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023 いざ、王都出立

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「ほんとに、行っちまうんですか、モカの姐さん」
「もう少し居てもいいんじゃないですかい?」

 わたくしが『ヤドリギ』を離れると知れ渡ってからというもの、行く先々でこのように引き留める言葉をかけていただきます。
 ありがたいのですけれども、その度にやんわりとお断りし、今後は年に一度は顔を出すことをお伝えして納得していただきました。
 たった数か月居ただけですのに、随分と打ち解けてしまいましたわね。
 まあ、わたくしとしましては、長い間のお付き合いのある方々ばかりですので、情もわくのですが、向こうからも同じように情を返されるとは思ってもみませんでした。
 そうして旅立ちの日、わたくしはキャラメル公爵家にやってまいりました。
 お兄様には訪問の旨を伝えてありましたので、難なく迎え入れられました。

「モカ、おかえり」
「ご機嫌よう、マキアート公爵子息様」

 以前のように家族として迎え入れてくれたお兄様に対して、わたくしはカーテシーをして、あくまでも他人のように振舞いました。

「そんな他人行儀な振る舞いは止めてくれ。ここには僕とモカしかいないのだから、前のようにお兄様と呼んではくれないか?」
「……わかりましたわ、お兄様」

 わたくしの言葉に、お兄様はホッとしたような顔をして、ソファーに座るように促しました。
 今のわたくしは、髪の色も変えておりませんので、家の者からすれば、公爵籍を抜けた娘が今更何の用だ?と言った感じなのではないでしょうか?
 特に、お父様は。

「お父様のお加減は如何ですか?」
「うん、相変わらずだよ。それにしても、刺客に襲われて命が助かったのはいいけれど、声が出ない状態になるなんて、よほどの恐怖だったのだろうね」
「そうですわね」

 お兄様の言葉に、わたくしは同調するように頷きます。
 お父様は現在、『お声だけ』が使用できない状態になっているのです。
 ですので、実務は全て筆談ということになるのですが、それですと手間が増えてしまいますので、おのずとお兄様に任される仕事量が増え、その結果、お兄様の発言権が増していったといった具合なのでございます。
 そのほかにも、ヒート様の扱っている表の商品をお父様には売らず、お兄様にだけ売るなど、少しずつですがその権力を削いでいったのですわ。
 わたくしは、キャラメル公爵家の応接室のソファーに腰かけ、懐かしい顔の侍女が淹れてくれた紅茶を飲みながら、お兄様を見ます。
 以前より自信に満ちたお顔をなさっておいでですわね。

「それで、モカは今後どうするつもりなんだ? 王都に残るのなら、またここに住んでもいいんだよ」
「いいえ、わたくしは国境付近にある森に住んでいらっしゃる、森の賢者様の所に身を寄せようと考えております。とはいえ、ヒート様とのお約束で、年に一度は顔を出さなければなりませんので、その時はこちらにも顔を出すように致しますわ」
「そうしてくれると嬉しいよ。出来れば僕の結婚式にも顔を出してほしいが、難しいかな?」
「タイミングが合えば、という感じですかしらね」

 お父様がこのような状態ですので、お兄様の結婚は予定よりも早まりそうだとの情報がございますわ。
 そして、爵位の相続も同時に早まりそうだということです。
 ちなみに、お父様を襲った刺客というのは、もちろんわたくしでございますわよ。
 あの時のお父様のお顔ったら、今思い出しただけでも思わず笑みがこぼれてしまいそうですわ。
 だってそうですわよねぇ。
 家を出ていったと思った娘が、真夜中に自分の前に現れて、突然刃を向けてきているのですもの。それは驚きますわよね。
 硬直しているお父様の声帯に刃を突き立て、声帯をつぶし、傷は回復魔法で癒しました。
 その際に、洗脳魔法で襲った刺客が私であった記憶は消させていただきましたが、恐怖心だけは残るようにしましたのよ。

「それにしても、モカが夜会に現れた時は驚いたよ」
「登場寸前までは、魔法で髪色を変えておりましたので、お気づきにならなかったのでしょう」

 とはいえ、わたくしのお友達はすぐにわたくしに気が付いたようですけれどもね。
 まあ、お兄様はご挨拶回りで忙しかったようですし、仕方がありませんわ。
 ヒート様の所に来ていれば、すぐにわたくしの事にも気が付かれたでしょうが、まずは他国からの国賓客への挨拶回りや、貴族同士での挨拶回りが優先されて、ヒート様への挨拶が遅くなるのも仕方がない事です。
 紅茶に入ったカップが空になったところで、わたくしは口を開きます。

「ではお兄様、わたくしはこの辺で失礼いたしますわ」
「もっとゆっくりしていったらどうだい?」
「いいえ、いくら血のつながった兄妹とはいえ、わたくしはこの家から出て行った身でございますので、あまり長居するのもなんですから」
「そうかい」

 残念そうに言うお兄様には悪いのですけれども、この家には愛着はあまりないのですよね。
 わたくしはスッと立ち上がると、「見送りはいりませんわ」と言って、応接室を出ていきました。

 キャラメル公爵家をでて、スコッチ様へのお土産のお酒を市場で購入してから、わたくしは関所へ向かいます。
 来た時はバレル様と一緒でしたが、帰りは一人ですわね。

「そういえば、バレル様お元気でしょうか?」

 そう呟けば、気が付くとすぐそばに懐かしい気配がありました。

「やっと名前を呼んでくれたな」
「まあ! バレル様」

 いつの間に、とわたくしは目を大きく広げて驚いてしまいます。

「言っただろう、名前を呼んでくれればどこに居たって駆け付けると」
「それは仰っていましたが……」

 まさかこのような形で現れるとは思ってもみませんでした。

「ピアス、ずっとつけていてくれたのだな」
「ええ、バレル様に頂いたものですもの」

 わたくしは、耳たぶにあるピアスにそっと触れながら、照れたように微笑みます。

「これからも付けていてくれるか?」
「ええ、そうですわね」

 それは実質、バレル様からの告白を受けたようなものなのですが、わたくしはただ、頂いたものを大切にするだけだという意味で頷きます。

「せっかくこんなに綺麗なのですから、外すのは勿体ないですわよね」
「そうだな」

 バレル様は少しだけ残念そうな顔をなさいましたが、説明をなさらないバレル様も悪いのですわよ。
 まあ、貴族の常識では、異性から頂いたその人の瞳の色の宝石を身に着けることは、その人の愛を受け取ったという意味合いがございますけれどもね。
 バレル様は表向き、一介の冒険者ですし、わたくしもただの薬師でございますので、貴族の風習に囚われる必要はございませんわ。

「バレル様、わたくしは今からスコッチ様の所に帰ろうと思うのですが、ご一緒していただけますか?」
「もちろんだ」

 バレル様は眩しい笑顔でそう仰ってくださいました。
 その後、わたくしは髪の色を変えずにバレル様と共に関所に向かいます。

「ようバレル、どっかに狩りいくのか?」
「ああ、国境の方まで行く予定だ」
「そうか。それで、そっちの嬢ちゃんは……?」
「モカと申します。薬師をしておりまして、バレル様と一緒に国境付近まで行く予定です」
「ふーん」

 門番さんがにやにやとバレル様を見ます。

「えらく別嬪さんじゃないか、バレル」
「関係ないだろう。まあ、ただ、一人で国境まで行かせるなんて真似、出来ないからな」
「そうかそうか」

 門番さんは何を誤解したのか、妙に上機嫌です。
 それにしても、門番さんは持ち回りなのでしょうか?
 三回関所をくぐりましたが、一度として同じ方がいらっしゃったことはございませんわね。
 まあ、この国にも騎士や兵士は沢山いらっしゃいますので、シフト制なのかもしれませんわね。
 流石に冒険者として名を上げているバレル様は、お知り合いが多いようですけれども。

「さて、馬はこれがいいだろう。さあ、行こうかモカ」
「はい。バレル様」

 関所を問題なく通り抜けたわたくしとバレル様は、二頭馬を買ってスコッチ様のいる国境付近にある森を目指しました。
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