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05.日常と決意
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「紘一、お前が俺に抱いた感情は一時のものだ。まだ若いんだ。こんなおっさんに抱かれた事なんて、忘れてしまった方が良い」
**********
春休みを使った旅行から帰ってきて、僕は日常に戻ってきた。大学に行って、講義を受けて、友達と遊んで、バイトをして、普通の学生生活を送っている。
でも頭の中には、若美さんの最後の言葉がこびりついている。忘れろって言われたって、とても忘れられるようなことじゃない。
公園でされた……その、えっちなこともそうなんだけど、こっちまで切なくなるような表情も、ふたりで写真を撮ったことも、桜のつぼみを見つめる姿も、我を忘れて泣き叫んでいた姿も、不思議なオムライスの味も、浜辺で佇んでいた姿も、僕が見てきた若美さんの全部が記憶に刻まれていた。
スマホを触って、旅行の間に撮った写真を眺めると、ぽかぽかした気持ちが湧いてくる。これも一時の感情なんだろうか、忘れてしまっても大丈夫なんだろうか。
「こういっちゃーん! おまたせー!!」
名前を呼ばれて現実に引き戻された。
僕のもとに駆け寄ってきたのは、高校時代からの友達の平鹿基くん。今は別の学校に通っているけど、こうして時々遊んでいる。
今日はふたりでランチを食べる約束をしていたんだった。
「大丈夫大丈夫、そんなに待ってないよ~」
「そう? なんだかボーッとしてたみたいに見えたけど」
「そんなことないって! それより早くごはんにしよ?」
下から顔を覗き込む基くんの手を引いて、通い慣れたカフェの中に入る。店員さんに案内されて、道路がよく見える窓際の席に着いた。向かい合うように座った僕達は、それぞれのメニューを注文してぽつりぽつりとおしゃべりを始める。
「そういやこういっちゃん、どうだった? 自分探しの旅」
「もー! その言い方やめてよ~! 恥ずかしいから……でも、楽しかったよ。景色も良かったし、美味しいごはんも食べられたし、人も優しかったしさ」
「良いなあ。バイトがなかったら一緒に行ったんだけど」
「猫カフェだっけ? やっと見つけた、動物のお世話ができるバイト」
「そうそう。うちの部屋じゃ飼えないからさー」
大変だけど楽しいんだよ、と語る基くんは子供の頃から獣医さんを目指している。
僕は将来どうしたら良いんだろう……頑張って大学に入って建築学を専攻してみたけど、建築士さんやデザイナーさんになりたいわけでもないし。
悩みを振り払うかのように、カバンの中から買ったばかりのトイカメラを取り出し、基くんに向けてシャッターを切る。
「わっ、ビックリした。何それ、かわいいー」
「ジャーン、トイカメラ! デザインに一目惚れしてつい買っちゃったんだ~」
「こういっちゃんって写真好きだったっけ?」
「最近になってちょっとね。実際に見えるものと、ファインダー越しに見る景色が結構違って見えておもしろいんだ~」
こんなことを考えるようになったのは、旅行から帰ってから。
前からスマホで食べ物を撮ったり、自撮りなんかはしていたけど、もっといろんなものをカメラにおさめてみたいと思うようになった。何気ない日常のヒトコマだったり、おもしろい形の建造物だったり、人の素の表情だったり。
そう言えば若美さんはあんまり写真を撮られるのが好きじゃないみたいだったけど、何か理由があるのかな……もしかしたら、過去の恋愛絡みなのかもしれない。もし次に会うことができたなら、話してくれるかな……
「こういっちゃん? ごはんきたよ?」
「わ、本当だ。おいしそーう! いただきますっ」
ボーッとしていたのをごまかすようにランチを食べる。大好きなトロトロのオムライス……でも僕は、あの日若美さんにごちそうしてもらったオムライスのことを思い出していた。
どうしよう、またあの味を口にしたい。また若美さんに会いたい。そう思ったとたん、目から何かがこぼれたような気がした。
「どうしたの、こういっちゃん……おなか痛くなった? 薬持ってるよ、飲む?」
「なんでもない、なんでもないんだよ……そ、そう! やっぱりオムライスはおいしいなあって、感動して涙が出ちゃったみたい」
「本当にそれだけ? 嘘だったら怒るよ」
「……ごめんなさい、ウソです。ふ、ふぇ……」
「ごめんごめん、ちょっと俺怖かったね。ひとまずお会計しよ?」
「うん……」
その言葉に促されてお会計をして、僕達は逃げるようにカフェから出た。人通りの少ない小さな公園に駆け込み、木製のベンチに腰かける。
まだ涙が止まらない僕に向かって、基くんがハンカチで涙をぬぐってくれた。
「泣いちゃった理由は訊かないけど、本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫。いきなりごめんね……」
「俺さあ、こういっちゃんはいつもヘラヘラ笑ってるイメージがあって、あんな切ない顔で泣くとは思わなかったんだよね」
「さりげなくひどくない?」
「ごめんごめん。でも、大人っぽくなったと思うよ」
「へ?」
「旅行から帰ってきてからのこういっちゃん、たまに真剣な表情してる。よほど旅先で良い経験をしてきたんだね、羨ましいな」
基くんは背が低いし幼い顔立ちをしてるから子供っぽく見られがちだけど、本当は誰よりも大人だ。たまにこうして、自分自身ですら気がつかなかった核心に触れてくる。
あの町で若美さんに出会って僕が変わったなら、僕はこの気持ちを忘れちゃいけないんだ。
「基くん、ありがとね」
「落ち着いた?」
「うん。なんだかスッキリしたかも」
「良かった良かった」
ぽんぽんと頭を叩かれると、本当に気持ちが落ち着いてきた。
同時に、自分のしたいことがぼんやりとだけど見えてくる。今度は僕が若美さんを変える番だ、少しだけ待っていてください。
葉桜が目に入る中、僕は密かに決意を固めたのだった。
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春休みを使った旅行から帰ってきて、僕は日常に戻ってきた。大学に行って、講義を受けて、友達と遊んで、バイトをして、普通の学生生活を送っている。
でも頭の中には、若美さんの最後の言葉がこびりついている。忘れろって言われたって、とても忘れられるようなことじゃない。
公園でされた……その、えっちなこともそうなんだけど、こっちまで切なくなるような表情も、ふたりで写真を撮ったことも、桜のつぼみを見つめる姿も、我を忘れて泣き叫んでいた姿も、不思議なオムライスの味も、浜辺で佇んでいた姿も、僕が見てきた若美さんの全部が記憶に刻まれていた。
スマホを触って、旅行の間に撮った写真を眺めると、ぽかぽかした気持ちが湧いてくる。これも一時の感情なんだろうか、忘れてしまっても大丈夫なんだろうか。
「こういっちゃーん! おまたせー!!」
名前を呼ばれて現実に引き戻された。
僕のもとに駆け寄ってきたのは、高校時代からの友達の平鹿基くん。今は別の学校に通っているけど、こうして時々遊んでいる。
今日はふたりでランチを食べる約束をしていたんだった。
「大丈夫大丈夫、そんなに待ってないよ~」
「そう? なんだかボーッとしてたみたいに見えたけど」
「そんなことないって! それより早くごはんにしよ?」
下から顔を覗き込む基くんの手を引いて、通い慣れたカフェの中に入る。店員さんに案内されて、道路がよく見える窓際の席に着いた。向かい合うように座った僕達は、それぞれのメニューを注文してぽつりぽつりとおしゃべりを始める。
「そういやこういっちゃん、どうだった? 自分探しの旅」
「もー! その言い方やめてよ~! 恥ずかしいから……でも、楽しかったよ。景色も良かったし、美味しいごはんも食べられたし、人も優しかったしさ」
「良いなあ。バイトがなかったら一緒に行ったんだけど」
「猫カフェだっけ? やっと見つけた、動物のお世話ができるバイト」
「そうそう。うちの部屋じゃ飼えないからさー」
大変だけど楽しいんだよ、と語る基くんは子供の頃から獣医さんを目指している。
僕は将来どうしたら良いんだろう……頑張って大学に入って建築学を専攻してみたけど、建築士さんやデザイナーさんになりたいわけでもないし。
悩みを振り払うかのように、カバンの中から買ったばかりのトイカメラを取り出し、基くんに向けてシャッターを切る。
「わっ、ビックリした。何それ、かわいいー」
「ジャーン、トイカメラ! デザインに一目惚れしてつい買っちゃったんだ~」
「こういっちゃんって写真好きだったっけ?」
「最近になってちょっとね。実際に見えるものと、ファインダー越しに見る景色が結構違って見えておもしろいんだ~」
こんなことを考えるようになったのは、旅行から帰ってから。
前からスマホで食べ物を撮ったり、自撮りなんかはしていたけど、もっといろんなものをカメラにおさめてみたいと思うようになった。何気ない日常のヒトコマだったり、おもしろい形の建造物だったり、人の素の表情だったり。
そう言えば若美さんはあんまり写真を撮られるのが好きじゃないみたいだったけど、何か理由があるのかな……もしかしたら、過去の恋愛絡みなのかもしれない。もし次に会うことができたなら、話してくれるかな……
「こういっちゃん? ごはんきたよ?」
「わ、本当だ。おいしそーう! いただきますっ」
ボーッとしていたのをごまかすようにランチを食べる。大好きなトロトロのオムライス……でも僕は、あの日若美さんにごちそうしてもらったオムライスのことを思い出していた。
どうしよう、またあの味を口にしたい。また若美さんに会いたい。そう思ったとたん、目から何かがこぼれたような気がした。
「どうしたの、こういっちゃん……おなか痛くなった? 薬持ってるよ、飲む?」
「なんでもない、なんでもないんだよ……そ、そう! やっぱりオムライスはおいしいなあって、感動して涙が出ちゃったみたい」
「本当にそれだけ? 嘘だったら怒るよ」
「……ごめんなさい、ウソです。ふ、ふぇ……」
「ごめんごめん、ちょっと俺怖かったね。ひとまずお会計しよ?」
「うん……」
その言葉に促されてお会計をして、僕達は逃げるようにカフェから出た。人通りの少ない小さな公園に駆け込み、木製のベンチに腰かける。
まだ涙が止まらない僕に向かって、基くんがハンカチで涙をぬぐってくれた。
「泣いちゃった理由は訊かないけど、本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫。いきなりごめんね……」
「俺さあ、こういっちゃんはいつもヘラヘラ笑ってるイメージがあって、あんな切ない顔で泣くとは思わなかったんだよね」
「さりげなくひどくない?」
「ごめんごめん。でも、大人っぽくなったと思うよ」
「へ?」
「旅行から帰ってきてからのこういっちゃん、たまに真剣な表情してる。よほど旅先で良い経験をしてきたんだね、羨ましいな」
基くんは背が低いし幼い顔立ちをしてるから子供っぽく見られがちだけど、本当は誰よりも大人だ。たまにこうして、自分自身ですら気がつかなかった核心に触れてくる。
あの町で若美さんに出会って僕が変わったなら、僕はこの気持ちを忘れちゃいけないんだ。
「基くん、ありがとね」
「落ち着いた?」
「うん。なんだかスッキリしたかも」
「良かった良かった」
ぽんぽんと頭を叩かれると、本当に気持ちが落ち着いてきた。
同時に、自分のしたいことがぼんやりとだけど見えてくる。今度は僕が若美さんを変える番だ、少しだけ待っていてください。
葉桜が目に入る中、僕は密かに決意を固めたのだった。
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