神へ捧げるカントゥス

茄子

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前日談002 水上沙良

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 私が恋をしたのは5歳の時。初めてあの方を見て、あの方のお嫁さんになりたいと強く思った。
 でも、それは許される恋ではなかった。

「芙灯様…」

 本当に小さいとき、7歳のお披露目パーティーでの写真だけが二人が一緒に写っている写真。
 今も大切に持っている。
 あの人が弱っているところに付け込んで体を繋げた。油断しているところに強いお酒を飲ませて、前後不覚になったところを無理やり襲った。
 その一度で妊娠できたのは本当に奇跡だったのだろう。
 処女だったことで芙灯様は私を娶ると言ってくれたけど、私はそれに首を振った。
 芙灯様が愛しているのは別の人だから。その人をどれだけ愛してるか知ってるから。
 それに私は水上家の総領娘。あの人の家に嫁ぐわけにはいかない。

『愚かよの。お主ならもっと別の男がおるであろう』
「いいえいいえ、あの方以外と体を繋げるなど私にはできないのですわ」

 そういえば水の神が悲しそうに笑みを浮かべる。
 我が家の守護神である水の神の加護を私は受けていない。
 総領娘でありながら、兄に跡取りを任されたにもかかわらずにだ。

『今我が加護を与えれば腹の児にも加護がかかるぞ。水上は我が加護を望んでいるのではないのか?』
「望んでおりますとも。けれど水の神、私は罰を受けるべきではありませんか?」
『いかなる罪の罰を受けるという?』
「あの方の意思を無視して体を繋げた罪です」
『本当に、愚かな娘。それは自虐であろう』
「……私、わがままなのですわ」
『そうじゃの』
「このままいれば、芙灯様は少なくとも私を子供だとは思わない。心のどこかに必ずいることが出来る」

 それがうれしいと、うっとりとお腹を撫でる沙良の姿に、水の神は嘆息して姿を消す。
 申し訳ありません。貴方様のご慈悲は嬉しく思います。
 それでも、わがままを通した私への罰を私が望むのです。
 この子をいただいた幸福を、芙灯様と肌を触れ合わせた幸福を、それを打ち消すほどの罰を私自身に降りかかるよう望むのです。


 だって私は、芙灯様の奥方が嫌いじゃないのだもの。それどころか好きなのだもの。


 腹の児の妊娠はまだ誰も知らない。
 このまま下せない時期まで隠し通せば、誰も産むなとは言えないだろう。
 その考えに思わず口の端が持ち上がる。

「ふふ」

 追わず漏れる笑いに口元を手で隠す。


 愛しております。お慕いしております。狂おしいほどに、想っております。
 この子は私の欲望の結果だけれど、どうか否定だけはなさらないで。
 貴方の奥方の場所を奪おうなんて考えてないのだから。
 孫に等しい年齢の私を犯したと嘆いた貴方。違うのですわ。私が貴方を犯したのです。
 最愛の奥様を亡くして、悲しむ貴方に子供の仮面をかぶって近づいて、だましたのです。

「私の児」

 まったく膨らみを見せない腹を撫で、名前はどうしようかと考える。


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 妊娠をしている間、本当に幸せだった。
 使用人に月の物が来ていないことを悟られ、お母様に病院で検査されてあっけなく妊娠は判明してしまった。
 誰の子だと問い詰める両親や兄弟に沈黙を貫いた。
 それでもどこかからか話しは伝わるもので、私の子が芙灯様の御子だという噂が広まった。
 私が妊娠したと知った芙灯様が時期から自分の子だと理解し、パーティーや何かにつけてエスコートをしてくれたせいもあるのかもしれない。

「私の嫁になりなさい、沙良。私の子を婚外子にするつもりか?」
「いいえ芙灯様。私は貴女の妻になる気はございません。それに海外では婚外子は珍しいものではありませんわ」
「沙良。いい子だからいうことを聞きなさい」
「いやですわ。これは私に課した罰なのですわ。これ以上幸福になってはきっと大きな不幸が待っておりますもの」

 ボロボロと涙を流す私に、芙灯様は優しく触れ涙を吸い取ってくれる。

「私たちの小さな姫は随分と我がままだ」
「そうですわ。私はわがままですの。華子様が亡くなったという芙灯様の悲しみにつけこんだんですの」
「ああ、そうだな。腑抜けになってた私を沙良が元に戻してくれた。沙良であれば華子も怒りはしないだろう。だから私の傍で私を支えておくれ、私たちの小さな姫」
「もう小さな姫ではありませんわ」
「そうだな。そうだったなもう立派な女性だ」

 優しく触れる唇にまた涙が流れる。
 幸せだ。愛する人に求められることというのは、こんなにも幸せなんだろうか。
 だから怖かった。これ以上の幸福が怖かった。


***********************************************


 受胎してから約十か月経って元気な男の子が生まれた。
 芙灯様の面影のある、けれどもユングリングの血が濃く出た子供。

「私の子」
『健やかな児だの』
「ええ、かわいい私の子ですわ」
『まったく、あれほど望まれておるのに終ぞ産まれるまで妻になることを了承せぬとは、頑固者じゃな』
「だって、私は水上の総領娘ですわ。嫁に行くわけには参りませんもの」
『言い訳だの』

 風の神と水の神が呆れたように見てくるのを感じて苦笑する。

「怖いのですわ。常人であれば幸福が続けば大きな不幸が訪れるものです」

 その言葉に水の神は嘆息し、風の神は悲しそうな顔をした。

『今ある幸福を逃せば、いずれそなたの言う不幸が訪れたとき絶望が襲うかもしれぬぞ』
『少しでも多く芙灯との確かな繋がりを結んでもおかねば、悲しむことになるかもしれんぞ』
「覚悟の、上ですわ」


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「ああ、元気な子だ。名前は決めたのか?」
「お父様が必死に考えてますわ」
「幸人が?ふむ、リーシャ様に任せたほうが良い気もするが」
「まあ、ふふ」

 退院して水上家に戻れば、すぐさまたくさんの子供用用品をもって芙灯様がいらっしゃった。
 慣れた手つきで赤子を抱き、顔を緩めて笑みを浮かべる。

「よく頑張った」
「ありがとうございますわ」
「それで、いつになったら嫁に来るのだ?」
「いきませんよ」
「子も生まれた。水上の跡取りはこの子がいるだろう」
「芙灯様、水上は血統と水の神の加護で跡取りを決めるのですわ。この子が跡取りになれるとは限りませんわ」
「では沙良も跡取りではないではないか。嫁に来るのに何の不自由がある?」
「跡取りではなくとも私は総領娘ですわ。皆森には嫁げません」
「頑固者め」

 そう言って笑う芙灯様に、私も笑う。
 幸せな、幸せな時間だった。この時間がずっと続くことを祈っていた。


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 史が6歳の誕生日、内輪だが豪華なパーティーが開かれた。
 すでに戸籍上は認知されている史の父親、芙灯様ももちろん参加する予定だ。そのはずだった…。

「嘘です!嘘ですわ!」

 遅れてくる予定だった芙灯様が、車の事故で亡くなった。
 対向車と正面衝突し、後続車も巻き込んだ大きな事故。
 即死だったと、運悪く防弾ガラスに頭を打ち付けて亡くなったと賑やかだった会場に震える声が響く。

「芙灯様が亡くなっただなんて嘘ですわ」
「お母様」
「史っ」

 状況がまだよくわかっていない史を抱きしめる。

「史、史っ」

 ドレス姿のまま半狂乱になって芙灯様の名前と史の名前を呼び続けるだけの私の姿に、素早くお母様が使用人に命じて会場から連れ出させる。
 そのあとのことはあまり覚えていない。気が付いたら芙灯様の御通夜で、私は棺桶に縋り付いて泣いていた。


***********************************************


『正気か?』
「……ええ、狂ってはおりませんわ。狂ってしまったほうが楽だったのでしょうけれど」

 歪な微笑みを浮かべる沙良に、風の神は悲しそうな表情を浮かべる、水の神は苦しそうな表情を浮かべる。

『だから言うたのだ、悲しむことになると』
「結婚していれば変えられたかもしれない運命、ですか?」
『いや、あやつの寿命は本来なら随分前に尽きるはずだった。あそこまで生きたのはあやつの執念よ』
「そう、ですの…」
『史の7歳の誕生日までに婚姻するのだとお前の両親に承諾を得て、息子夫婦にも了承を得て…会社の引継ぎもすべて終えて、隠居するから水上へ婿入りすると、そう計画を練っておった』
「……っ芙灯様」

 ぼろぼろと尽きたと思った涙が溢れ出す。

『とうに消えていたはずの命が運命に逆らい、あの日まで生きたのは偏に沙良を娶ろうという執念だ』
「どうして…私はひどいことをしたのに」
『愛しておるからだ』
「史をですか?」
『沙良をだ。華子のことを愛していたのは事実。けれどもそれは沙良を愛さない理由にはならない』
「…うそですわ」
『嘘ではない。体を繋げたときは確かに情はあれど恋慕や愛はなかっただろう。だが、過ごすうちに恋愛感情が芽生えて何の不思議がある』
「……うそですわ」
『芙灯は確かに、沙良を女として愛していた。史を息子として愛していた』

 風の神の言葉に涙が止まらなくなる。
 ごめんなさいと何度も何度も謝る。

『罰を与えよう沙良』
「水の神」
『お主には今後水を司るモノの加護は与えられず、子にも与えられることはない。されど、見守り時に道を示そう』
『罰が訪れよう、沙良』
「風の神」
『人は沙良と芙灯のことを面白おかしく噂するだろう。それは時に尊厳を貶めるモノもある。なれど、強く立ち向かう力を、自身を強く持ち意志を貫く加護を沙良と史に与えよう』
「………っりが、とう…ございます」

 ボロボロと涙を流し、顔を手で覆った沙良の頭を、二柱は優しく撫でた。
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