木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

真っ白なキャンバスと決着。

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夏休み最後の木曜日。
朝からの雨。
この季節にしては珍しくしとしと長く降るタイプの雨で、今日は朝から少し涼しい。
こうして木曜日が涼しくあってくれると助かる。
山崎先生に汗でベタベタな身体はあまり触らせたくないから。
私は熱気の中に立ち上ってくる先生の匂いも好きだけれど、自分の匂いはやっぱり気になる。
なるべく先生には良い香りだと思われたい。
そんな事を考えながら歩いていた。
雨の為か運動部の生徒を全く見かけない。
いつも以上に静かで傘にあたる雨の音しか存在しない中庭。
ぼやっと歩いていると渡り廊下の下を突っ切る辺りで、いつの間にか傘の影に現れた人物とぶつかってしまった。
「うおっ!」
「ひゃっ!」
ぼふっと音をたてて跳ね返る傘。
飛び散る雫。
手から離れ転がる傘を無視し、直ぐに使おうと手に持っていたタオルを咄嗟に差し出す。
「ごめんなさい!前見てなくて!」
「良いよ良いよ、こっちも前見てなかったから…。」
そう言って足元にひっくり返っている私の傘を拾ってくれている人物にしっかりと目を向ける。
時間が止まるかと思った。
相手も私の顔を見ると中腰で拾った傘を持ったまま固まっている。
「咲…?」
それは亜樹だった。
会わないように気を付けていたのに。
特にこの辺りは夏休み最初の木曜日に鉢合わせた所だったから…。
だけど今日はすっかり油断していた。
夏休み中の登校は今日で最後だし、傘も差していて顔が隠れているしなんて気が緩んで…。
甘かった。
「咲、何してんの?」
「図書室…。図書室に借りたい本があって。結構人気の新刊で休み明けだともう借りられちゃってるかもしれないから。」
万が一に備え用意していた言い訳を恐る恐る口にする。
嘘ではない。
実際に私はよく図書室を利用しているし、休み前に入荷していた新刊をそろそろ借りようと思っていた。
それは亜樹にも話していたので不自然ではないはずだ。
私なんかの発言を覚えていたらの話だけれど。
「亜樹こそ…今日も由井君達?」
「あー、まぁ、うん…。」
明らかに歯切れが悪い。
心做しか目も泳いでいる。
やっぱり何か隠しているんだ。
普段自信満々で周囲の空気なんて気にして振る舞わない亜樹は気の利いた嘘なんて咄嗟に出てこないのだろう。
まあ、空気が読めないのも嘘が下手なのも完全にお互い様だけれど…。
「亜樹…。本当は何か隠してない?」
「は、は?な、なん、急に。」
正直、今更亜樹が私に隠れて誰と何をしていても良いんだ。
寧ろ私は自分の疚しさを正当化したくて、先に亜樹の疚しい所を暴きたいがために意地悪にも問い詰めている。
嫌になるくらい打算的で酷く勝手だと自分でも思う。
だけど心の何処かで「私が先生を好きになったのは亜樹のせい」だって気持ちもあって。
亜樹が「オナニーしろ」なんて言わなければ私はプール棟なんて行かなかった。
山崎先生と親密になることもなかった。
「本当は学校に何しに来てんの?」
じっと目を見て詰め寄ると亜樹はふっとその視線から逃げる。
「友達と遊んでるって言ってんじゃん…。俺が信用出来ない?」
いじけた声。
ちょっと前ならこんな反応が可愛いと思ったし、これ以上不機嫌になられるもの嫌で許していた。
残念だけど今はもうそういう気持ちが湧かない。
「出来ないよ。信用なんて。」
まさか私がはっきりと意思表示すると思わなかったのだろう。
亜樹は驚き目を丸くしている。
思えば私は彼に対して強くものを言った事がない。
今回もまた私なら簡単に引き下がるものだと踏んでいるのだろう。
だけどもう、そうはいかない。
「信用なんてないよ。だって亜樹私の事そんなに好きじゃないじゃん。」
「なんで?何で急にそうなる?」
「だって好きだったら『一人でオナニーしろ』なんて言わないよ。普通言えないよそんなの彼女に向かって。私がどれだけ苦しんでるか見てたでしょ?まあ、亜樹にとっては他人事だったもんね私の事なんて。でも普通好きな人の悩みなら他人事じゃないじゃん。だからそんなに好きじゃないって思うよ、私の事。…だからもう良いよ。ホントもう良い。」
口を開いたら止まらなくなった。
ずっと胸の中につっかえていた事。
亜樹は私を好きじゃないだろうって。
今までは私が一方的に好きだったから、嫌われないようにって、面倒くさいと思われないようにって飲み込んでいた言葉が沢山ある。
だけど一方的に好きだった側が好きじゃなくなったんだから、私達の行く先は終わりでしょ?
「ちょっ、ちょっと、ホント、ちょっと待って…。今ホント混乱してて…。え?ホント待って、俺咲の事めちゃくちゃ好きだよ?伝わってないって思ってなかった…。だからちゃんと話そう?全部聞くからちゃんと。謝るし…。直すし…。」
「無理だよ。」
「え?無理ってどういう事?え?別れるって事?嘘だろ?いや、待って待って。ホント待って。」
嫌だった。
いつも格好良い亜樹が縋り付いてくる感じが格好悪くて。
いずれきちんと別れるにしろ、今はこんな姿を見ていたくない。
亜樹の手から傘を引ったくり立ち去ろうとした時、その手を掴まれる。
「咲!」
「離して!」
「嫌だよ!聞いてくれるまで離さねぇ!」
「ホント無理!」
「いや、無理が無理!」
「ねぇ、ちょっとちょっと?」
唐突に自分たちのではない声が入り込んできた。
亜樹と二人でそちらに顔を向ける。
渡り廊下の下。
校舎の入口から白衣を着た若くて綺麗な女性が心配そうにこちらを見ていた。
「喧嘩しても良いけど…、男の子が女の子捕まえてると誤解されちゃうかもしれないから…ね?」
「森もっちゃん…。」
亜樹が甘えるような声を出すとその女性は頷いて見せる。
確かカウンセラーの森本先生だ。
今年赴任してきた時皆が騒いでいた。
教師にしておくのが勿体ない美人が居るって。
話すのは初めてだけど、確かに言われている通り素敵な容姿だ。
亜樹は既に面識があるのか森本先生の存在にホッとしている素振りを見せている。
対照的に私は少し警戒した。
彼女をまだよく知らないし。
スクールカウンセラーって存在も実態がよく分からない。
そして何より、大概の女性は理由なんて関係なく亜樹の味方をするだろうから…。
相手の意図が掴めず私は押し黙った。
「ねぇ、私は口を挟まないし…。席を外すようにするから二人は保健室使って話さない?逆に人の目があった方が良ければ私も立ち会う事も出来るし。ね、どうだろう?」
二人に向けての発言だけれど、森本先生は明らかに私に対して伺ってきている。
きっと警戒心を感じ取ったのだろう。
そしてまるで邪気を感じさせない優しい笑顔で続けた。
「屋根の下とはいえ雨の中立ってだと落ち着けないだろうし。保健室にはお茶もお菓子もあるし…ね?」
私はスマホで時間の確認をした。
山崎先生と会うにはまだ二時間以上の猶予がある。
図書室に行くのは今日じゃなくても良いし…。
それに決着はしなくても今日亜樹に対して私の気持ちを表明しておいて損は無い気もする。
「亜樹は…、時間平気?」
「え?…う、うん。」
私は森本先生の目を見詰め応えた。
「森本先生、お願いします。」


立花亜樹が帰って来ない。
ジュースを買いに行くと言い出て行ったきりもう随分と経つ。
夏休み最後の部活。
受験のある3年は勿論、他学年の生徒も先週までに仕上げてしまった者や、雨の中来る気にならなかった者も多く、今日の美術室内は閑散としている。
数名の部員と小林先生が談笑している声をBGMに、俺はほぼ完成している立花亜樹の絵を眺めていた。
後はコーティング剤を塗れば終わりだ。
この教室内の誰よりも大きなキャンバス。
初心者がよくここまで描ききったと思う。
カラフルでめちゃくちゃな背景の中、無邪気に満面の笑みを浮かべる細谷咲。
カラッと晴れた空が似合う。
目を細め大口を開けた笑顔は花に例えるなら大輪の向日葵だ。
立花亜樹には彼女がこう見えているんだな。
それなら彼が彼女の悩みに親身にならないのも頷ける。
きっと彼にとって彼女は目指すべき目標であり、眩しい憧れでもあり、共に歩みたい同士であり。
ただ単に守りたい対象にないのだ。
立花亜樹が優しくないのではない。
彼女を守るという発想が今はまだないだけだ。
だからきっと…。
細谷咲の本心を知る切っ掛けさえあれば、彼は親身に彼女の悩みと向き合うようになるだろう。
そうなれば俺は…。
自宅にある布を被せたままの真っ白なキャンバスの事を考える。
俺が絵を描き上げる前に、様々な事の決着が先に着いてしまうかもしれないな。
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