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第四章:万世流転編
第十八話「皇都の日」 その五
しおりを挟む「なかなか美味しいじゃないですか。これだから屋台巡りが人気なんでしょうね」
遙か遠くに練習艦隊の姿を望む公園の長椅子に、レクティファールとマリカーシェルは隣り合って座っていた。
「うん、やっぱり色々な話は聞いておくものです。屋台の情報は即時入手が基本ですしね」
麦麺を口に運びながらのレクティファールの言葉に、マリカーシェルは素直に頷くことができなかった。ただ、手渡された麦麺だけは少しずつ確実に減っている。
「どこでそんな情報を得たのですか?」
「分かっているのでしょう? 君の優秀な部下たちですよ。下士官たちはあまり外出できないようですが……」
第一特別護衛旅団における外出許可は、階級が上がるほど制限が解除されていく。勤務経験の浅い下士官兵ともなれば集団外出ぐらいしか外に出る機会はないのだ。
後宮という宝石箱に閉じ込められた美しい騎士たち――彼女たちの境遇を評するそんな声が、或いは旅団を『愛人部隊』などと呼ばせているのかもしれない。
しかし、マリカーシェルから見れば、部下たちがそれほど鬱屈した日々を送っているとは到底考えられない。
後宮をより拡張し、改良し続けてきたのは主に女性皇王たちだった。
彼女たちは自分たちの感性と騎士たちの声に耳を傾け、ただ暮らすだけであれば過不足のない空間を作り上げた。
広大な浴場を備えた宿舎から、皇都の繁華街と較べても遜色ない品揃えを持つ酒保街。訓練場としての機能も持つ大水練場まで揃っているのだから、少なくとも生きていく上で外出する必要性は薄い。
むしろ立場が下になればなるほど後宮内で過ごすことを好む傾向があり、マリカーシェルたち司令部の悩みの種ですらあった。
「それでも不満は多くありません。化粧品や甘味の入荷が滞ったときの方がよほど騒がしいものです」
執務室に飛び込んでくるほどの強者はなかなかいないが、マリカーシェルよりも年嵩の部下もそれなりにいる。彼女たちからの要望を上手く捌くこともマリカーシェルの仕事のひとつになっていた。
「確かに、厨房から『頼んでいた砂糖が納入されていないので籠城します』と言われたときは焦りました。主犯が我が妃たちであったのは予想通りでしたが」
レクティファールは残った麦麺を口に入れ、これも途中にあった露店で購入した搾り果汁入りの陶瓶を呷る。
後宮立て籠もりは、その回数を重ねるごとにろくでもないことが理由になっていく、砂糖未納品事件もそのひとつだが、他にも体重が増えたので籠城しますということもあった。
レクティファールの視界に入ったら最後、身長体重体型を自動的に精査されてしまうことへの抵抗だったらしい。
「マリカーシェルには本当に助けて貰っていますよ」
「――いえ、職務ですので」
素直に受け止めるには、レクティファールの言葉はあまりに甘美だ。
それが特別護衛旅団の旅団長として必要とされているのだとしても、ただ言葉で聞けばまるで自分個人を求められているように感じてしまう。
それはマリカーシェルのような性格の持ち主にはこの上なく恐ろしいことだった。
「わたしは陛下と陛下の銃後を守る騎士です。陛下が皇王として力を振るうとき、背を顧みることがないようにすることが仕事なのです」
それは自分に常に言い聞かせている言葉そのものだった。
自分が必要とされていると思わないよう。自分が求められていると勘違いしないよう。必死に自分に言い聞かせている。
そうでなければ、マリカーシェルのこれまでの生き方が否定されてしまう。
「ですから、こうして気を遣って頂かなくても問題ありません」
マリカーシェルは鋭い視線でレクティファールを射貫いた。
誰が絵図を描いたのかは分からないが、自分とレクティファールの仲を多少なりとも進展させたいらしい。
レクティファールは自分を強い決意の籠もった視線で見詰めるマリカーシェルに対し、深く溜息を漏らした。
「なかなかあなたは騙せないものですね」
「あれだけ出し抜かれていれば、多少は憶えます。誰が陛下に願ったのかは問いませんが、あまり皇妃殿下たちに心配をかけないようお願い致します」
レクティファールに女性が近付くたび、皇妃の誰かの機嫌が悪くなる。
全員の機嫌が悪くならないのは、各々がその女性に対し抱く感情が異なるためだろう。
「――たぶん、誰も怒らないような気がするんですけどね」
「は……?」
マリカーシェルは苦笑と共に告げられたレクティファールの言葉に目を丸くした。
「それは一体……」
その言葉の意味を訊ねようとするマリカーシェルだが、それを遮ってレクティファールが立ち上がる。
そして、驚いたままのマリカーシェルを置いて、公園の出口へと向かっていく。
「え? あれ?」
マリカーシェルは大いに戸惑った。
レクティファールは「同行セヨ」とも「解散セヨ」とも言わない。
何も命じないまま、レクティファールは去ろうとしている。
「へ、陛下!?」
そう叫び、慌てて口元を押さえる。
誰も聞いていないことにほっと胸を撫で下ろしてから、彼女はさらに悩んだ。
(付いていけば良いの? でも、何も命じられていないし……)
ここまでの道程、レクティファールはマリカーシェルに対して何らかの行動を求め、彼女はその求めに答えるだけで良かった。
非番であろうとも、レクティファールという主がいるなら彼女の行動はその望みを果たすことに費やされる。それこそが彼女の本質にとってもっとも心地良い時間なのだから、当然だ。
「――っ!」
だが、ただ黙ってその場に捨て置かれてしまえば、マリカーシェルの心は大きく乱れる。劔は誰かの手にあって振るわれるからこそ存在意義を持つ。たとえ装飾として置かれるだけだとしても、そこには主によって求められた役割が存在する。
それなのに、レクティファールは何も求めずに去ろうとしている。
彼の剣として生きる女性を置き捨てようとしている。
「あ……」
求めることは常に拒否される危険性を孕んでいる。
故にマリカーシェルは軍人としてではなくマリカーシェル・ド・リア・マセリアとして誰かに何かを求めない。
家族にも、友人にも、何も願わない。そうすれば、拒絶されることも裏切られることもないから。
(そう、それが正しい。わたしはただ国とあの方に求められた通りに生きればいい。誰も不幸にならず、わたしも不幸にならない)
そう自分に言い聞かせ、立ち上がる。
求められていないならば、ただ当初の予定を消化すればいいだけのことだ。
彼女は路地の向こうへと消えようとしているレクティファールの背を見送り――
「ああ、もう……! わたしのバカ!」
しかしすぐにその後を追いかけ、走り出すのであった。
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