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第四章:万世流転編
第十八話「皇都の日」 その四
しおりを挟む「やっぱり夫婦生活というのは適度な緊張感が必要だと思うんですよ」
難しい顔をして何を悩んでいるのかと思えば、口を開いて真っ先に飛び出した言葉がそれだった。
「はぁ」
マリカーシェルは隣を歩くレクティファールの横顔を何処か冷めた目で眺めながら、気のない返事をする。あなたが何を言うのか、と言わんばかりの表情だった。
(何でこうなんだろう?)
マリカーシェルはそんな疑問を抱きながら、主君と隣り合って歩いている現状に思いを馳せる。
模様替えの邪魔になるからと、後宮へ戻る時間を後倒しにするよう細君に命じられたこの国の元首は、ちょうど非番に入ったところであったマリカーシェルを伴って街に出た。
マリカーシェルは当初街中にある酒楼で酒でも飲もうかと思っていたのだが、レクティファールをひとりで街中に放流する危険性を理解していない訳ではなかった。
護衛も居るし同行は必要ないと言うレクティファールに対し、マリカーシェルは半ば強引に随員の枠に収まってしまった。
その堂に入った態度を見て、密かにレクティファールを護衛する者たちもマリカーシェルが同行することに僅かな疑問も抱かなかったほどだ。
「国同士もそうじゃないですか。緊張感をなくすとちょっとした非常事態であっさりと大事になる。でも緊張感を持っていれば、相手の意図を正確に読み取って突発的な非常事態を防ぐことができる」
「陛下が……いえ、レクト様が奥様方の意図を正確に読み取っているとは、寡聞にして存じませんでした。しかしその割には、定期的に住まいの補修が行われているようですが?」
ふたりは車道のない路地に開かれた市場を歩いており、その会話を聞いている者はいない。もっとも、その会話を聞いていたとしても、得られる機密といえばレクティファールが日々細君たちの機嫌を維持するために苦心しているという事実だけだろう。その程度であれば、皇都の民のうち、男女の機微を理解した者たちなら全員が知っている。
「いやまあ、そうなんですけどね。あれも理解を深めるための学習活動と言いますか、決して無駄なことではないんですよ」
言い訳じみた言葉を続けるレクティファールに対し、マリカーシェルは頭を振って己の疑問を呈した。
「無駄ではないことと有益であることは別だと思いますが、如何でしょうか?」
マリカーシェルに問われ、レクティファールは困ったように笑う。このような遣り取りは一日に数回行われ、まったく減る気配がない。
「仰る通りです」
「はぁ……」
溜息を吐き、眉間を人差し指で二度三度と叩く。
レクティファールにはそれが己に対する呆れの仕草のように映っているだろうが、実際にはそうではない。
(これでいいんじゃない?)
彼女は、そんな風に呟く自分の中のもうひとりの自分に対して呆れていた。
何度も何度も同じような遣り取りをして、それが嫌ではない自分に驚き、呆れ果てる。
(毒された)
マリカーシェルはふらふらと近くにあった露店に近付くレクティファールを横目で見ながら、自分の状態をそう判定した。
レクティファールは露店に並ぶ様々な麦麺の中から幾つかを選びながら、店主と会話をしている。
店主が麦麺を紙袋に詰めながら何かを言うと、レクティファールはおもむろにマリカーシェルを指差した。
「――?」
何事かと近付いてみると、レクティファールの気の抜けた声が聞こえてきた。
「おじさんおじさん、ほらあそこの美人さん、私の部下。ね? 遊び呆けてる訳じゃないでしょう?」
「いやいや、にーちゃん。こんな時間に職場の美人の部下連れてぶらぶらしてたら、それ普通は女遊びだからな?」
「えっ!? 本当に?」
どうやら何処ぞの放蕩息子かと問われ、マリカーシェルを出汁に反論したらしいが、店主の言葉にも一理ある。
「えー、他の部下のときも同じ感じで労ってましたけど、そんなこと全然言われたことありませんよ」
「そりゃーあれよ、遊びに見えても構わねえってだけのことさ。仕事は仕事、遊びは遊び、だけど仕事での付き合いの奴と遊んじゃならねぇって決まりはない。にーちゃん慕われてるね」
「ほー、なるほど」
紙袋を渡され、銀貨一枚と交換する。看板を見ると、銀貨一枚で袋一つに選んだものを詰め合わせるということらしい。
「まあ、上手くやりなよ」
「上手くいくと良いんですがねぇ」
呵々と笑う店主に送り出され、レクティファールはマリカーシェルの前に戻ってきた。
「お待たせしました。各地の名産麦麺を集めた店だったので、思わず買ってしまいました」
「夕食は……まあ、大丈夫でしょうね」
〈皇剣〉には空腹も満腹も存在しない。摂取された食べ物は完全に熱量へと変換されてしまうため、どれだけ何を食べても満腹になるということはない。
また同時に体型が変化するということもない。その点だけは各所から怨嗟の声が聞こえてくるが、さりとてどうにかできる問題でもなかった。
「ひとつ如何ですか?」
「いえ、わたしは……」
紙袋から漂ってくる焼き立ての麦麺の香りが、マリカーシェルの鼻腔をくすぐる。
(あ、美味しそう)
そう思ってしまったのが原因か、遠慮しようと口を開いたマリカーシェルの腹部から、可愛らしい鳴き声が上がった。
「あ」
マリカーシェルの端正な顔がゆっくりと赤く染まっていく。
レクティファールは訳知り顔で頷き、紙袋の中から挽肉を包んだ麦麺を取り出して彼女に差し出した。
その表情に一切の侮蔑はなく、ただマリカーシェルの空腹の獣を鎮めるための供物を捧げる。
「はい、どうぞ」
「――いただきます」
か細い声で答え、マリカーシェルは麦麺を受け取った。
暖かい衣の奥に、玉葱と挽肉、丸薯を合わせた具が見える。
(やっぱり美味しそう……)
マリカーシェルのその思考に答え、再び彼女の腹部で空腹の獣が鳴いた。
今度こそ、彼女の顔は赤く染まった。
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