しましたが、この地方に橋を破壊するほどの災害は発生しておりませんわ。……逆に、貴方の屋敷の地下にある『特注の金貨保管箱』。……これの購入費が、なぜか『公共事業費』の項目に混じっておりましたけれど?」
ポルカが、ファイルをパッと開く。そこには、男爵が密かに注文した贅沢品の請求書と、領地の予算書が対比させて貼り付けられていた。
「な……な、ぜ、そのような末端の伝票まで……!」
「事務の力を侮らないで。……男爵。貴方が『これくらいバレないだろう』と思って捨てたレシートの半券、すべて私のネットワークが回収済みですわ。……事務的に見て、貴方の横領の手口は、計算ドリルを一問目から間違えている小学生レベルですわね」
ポルカの算盤が、猛烈な速さで弾かれる。
「……出ましたわ。横領総額、金貨三千枚。……男爵、これらすべてを今すぐ吐き出していただきます。……あ、お詫びとして、領民の方々への『税の払い戻し』の事務作業、貴方の手で明日までに完遂していただきますわよ」
「ひ、ひいいいっ! 三千枚! そんなことしたら、私の生活が……!」
「領民の生活を犠牲にした結果ですわ。……カイル様、この方の拘束と、資産の差し押さえをお願いできますこと?」
カイルは、優雅に頷き、控えていた騎士たちに合図を送った。
「……承知いたしました。……男爵。我が妻のハネムーンを汚した罪、その体でしっかり清算していただきますよ」
男爵が泣き叫びながら連行されていくと、ポルカは満足げにファイルを閉じた。
「……ふぅ。カイル様、ハネムーン初日の『ノルマ』は達成ですわね」
「お疲れ様です、ポルカ。……さて、仕事が片付いたところで。……今夜の宿は、私が手配した『監査対象外』の美しい湖畔のヴィラです。……そこでは、数字の話は一切禁止。……私の愛の言葉だけを聞いていただく、プライベートな契約時間を確保させていただきますよ」
「……カイル様。……その提案、事務的に見て……非常に『不公平』ですが……。……今の私の満足度が上限を突破したため、異議なしで受理いたしますわ」
ポルカは、カイルの差し出した手を握り、幸せそうに微笑んだ。
ハネムーンという名の抜き打ち監査。それは、悪役令嬢から最恐の監査官へと転生(ジョブチェンジ)した彼女にふさわしい、正義と愛の旅路であった。
「……あ、でもカイル様。……ヴィラの宿泊料、もし不当に高かった場合は、領収書を精査させていただきますわよ?」
「……ポルカ。……今日だけは、その算盤をしまってください」
二人の楽しげなやり取りが、夕暮れの辺境領に響き渡った。
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