白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第一話「不平等の巷」 その五

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 ぼんやりとする、というのが思いの外贅沢であったと知ったのは、果たして何時のことだっただろうか。
 彼の脳裏には常に多くの情報が乱舞し、そのひとつひとつが多くの人々の生き死にを決める。
 だからこそ彼はそれらの情報を常に注視し、己の決断が少しでも多くの幸福を与えるものとなるよう努力している。
 過程を見る者がいなくとも、結果が総てであろうとも、それは道程を軽んじていい理由にはならない。
 過程を経ずに出る結果など存在しない。軽んじた経緯で良い結果が出ても、それは最良の結果ではない。よりよい結果が出たであろう機会を逃しただけだ。
 レクティファールはそんな風に自分に言い聞かせている。
 言い聞かせねば、己の生き方があまりにも贅沢に過ぎると思えたからだ。
「おにーさま、おにーさま」
 尻尾を元気よく振り、自分に向かって両手を伸ばす幼妻を抱え上げる。
 最初こそ怯えた様子を見せていたマティリエがこうも自分に懐くようになったのも、自分が努力を欠かさなかったからだと思いたい。
「おにーさま」
 何かを確かめるように自分の顔に手を伸ばすマティリエ。
 それこそ何度も怯えられ、逃げられ、ようやくこうして触れ合うことができるようになった。そこにはオリガという皇妃の活躍があったのだが、そのせいで余計な苦労を背負い込むことになったレクティファールは素直に喜ぶことができない。
 オリガはマティリエだけではなく、真子に対しても様々な形で皇国に馴染めるよう手を尽くした。
 他の皇妃たちも同じように働いたが、オリガほど結果が伴った訳ではない。何故オリガだけがそれほどまでに結果を出せたかと疑問に思い、マティリエにそれとなく聞いたところ、一緒に遊んでくれたからだという答えが返ってきた。
 どうやら他の皇妃とは違い、マティリエにとってオリガは友人に近い感覚であるらしい。外見年齢は確かにマティリエにもっとも近く、己の趣味を第一とする姿勢はどこか子どもらしさが感じられる。
 年齢からすれば皇妃の中で一番の年嵩であるが、本人にそれを問えば龍族の年齢と外見の差異について静かに講義されるだけであろう。
 あのアナスターシャも、同じように年齢と見た目について問われることを面倒に思っている節があった。
「マティリエ」
 マティリエを抱え、庭を散歩するレクティファールに背後から声が掛かる。
 レクティファールの肩に頬を押し当てていたマティリエだが、その三角の耳が伏せられた状態からぴんと立ち上がり、続いてレクティファールの背後に顔を向ける。
 話をするなら下ろそうかと思ったレクティファールであるが、腰を屈めようとするとマティリエが嫌がった。
 悲しそうな顔でレクティファールを見詰め、彼の服を小さな手で強く握る。その様は、罪悪感を覚えること夥しい。
「オリガ様、こっちです」
 レクティファールの肩越しに声を発するマティリエ。ぐっと身体をレクティファールの胸板に押し付けて手を伸ばし、振った。
 レクティファールはその身体が落ちないよう支え、背後から近づいてくるオリガの気配に首を傾げた。
(微妙に不機嫌……?)
 いつもより若干歩く速度が早く、腕のふりも大きい。
 今日はまだ何もしていないはずだと思いつつも、もしかしたらマティリエと先約があったのかもしれないと考えた。それでは不機嫌になるのも無理はない。
「――マティリエ、少し確認したい」
「はい、オリガ様」
 同じ立場であるが、マティリエは他の皇妃に敬称を付けることを止めない。
 そういう意味では、少し舌足らずな「おにーさま」という言葉が、一番親しげに聞こえる。
「今日は、あなたの番?」
「は……い?」
 マティリエの困惑している様子が、レクティファールには手に取るように分かる。
「マティリエの番」というのがレクティファールと過ごす夜のことであろうことは分かるが、何故それをオリガがわざわざ確認するのか分からない。
「そう……」
 レクティファールは静かになった二人の様子に居心地の悪さを感じていた。
 マティリエについては、レクティファールは当初もう少し待つものだと思っていた。子を宿し、育てるには心身の成長が必要であると思っていた。他の皇妃たちも同様であったのだが、結局そんな考えは裏切られた。
『マティリエ殿下の成長は皇妃としての役割を果すために十分である』という医官の証明書が夜警総局への書類に添付されており、夜警総局もそれを受けてマティリエを一人前の皇妃として扱った。
 レクティファールがそれを知ったのは、マティリエとの初夜のことである。
 自分だけでは場が持たないだろうと思ってマティリエと仲の良いオリガを伴っていたレクティファールは、その判断が誤りであったと深く思い知ることになる。
「幼女性愛者……か」
 マティリエの待つ部屋に入ったとき、オリガがそう感慨深そうに古代語を呟いたのをレクティファールは一生忘れないだろう。そんなつもりはない――何よりそのような言葉は皇国成立とほぼ同時期に消滅したはずだった――と言い切るにはマティリエは確かに若い、幼い。
 だが、オリガもそれほど見た目に違いはないだろうと思い、そして更に落ち込んだ。
 隅で蹲りたくなって足を止めたレクティファールを引き摺って部屋に入ると、オリガはマティリエに色々な助言を行い、帰っていった。
 それ以来、レクティファールはこのふたりが揃っていると自分が何か悪いことをしているのではないかという錯覚を抱くようになる。
 何も問題はないはずなのに、妙に落ち着かないのだ。
「今夜、〈星船の墓場〉を通過するから……流星雨がある」
「流れ星?」
 マティリエがオリガの言葉に強い反応を示す。
 銀狼の宿命であるのか、星々に深い興味を抱くマティリエに、オリガは今夜起きるはずの流星雨の情報を携えてきたようだ。
 流星雨と言っても、何時の時代のものとも知れない残骸が燃え尽きるだけである。オリガはマティリエが興味を抱くかどうか半信半疑であった。しかし、マティリエは流星の由来に興味を示すことなく、ただその結果のみに強い関心を抱いたようだ。
 オリガはほんの僅か笑みを浮かべると、レクティファールに詳しい通過時間を記した紙を手渡した。
「レクティファール、よろしく」
「ええ、了解しました」
 レクティファールはマティリエを抱えたまま紙を受け取ると、それを腰の物入れに納めた。面倒見がいいなぁと思いつつオリガを眺めていると、その視線に気付いたオリガが恥ずかしげに顔を伏せた。
「じゃあ、これで……」
 そう言って立ち去ろうとするオリガを引き止めるように、マティリエが手を伸ばす。レクティファールは今度こそマティリエを下ろそうと思ったが、やはり嫌がられた。
「オリガ様も、一緒に」
 そうマティリエに懇願されては、レクティファールは逆らえない。
 何故であろうかと時折考えるが、逆らっても自分が罪悪感で押し潰されそうになるだけだと諦めた。
 叱るのは皇妃たちに任せることにする。
「オリガ」
 言って手を伸ばすと、オリガはその手を握り、ふわりと浮かび上がってマティリエの対面に収まった。
 右腕にマティリエが座り、左腕にオリガが座る。
「おも……くないですよ、ええ、だからこっち向かないで……」
 思わず呟きそうになったレクティファールを、ふたりの妃が揃って無表情を浮かべて見詰める。たとえ幼くとも、体重のことは言わない方がいいとレクティファールは学習した。
「しかし、これ以上大きくなるとこの姿勢は無理です」
「――大丈夫」
「わ、わたしも……お母様あまり大きくないので……!」
 そういう問題ではない、とはレクティファールも流石に口にしなかった。
 何が楽しいのか分からないが、こうして両腕に乗せた妃たちが楽しそうに会話をしている光景を見せられては、それで納得するしかない。
「今夜、ご一緒ねがえますか?」
「ん、大丈夫」
 レクティファールに確認するまでもなく、ふたりが同意すれば夜の予定変更はそう難しいものではない。レクティファールがそう決め、夜警総局に通達したのだ。
 もっともそのせいで、余計な苦労を背負うことはある。
 今回の場合、マティリエがオリガを招待したという形になるのだろう。それ自体も珍しいことではない。
 その夜に何をするかは妃とレクティファールが決めることであり、皇王府としては皇王と妃が仲睦まじくあれば十分なのである。
〈ということなんですが〉
〈あははー、お盛んですねーへ・い・か〉
 通信を繋いだ夜警総局局長の楽しげな声がレクティファールの脳裏に響く。
 レクティファールの好みによく合い、その声を喘ぎ鳴かせるのは楽しいものであるが、こうして予定変更を命じるときだけはあまり嬉しくない。
〈まあ、オリガ様とマティリエ様が同意しておられるなら問題ありません。次のオリガ様の順番の時、マティリエ様を同席させるかどうか、あとで確認はさせて頂きますが……〉
〈その辺りはあえて聞きたくなかったのですが……〉
 身振り手振りを交えてオリガとおしゃべりを楽しんでいるマティリエと、その言葉に小さく頷いているオリガ。
 レクティファールが何をしているのか理解しているのはオリガだけであろうが、まるで自分がこの世で一番のろくでなしになったような気分になった。
〈聞かせているんですよ、陛下。正直、感情など優先されては堪りませんので〉
 ルミネアールの声は楽しそうであったが、どこか冷たくもあった。
 彼女は皇妃を『管理』するために存在する。皇王と皇妃を交わらせ、子を作らせる。
〈恨むならどうぞ〉
 それはルミネアールの皇妃たちに対する基本的な姿勢であった。
 恨まれることを承知の上で、彼女は皇妃たちを家畜の如く管理しているのだ。
〈恨めるものか、私が命じているのだ〉
 そう、ルミネアールはレクティファールの命令通りに働いている。
 己の下した勅令を全うしている者を恨めるほど、レクティファールはまだ老いていない。
〈あら、今の結構ぐっと来ましたよ。今度お返しして差し上げます〉
 ルミネアールはそう嬉しそうに笑うと、通信を閉じた。
 今頃笑っているのだろう。レクティファールは漏れそうになる溜息を押し殺し、ゆっくりと庭を歩いて行く。
 マティリエが彼に話しかけ、オリガがレクティファールの胸元に手を添える。
 日常の中で互いに触れるたったこれだけの機会が、レクティファールをレクティファール足らしめていた。
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