上 下
15 / 34

015

しおりを挟む
「今日から最長二週間宿泊させていただけますか?」
「おい、ここはお嬢ちゃんが来るような場所じゃないぜ、ほら帰った帰った」

 『メリカーノ』の受付ですげなく追い返されそうになるのは、予想の内ですわ。

「『メリカーノ』の『ヤドリギ』の下で、『血の誓い』は果たされる」
「っ!嬢ちゃん、どこでその言葉を!」
「これを、ヒート様にお届けくださいませ」
「手紙とこれは薬か?」

 わたくしは手紙と薬と一緒に、二週間分の宿賃と、それとは別に金貨の入った小さな麻袋を受付に渡します。

「……なんだか気味の悪い嬢ちゃんだな。まあ、その言葉を知っている者を拒むことは出来ないからな。わかった、二週間分の宿泊代とお駄賃確かに預かったぜ。あと、合言葉を知っているならいらぬ注意だろうが、自分の身は自分で守れよ」
「わかっておりますわ、お気遣いありがとうございます」

 受付の方は「ふん」と鼻を鳴らし、二階の角部屋の鍵を渡してくださいました。
 何かあった時に、一番逃げ出しやすい部屋の鍵ですわね。この受付の方も、根は悪くないのか、合言葉を知っているわたくしを怪しんでいるのかはわかりませんが、第二関門は突破ですわね。
 手荷物の一つもないわたくしのことを、訝しむ客はいらっしゃいましたが、収納ボックスという魔法を習得している方はそれなりにいらっしゃいますので、そこまで気にはされませんでした。
 先ほどの手紙等も、収納ボックスから取り出しましたし、その場面を見ていれば不思議には思いませんでしょうね。
 わたくしは部屋に入ると、しっかりと鍵をかけ、粗末なベッドに腰かけます。

「ヒート様に、ちゃんと届きますように」

 祈りに近い言葉を口にして、わたくしはベッドに横たわり、仮眠をとることにいたしました。

 寝ている間、襲われない様に結界を張っておりましたが、その結界に近づく気配に目を覚まします。
 この気配は、ヒート様?
 わたくしはそんなに眠ってしまっていたのでしょうか?
 結界を解除して扉の近くに行くと、丁度ドアを四回ノックされました。

「モカだな。この扉を開けなさい」
「……はい、ヒート様」

 気配から、扉の向こうに居るのは間違いなくヒート様お一人、まさか警護の者も付けずに、身も知らぬ、訳も分からぬ手紙と薬を送りつけて来た小娘の所に来たというのでしょうか。
 扉を開けると、そこには間違いなくヒート様がいらっしゃいました。

「会いたかったぞ、モカ」
「え?」
「安心しなさい、俺にもループした記憶がある。さあ、このような所ではなく、俺の館に来るんだ」
「はい」

 ヒート様は、闇社会にわたくしが身を浸していた時に指導をしてくださった上司ですわ。貴族ではありませんが、表向きは大きな商会を持つ富豪と言うことになっております。
 ですので、その資金力に見合った、大きなお館をお持ちです。その館の裏の通り名は『ヤドリギ』館。
 馬車に乗せられて『ヤドリギ』館に着く間、ヒート様はこの一年間、わたくしの事を探していらっしゃったという事を教えてくださいました。

「ヒート様の記憶にあるわたくしは、どのようなわたくしでしたでしょうか?」
「モカは、不思議な娘で、俺の胸の病の事も的確に言い当てた。シェインク王子とその正妃ストロベリー妃を追い落とした策略家だ。俺の後継者にと考えていたのに、二十歳の誕生日を迎えて間もなく、突然血を吐いて倒れ、そのまま死んでしまった。俺の記憶はこんな感じだ。気が付いたら、モカが婚約破棄されたという噂を聞いた。それで探していたんだが、王都のどこを探してもモカの姿はなかった」
「隣国との境目にある森の、賢者様の元に身を寄せておりました」
「そうか、道理で王都を探してもいないはずだな。……モカよ、俺は少し失望していた、真っ先に俺を頼ってくると思っていたからな」

 真っ直ぐに、心の底から怒っているという感情を向けてくるヒート様に、わたくしは素直に頭を下げます。

「申し訳ありません、今回のループでは、身の危険を感じたので、いち早く王都を離れたかったのでございます」
「それでも、俺は、俺を頼ってほしかったぞ」
「ヒート様もループしているとは思えなかったものですから」
「……まあそうだな。俺もループしていると気が付いた時は夢を見ているのかと思ったほどだ。腕の中で、どんどん冷たくなっていくモカの体の重みを覚えていたから、現実としてすぐに受け入れることが出来たがな」

 流石はヒート様です。

「ああ、館に着いたな。ほら、久しぶりの我が家だぞ、モカ」
「……はい」

 申し訳ありません、ヒート様。今生のわたくしの我が家は、スコッチ様のいるあの山小屋なのでございます。
 館に入ると、ヒート様の部下の方々がぎょっとしたようにわたくしを見てきます。
 それはそうでしょう、当主が突然見知らぬ小娘を連れて帰って来たのですから。
 ヒート様は初老の、後継者のいない大きな組織の絶対的存在です。そんな方が突然小娘を連れて帰ってきたら、妾にでも育てるのかと勘繰るのも仕方がない事なのではないでしょうか?
 間違っても、跡取りにしようと考えているなどとは思わないでしょう。
 ヒート様の執務室に連れてこられ、人払いをされ二人っきりになると、ヒート様はくしゃっと見慣れた笑みをやっと向けてくださいました。

「やっと帰ってきてくれたな、俺のモカ」
「……申し訳ありません、ヒート様。せっかくヒート様が目をかけてくださっておりますのに、わたくしは今生もヒート様の期待に応えることは出来そうにありません」
「なぜだ。実績なら今から積んでいけばいい」
「わたくしは、ヒート様の後継者になりたくて戻ったわけではないのです。わたくしがここに戻ってきた理由は酷く私的な理由でございます」

 わたくしの言葉に、ヒート様の機嫌が急降下していくのが分かります。
 手を上げられることはないとわかっていますし、万が一そうなっても避けるだけの自信はございますが、やはり親しい方から向けられる怒気という物には慣れませんわね。

「ではなぜ戻った。まさか、俺の胸の病を治す為等という生ぬるい事を抜かすのではないだろうな?」
「それも目的の一つですが、もっと私的な事です」

 ヒート様が値踏みするように、わたくしの思考回路を読んでくるような視線を向けていらっしゃいます。

「では、復讐か?」
「それも言い得て妙な感じですが、シェインク様とストロベリー様がこの度無事に婚約を結んだということですので、ささやかながら、わたくしなりのお祝いをしようと思ってまいりましたの」
「祝い?」
「ええ、ストロベリー様に言われましたの。わたくしは悪役なのだと。ですので、そのお言葉に沿うように、動こうと思いまして」
「つまり、婚約破棄をさせたいと?」
「……そう、ですわね。……いいえ、それでは生ぬるいですわ。もっと絶望に落としてやりたいのですわ」
「ふむ」

 ヒート様は怒気を抑えてくださり、執務机に体を預けて考え込みました。

「前回は、ストロベリー妃が浮気をして、それはそもそもあの時の王太子が闇社会に依頼して仕掛けたハニートラップだったな」
「はい」
「今回も同じことをするか?」
「そうですわね、ストロベリー様とシェインク様は今幸せの絶頂にいると思いますの。そこにわたくしが現れましたら、どんな顔をなさいますかしら?」
「ふむ」
「まあ、わたくしが顔を出すのは最後のネタ晴らしの時と決めておりますが、またハニートラップを両方にしかけて同時にそれをばらされたら、どんな気分になるでしょうか」

 わたくしは自分で言いながら、顔が紅潮していくのを感じました。
 お互いに好き合っているはずなのに、他の人に次第に惹かれていく罪悪感と、背徳感。そしてそれが相手にも裏切られていると知った瞬間の絶望感はどれほどの物でしょうか。

「モカ、いい顔をしているな。俺が惚れ込んだ顔だ」
「……。他人の不幸を願う顔に惚れ込んで、後継者にしようと思っていたなど、狂気の沙汰ですわよ?」
「はっ。そもそもこの闇社会にまともな者などいるものか」

 そうでしょうか? ヒート様が知らないだけで居るかもしれませんのに、決めつけるのは良くないですわ。

「いいだろう、モカの願いを叶えてやろう。その代わり、モカは俺専属の薬師として俺の傍に侍っていろ。部下には俺が見出してきた幹部候補だと告げておこう」
「わたくし、嫉妬の的になってしまいますわね」
「ふん、無能者のことなど気にかけなくていい。モカは好きなように動けばいい。全て俺がうまいように手配してやる」
「ありがとうございます」

 ここまでしてくださいますのに、わたくしは何も返すことが出来ませんわね。
 せめて、ヒート様の胸の病だけでも取り除けるように致しましょう。

「けれどヒート様、部下の方にもわたくしは、ヒート様専属の薬師と紹介してはいただけないでしょうか?」
「なぜだ? 幹部候補として紹介された方が待遇は良くなるぞ?」
「構いません、事が終わればここを立ち去る者でございますもの。そのような者が、ヒート様直々に見いだされた幹部候補などというのは、問題がございましょう」
「そのようなこと、気にせずとも良いのに」
「いいえ、わたくしが気にいたしますわ」
「モカは真面目だな」

 いいえ、ヒート様。本当に真面目なら、悪役を演じようなどとは思いませんでしょう。
 ヒート様、わたくしの事を買い被り過ぎていますわね。

「では、ストロベリー妃……いや、今はまだ伯爵令嬢か。ともかくアレの好みの男を見つける事と、シェインク王子の好みの娘を見つける事から始めなければいけないな」
「そのことなのですが、シェインク様の好みの女性を宛がう方を先にした方が良いと思いますの」
「なぜだ?」
「少しずつ、自分から気持ちが離れていくシェインク様に傷ついた心に、優しい男性が入り込んだ方が、ダメージが大きそうですもの」
「なるほどな」

 ああ、悪役って難しいですけれども、考えるのは楽しいですわね。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

黒龍の巫女になったら悪者扱いされてます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:276

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,390pt お気に入り:90

腹黒上司が実は激甘だった件について。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:138

規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:682pt お気に入り:137

綴音学園 花の教え

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:53

処理中です...