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第五章:因果去来編
第二話「それは緩やかな」その一
しおりを挟む「おい! 出てきやがれ! お前らのせいで俺たちは終わりだ!」
窓の外から怒鳴り声が聞こえてくる。
こっそりと二階にある自室の窓から覗き込むと、村の男たちが怒りに顔を歪めて玄関の扉を叩いているのが見えた。
「てめえの倅くらい、てめえで躾けられなかったのか! アイツが軍を逃げ出したせいで、うちのガキどもまで殺されちまったんだぞ!!」
「あれだけ兄さんを虐めておいて、よく言うよ」
口から思わず零れた言葉に、少しだけ驚いた。
こんな風に自分の本心を吐露したのはいつ以来だろうか。
兄が軍に徴兵されてからは、一度もなかった気がする。
「出てこい! うちの倅の仇だ、家族全員ぶっ殺してやる!」
軍では同じ村から徴兵された者たちをひとつの部隊に集め、誰かが逃亡した場合は同じ村の出身者を処罰するという取り決めになっていると聞いた。
互いを監視させて逃亡者を防ぐためらしいが、外の有様を見る限りそれほど役に立っているとは思えない。
「あんたらの息子がのろまだっただけじゃないか。いつもは兄さんのこと散々グズだののろまだの言っておいて、肝心なときには出し抜かれてるんだから、笑っちゃうよね」
兄は、自分を虐めていた者たちと共に軍に入った。
届いた手紙を読む限り、村での生活の延長のように扱われていたらしい。
部隊に割り当てられたきつい仕事を押し付けられ、配給の酒や甘味は奪われていた。兄は雀の涙ほどの給金をそのまま自分たちに送っていたから、かろうじて金を巻き上げられることはなかったらしい。
そんな生活を二年ほど続け、村の連中が油断した頃、兄は逃げたようだ。
「くそっ、出てこい! 出てこいよ!!」
莫迦みたいな連中だと思う。
自分たちこそ子どもをまともに躾けられず、その結果大事な子どもを失ってしまったのだ。
兄だってなんの理由もなく逃げたりしない。自分が逃げることで起きることくらい分かっているだろう。それを天秤に掛けて、逃げることを選んだ。
「返せ! うちの倅を返せ!! くそっ、くそぉ……ッ」
一番でかい声を張り上げていた男が、扉の前で蹲っているのが見える。
それはそうだろう。軍に行ったのは、自慢の長男だった。
女ばかりの家系で、唯一生まれた男だ。大事に大事に育て、軍へ行くときもできるだけ楽なところに配属されるよう役人に可能な限りの賄賂を送ったと聞く。
そのお陰で戦闘に参加することもなく、あと少しで兵役が終わるというところで、兄が逃亡だ。
さぞ悔しいことだろう。
だが、その自慢の息子が率先して自分の兄を虐げていた。
そんな奴、死んで良かった。
「ふざけるなよ……ふざけるなよ……!!」
しかし、子が屑ならば親も屑だ。
今、うちには自分しか生きている者はいない。
それに気付かず、あんなにもみっともない姿を見せているのだ。
「兄さんは、もう失うものがなくなったんだよ。おじさんたち」
そう言って、自分の手をみる。
痩せ細り、枯れ枝のようになったその手で、兄からの最後の手紙を掴む。
咳が止まらなくなった母を心配し、できれば近くの街の医者に掛かってほしいと願う内容だ。
しかし、手紙が届く頃にはその母はもう死んでいた。近くの街の医者は、薬などの物資を揃えられなくなり、診療所を畳んで街を出て行ったと聞いた。この国のどこでも見られる光景だ。珍しいものではない。
そして母が死んで一カ月ほど経つと父が同じ症状になり、すぐに自分も同じような咳が出るようになった。
自分は兄に手紙を送った。幼少の頃、兄と遊んだ言葉遊びを暗号にして、自分たちはもうだめだから、兄だけでも逃げるようにと書いた。
兄が逃げたということは、軍の検閲は子どもの言葉遊びを見抜けなかったということだろう。
それほどまでに軍の人材状況は悪化しているということなのだろうが、自分にとってはもはやどうでもいいことだ。
「よかった。兄さんが上手く逃げてくれて」
それだけが心残りだった。
兄を虐めていた村の人々は、最後の最後で役に立ってくれた。
これで、思い残すことなく眠ることができる。
「ああ……おやすみなさい」
疲れ切った身体から、力が抜けていく。
そして最後に、魂そのものが抜け出して、この家に生者はいなくなった。
新生アルマダ帝国の片隅で、ひとつの家が途絶えた。
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