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23.偽りの夫婦生活
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「本国と連絡がついた。君の容態が安定したのち、領内のある場所に向かうことになる」
ヴィルヘルムは小一時間ほどで村に戻ってきた。ジャンが素晴らしいタイミングで帰省してくれたおかげで、大混乱の《賢者の塔》の情報を本部に報告することが敵ったため、カラハン卿としての面目は立ったらしい。
護衛騎士が留守の間、俺の相手を引き受けてくれたジャンは、ヴィルヘルムが近所で狩った獲物を報酬代わりに受け取って実家に戻った。
もたらされた情報の量に疲れた俺は、枕に後頭部を押しつける。
「塔は混乱してるって言ってたけど、ヴィルがいなくなって、大賢者は……」
「生きているが?」
見てきたように言うヴィルヘルムに首を傾げると、国を護る結界が消えていない、と指摘された。この騎士が破壊した塔の動力と、結界のシステムは無関係らしい。改めて大賢者の負担に胸が痛くなる。
「忘れるな。次席は当代に劣るから次席なんだ。塔の長としての防犯体制に文句を言うならともかく、心配などすることはない」
大賢者に対して辛口なのは変わらないようだ。
君はとにかく静養だ、と俺の頭をなでて、ヴィルヘルムは笑った。
※ ※ ※
トーラス村での生活は、とても穏やかだ。
安定した他人の魔力に触れることで自分の魔力の回復に効果があるらしく、毎日ヴィルヘルムの腕の中で眠り、目覚めている。塔にいた頃の生活とあまり変わらなかったので、これはすぐ慣れた。
それからヴィルヘルムは朝の鍛錬、俺は朝食の支度をする。
何でもそつなくこなせると思われた護衛騎士、なんと料理は不得手なのだそうだ。
俺は日本では実家を出ており、大学の近くで一人暮らしをしていたので、それならばと料理の担当を買って出た。簡単なものしか作れないが、それでも毎日、ヴィルヘルムは律儀に喜んで褒めてくれる。
「今日も美味そうだな。ありがとう、アンリ」
今朝の鍛錬も格好良かったな、という言葉を飲み込んで俺は、ありがとう、とだけ口にする。この小さな家に設えられた台所には、水道はあるけれどガス代わりの魔法はない。不便だろう大変だろう、とヴィルヘルムも近所の人たちも心配してくれるが、魔法が得意な者が多いらしいジオール国民と違い、俺はそもそも魔法らしい魔法を使ったことがないので問題なかった。火種の扱いに一喜一憂するのも、キャンプやバーベキューのようで楽しい。
「いただきます」
二人揃って朝食を摂る。鍛錬後に湯を浴びたヴィルヘルムは相変わらず水も滴るいい男で、ラフなシャツから覗く鎖骨と胸筋の隆起に、洗い髪からそこに落ちる水滴にどきどきする。
「アンリは、今日はどうするんだ?」
ヴィルヘルムは、日中は村の手伝いが中心だ。建物の修繕や、畑の手伝いや、その他の食料の調達。本国との定期報告は、狩りの最中に済ませているらしい。
俺の身体は、数日で筋肉痛程度まで回復した。しかし魔力的にはまだまだ危ういという理由で、村での生活を続けている。
「今日は、ジャンの実家でみんなが料理を教わるらしいから、混ぜてもらうつもり」
「ああ、あの母君か。息子が塔に戻ると暇で仕方ない、と言っていたものな」
たくさん構われてくるといい、と微笑んだ後、ヴィルヘルムが真顔になった。
「……君もか?」
「え?」
なにが。
「トーラスに留守を任せてから、名を呼ぶようになっただろう。かなり親しくなったようにも見えた。トーラスがいたほうが良かったか?」
え。
「考えてみれば、君には友人を選ぶ自由もなかったわけだからな。話し相手が私だけというのは君の心身にとって良い環境ではないだろう」
「待っ……ええ?」
ひとりでなにやら勝手な結論を出しているヴィルヘルムに、慌てて待ったをかける。この騎士がそんなことを言い出した理由がわからなくて、俺は小さなテーブルの上であたふたと手を動かした。
「け、っ……結婚しているのに?」
言い慣れていなさすぎて、声がひっくり返った。
「ヴィル以外のひととそんな仲良くしてたらおかしくないか?」
うわずった声で続けてからすぐに、突拍子もないことを言ったな、と後悔したが、ヴィルヘルムは、なんだそんなこと、とでも言いそうな顔をする。
「私を君のいちばん近くに置いてくれるのならば、他の誰と親しかろうが構わないさ」
護衛の鑑だ……!
でも、言葉選びが、その、とても面映ゆい。
「それとも、その位置にはもう誰かがいただろうか?」
ん? と微笑むヴィルヘルムに俺は簡単に真っ赤になる。
自信あるんじゃん……。
ご想像通り。
世界でいちばん信頼してるよ。
「ああら、無理しちゃダメよぉアンリちゃん」
外は今日も天気がいい。材料の芋をよたよたと運ぶ俺に、心配して声をかけてくれるのはジャンの母だ。ありがとうね、と持っていたカゴをひょいと取り上げられた。あれ、かなり重かったのに……。
ジャンの実家の居間では、集まった面々で下ごしらえをしながらのお喋りが盛り上がっていた。俺も椅子を勧められて輪に加わり、豆の筋取りを始める。
すると、ふいにその場に沈黙が落ちた。顔を上げると、全員がこちらを見ている。
えっ。何だこれこわい。
若干引いた俺に、ご婦人がきらきらした瞳で問いかけてきた。
「ねえねえアンリさん。ヴィルトさんとは、塔で出会ったのよね?」
「私たち、そろそろ馴れ初めを聞きたいわあ」
「僕も興味があるよ。いろいろ話を聞かせてほしい」
「へ……?」
どうやらみんな、俺が生活に馴染むまで詳しい事情を尋ねるのを遠慮していたらしい。
ヴィルヘルムと口裏を合わせるために用意した設定を頭の片隅に置きつつ、俺は口を開いた。
「ええと。俺が、塔で迷子になってしまって。それで、ヴィルが見つけてくれたのが最初です」
出来るだけ嘘をつかずに説明すると、ご婦人方はきゃあっと沸いた。
「やだ! もう最初っから王子様が迎えに来てくれたのね~!」
「それで? どれくらいでお付き合いを始めたの?」
「告白はどちらからなんだい?」
みんなすごく前のめりだ。それでも下ごしらえの手が止まらないのはさすがというか。
「ええと……」
告白とか付き合い始めの詳細は決めてなかったな、と目線をそらす。
「俺、ちょっと魔力が多いらしくて。遠い国から無理に連れてこられたんです。それでヴィルは、俺を故郷に連れて行くと言ってくれて。なんて良い人だろうって」
嘘ではない。
「それで、ええと……ヴィルが、自分をいちばん近くに置いてほしい、と」
嘘ではない。
「あらあらまあまあまあ~~~!」
ヴィルヘルムのイケメンぶりに、場は大盛り上がりだ。まあそうだろうな。
「アンリちゃんも大変だったでしょうけど、今はヴィルトさんがいるから幸せなのよね?」
いま。
いまは間違いなく、そうだ。
しっかりとうなずいた俺に、みんなが微笑んでくれる。
「ほんとうに大好きなのねえ。アンリちゃん、ヴィルトさんのこと話してるときの顔、とっても可愛いもの」
「……はい」
それは、本当に自然に。
俺は、笑みをこぼした。
完成した料理のおすそわけを頂いて家に戻ると、ヴィルヘルムはまだ帰ってきていないようだった。今日の狩りは遠くまで行っているのかもしれない。
――旦那さんと一緒に帰郷できるなら、良かったわ。
――そのときは、ご両親によろしくね。
――幸せになるのよ。
テーブルに荷物を置きながら、さきほどまで口々に言われていた祝福の言葉を反芻する。
「幸せに……」
俺はこれから、ヴィルヘルムやクローセル、ジオール国の人たちと、カラハン領を救う手伝いをして。
それから、日本に帰るんだ。
きゅっと握ったこぶしには、たいして力が入らなかった。
「あー……」
ふらりと方向を変え、ぶつけるように壁に額をつける。木の匂いと微かなあたたかさに目を閉じ、心を落ち着けようと深呼吸した。
こんなことを、ここ数日の俺は何度も繰り返している。
ヴィルヘルムの故郷を助けたい。トーラスの人たちが隠れなくても生きていけるようになってほしい。
大賢者も、帝国から解放されて自分の人生を歩んでほしい。
それは間違いなく、いま俺が全力で叶えたいことだ。
それでも。
「……どうしよう」
頑張れば頑張るほど、ヴィルヘルムとの別れが近くなる。
どうしよう。
ヴィルヘルムは小一時間ほどで村に戻ってきた。ジャンが素晴らしいタイミングで帰省してくれたおかげで、大混乱の《賢者の塔》の情報を本部に報告することが敵ったため、カラハン卿としての面目は立ったらしい。
護衛騎士が留守の間、俺の相手を引き受けてくれたジャンは、ヴィルヘルムが近所で狩った獲物を報酬代わりに受け取って実家に戻った。
もたらされた情報の量に疲れた俺は、枕に後頭部を押しつける。
「塔は混乱してるって言ってたけど、ヴィルがいなくなって、大賢者は……」
「生きているが?」
見てきたように言うヴィルヘルムに首を傾げると、国を護る結界が消えていない、と指摘された。この騎士が破壊した塔の動力と、結界のシステムは無関係らしい。改めて大賢者の負担に胸が痛くなる。
「忘れるな。次席は当代に劣るから次席なんだ。塔の長としての防犯体制に文句を言うならともかく、心配などすることはない」
大賢者に対して辛口なのは変わらないようだ。
君はとにかく静養だ、と俺の頭をなでて、ヴィルヘルムは笑った。
※ ※ ※
トーラス村での生活は、とても穏やかだ。
安定した他人の魔力に触れることで自分の魔力の回復に効果があるらしく、毎日ヴィルヘルムの腕の中で眠り、目覚めている。塔にいた頃の生活とあまり変わらなかったので、これはすぐ慣れた。
それからヴィルヘルムは朝の鍛錬、俺は朝食の支度をする。
何でもそつなくこなせると思われた護衛騎士、なんと料理は不得手なのだそうだ。
俺は日本では実家を出ており、大学の近くで一人暮らしをしていたので、それならばと料理の担当を買って出た。簡単なものしか作れないが、それでも毎日、ヴィルヘルムは律儀に喜んで褒めてくれる。
「今日も美味そうだな。ありがとう、アンリ」
今朝の鍛錬も格好良かったな、という言葉を飲み込んで俺は、ありがとう、とだけ口にする。この小さな家に設えられた台所には、水道はあるけれどガス代わりの魔法はない。不便だろう大変だろう、とヴィルヘルムも近所の人たちも心配してくれるが、魔法が得意な者が多いらしいジオール国民と違い、俺はそもそも魔法らしい魔法を使ったことがないので問題なかった。火種の扱いに一喜一憂するのも、キャンプやバーベキューのようで楽しい。
「いただきます」
二人揃って朝食を摂る。鍛錬後に湯を浴びたヴィルヘルムは相変わらず水も滴るいい男で、ラフなシャツから覗く鎖骨と胸筋の隆起に、洗い髪からそこに落ちる水滴にどきどきする。
「アンリは、今日はどうするんだ?」
ヴィルヘルムは、日中は村の手伝いが中心だ。建物の修繕や、畑の手伝いや、その他の食料の調達。本国との定期報告は、狩りの最中に済ませているらしい。
俺の身体は、数日で筋肉痛程度まで回復した。しかし魔力的にはまだまだ危ういという理由で、村での生活を続けている。
「今日は、ジャンの実家でみんなが料理を教わるらしいから、混ぜてもらうつもり」
「ああ、あの母君か。息子が塔に戻ると暇で仕方ない、と言っていたものな」
たくさん構われてくるといい、と微笑んだ後、ヴィルヘルムが真顔になった。
「……君もか?」
「え?」
なにが。
「トーラスに留守を任せてから、名を呼ぶようになっただろう。かなり親しくなったようにも見えた。トーラスがいたほうが良かったか?」
え。
「考えてみれば、君には友人を選ぶ自由もなかったわけだからな。話し相手が私だけというのは君の心身にとって良い環境ではないだろう」
「待っ……ええ?」
ひとりでなにやら勝手な結論を出しているヴィルヘルムに、慌てて待ったをかける。この騎士がそんなことを言い出した理由がわからなくて、俺は小さなテーブルの上であたふたと手を動かした。
「け、っ……結婚しているのに?」
言い慣れていなさすぎて、声がひっくり返った。
「ヴィル以外のひととそんな仲良くしてたらおかしくないか?」
うわずった声で続けてからすぐに、突拍子もないことを言ったな、と後悔したが、ヴィルヘルムは、なんだそんなこと、とでも言いそうな顔をする。
「私を君のいちばん近くに置いてくれるのならば、他の誰と親しかろうが構わないさ」
護衛の鑑だ……!
でも、言葉選びが、その、とても面映ゆい。
「それとも、その位置にはもう誰かがいただろうか?」
ん? と微笑むヴィルヘルムに俺は簡単に真っ赤になる。
自信あるんじゃん……。
ご想像通り。
世界でいちばん信頼してるよ。
「ああら、無理しちゃダメよぉアンリちゃん」
外は今日も天気がいい。材料の芋をよたよたと運ぶ俺に、心配して声をかけてくれるのはジャンの母だ。ありがとうね、と持っていたカゴをひょいと取り上げられた。あれ、かなり重かったのに……。
ジャンの実家の居間では、集まった面々で下ごしらえをしながらのお喋りが盛り上がっていた。俺も椅子を勧められて輪に加わり、豆の筋取りを始める。
すると、ふいにその場に沈黙が落ちた。顔を上げると、全員がこちらを見ている。
えっ。何だこれこわい。
若干引いた俺に、ご婦人がきらきらした瞳で問いかけてきた。
「ねえねえアンリさん。ヴィルトさんとは、塔で出会ったのよね?」
「私たち、そろそろ馴れ初めを聞きたいわあ」
「僕も興味があるよ。いろいろ話を聞かせてほしい」
「へ……?」
どうやらみんな、俺が生活に馴染むまで詳しい事情を尋ねるのを遠慮していたらしい。
ヴィルヘルムと口裏を合わせるために用意した設定を頭の片隅に置きつつ、俺は口を開いた。
「ええと。俺が、塔で迷子になってしまって。それで、ヴィルが見つけてくれたのが最初です」
出来るだけ嘘をつかずに説明すると、ご婦人方はきゃあっと沸いた。
「やだ! もう最初っから王子様が迎えに来てくれたのね~!」
「それで? どれくらいでお付き合いを始めたの?」
「告白はどちらからなんだい?」
みんなすごく前のめりだ。それでも下ごしらえの手が止まらないのはさすがというか。
「ええと……」
告白とか付き合い始めの詳細は決めてなかったな、と目線をそらす。
「俺、ちょっと魔力が多いらしくて。遠い国から無理に連れてこられたんです。それでヴィルは、俺を故郷に連れて行くと言ってくれて。なんて良い人だろうって」
嘘ではない。
「それで、ええと……ヴィルが、自分をいちばん近くに置いてほしい、と」
嘘ではない。
「あらあらまあまあまあ~~~!」
ヴィルヘルムのイケメンぶりに、場は大盛り上がりだ。まあそうだろうな。
「アンリちゃんも大変だったでしょうけど、今はヴィルトさんがいるから幸せなのよね?」
いま。
いまは間違いなく、そうだ。
しっかりとうなずいた俺に、みんなが微笑んでくれる。
「ほんとうに大好きなのねえ。アンリちゃん、ヴィルトさんのこと話してるときの顔、とっても可愛いもの」
「……はい」
それは、本当に自然に。
俺は、笑みをこぼした。
完成した料理のおすそわけを頂いて家に戻ると、ヴィルヘルムはまだ帰ってきていないようだった。今日の狩りは遠くまで行っているのかもしれない。
――旦那さんと一緒に帰郷できるなら、良かったわ。
――そのときは、ご両親によろしくね。
――幸せになるのよ。
テーブルに荷物を置きながら、さきほどまで口々に言われていた祝福の言葉を反芻する。
「幸せに……」
俺はこれから、ヴィルヘルムやクローセル、ジオール国の人たちと、カラハン領を救う手伝いをして。
それから、日本に帰るんだ。
きゅっと握ったこぶしには、たいして力が入らなかった。
「あー……」
ふらりと方向を変え、ぶつけるように壁に額をつける。木の匂いと微かなあたたかさに目を閉じ、心を落ち着けようと深呼吸した。
こんなことを、ここ数日の俺は何度も繰り返している。
ヴィルヘルムの故郷を助けたい。トーラスの人たちが隠れなくても生きていけるようになってほしい。
大賢者も、帝国から解放されて自分の人生を歩んでほしい。
それは間違いなく、いま俺が全力で叶えたいことだ。
それでも。
「……どうしよう」
頑張れば頑張るほど、ヴィルヘルムとの別れが近くなる。
どうしよう。
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