七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり

国香

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乱声

十拍・述懐(壱)

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 六条太政大臣棟成公は、そろそろ隠居を考えていた。もう七十近い。大分くたびれてきた。あとは隠居して、ゆっくり余生を楽しみたいと思う。また、出家もしてみたかった。最後くらい、み仏の慈悲に縋ってみたい。

 ただ、一つ気がかりなことがある。それは、敏平のことである。

 未だ妻帯せず、琴ばかり弾いているのは心配だ。四辻殿の唯一の血族として、その血統の存続と家名復興に努めてもらわなければならない。

 だが、どうにも心もとない。こんな敏平を残して、とても出家なんかできそうにない。

 そこで、太政大臣殿が考えたのは、敏平の後ろ盾となってくれる、財力と権力とを併せ持つ家との縁組みだった。

 で、財力、家柄など、敏平との釣り合いを考え、白羽の矢が立ったのが、異母弟・権大納言家名卿だった。

 家名卿は内蔵頭(くらのかみ)を務めたこともあり、荘園も多く、大変裕福である。権力もそれなりにある。

 太政大臣殿の弟とはいえ、腹違いであるから昇進も遅く、兄君ほどの権力があるわけではないが。皇太后宮大夫でもあり、女院という強い後見もある。敏平との家柄の釣り合いを考えても、家名卿ほど適した相手はあるまい。

 太政大臣殿は、この家名卿の六の君を敏平に娶そうと考えていた。

 家名卿の息女は七人あり。

 榊葉という院の御所の女房との間に、五女を儲けていた。

 長女かぐはし。次女とめく。共に朝臣の室となって、幾人もの子を産んでいる。

 三女は八十(やそ)御前とて、これは師道朝臣の北ノ方。

 四女は木綿四手(ゆうしで)と称して、早くから女院の御所に参り、歌才を讃えられるめでたき女房である。

 五女みむろ尼は箏の名手として有名な人である。若いが、血脉に名が刻まれ、弟子を多数持つその道の達人。

 六女以下は母が違う。母は前太政大臣俊久公家の家司の娘である。だが、諸大夫とはいえ三位にまで昇り、公卿にまで列した人の娘であるから、家名卿も彼女をぞんざいに扱うことはない。

 その人との間の六の君に、家名卿は今出川(いまでがわ)に邸を与えていた。家名卿の鍾愛の娘である。

 それを敏平に与えようというのだ。

 家名卿は、敏平を六の君の婿とすることに、異は唱えなかった。それで、太政大臣殿と家名卿との間で、話はとんとん拍子に纏まった。

 ある日、敏平は二人に呼ばれた。

「どうだ、家名の婿となるか?」

 太政大臣殿にそう問われる。

「は、まことに勿体無く、有難きことながら……」

 敏平は即答できない。

 それを、太政大臣殿は遠慮と理解した。

「なあに、敏平は本来、とうにこの家名や親成と同じ、大納言や中納言位になっていた筈だ。自分みたいな者がなんぞと卑下することはない。こなたは興福寺の宮の外戚ぞ。家名の娘婿となり、本来の地位を取り戻せ」

「……」

 この時、敏平の頭の中に母の顔が浮かんでいた。そして、それは次に輪台尼、深草の君に変わり、清花の姫君のものとなった。そして、再び深草の君の面影が浮かぶ。

 女など!

 そう反発する心が、ふつふつと沸き上がってきた。そして、その思いは母に対して著しい。

 女など……

「どうだ」

 再度、太政大臣殿が問うてきた。敏平は暫し沈黙していたが、やがて、

「そのお話、是非」

とついに受け入れていた。

 母への不信感から、縁談を受け入れたのだ。

 話が纏まった頃、突然、帝の勅使がやってきた。

 使者が持ってきたものは開元無銘雷氏琴、月琴の二張であった。この二張を敏平に返還するというのだ。

 家名卿の婿になることが決まっただけで、早くもこういう成果が表れたのである。家名卿の六の君は打出の小槌。

 敏平はひそかにほくそ笑んだ。

 太政大臣殿は安心して、その職を辞任した。そして間もなく、仁和寺御室(おむろ)の二品(にほん)宮の手で戒を授けられ、出家したのである。

 北ノ方の従二位通子(二位殿)も同時に出家した。

 御室は稀に見る高僧。呪法に長け、多くの弟子もある。御母君の准后三条殿(昭子)も落飾していたが、この人も御子の御室の弟子であった。

 今、三条殿の姉である二位殿とその夫君も、新たに御室の弟子に加わったのであった。

 さて、今出川の六の君というのは、高慢ちきな女であった。

 結婚初日から、敏平はその高慢さを目の当たりにした。だが、腹も立たない。どうせ身分卑しい男と見下しているのだろう。

 女とはこのようなものだ。

 こういう女はきっと、妻の立場というものをいつでも主張するのだろう。夫に他に女などできようものなら、

「誰のおかげで生きていられると思うの。家もなく身分もない、没落古公家が今、人並みに生きていられるのは誰のおかげか。我が家が食べ物を与え、着せ、寝る場所を与えてやったからよ。こんな人非人が女が欲しい?笑わせないで、千年早いわ!」

と、嫉妬ではない別の意地で怒るに違いないのだ。

 この女が輪台尼のことを知ったら、何と言って怒るのだろうか。こんな女が怒ろうが嫉妬しようが構わないが、自分の畜生な秘密を知られるのだけはつまらないことだ。

「おもとほどのご身分の方が、私のような無官の五位ふぜいに交(とつ)がされて、ご不幸なことですね。望めば公卿、大臣の北ノ方ともなれたのに。他の御姉妹は皆お幸せだが、おもとだけが不幸。ただ兄君(家隆・しも八)の師を夫にしたのだということだけを慰みにして、ご自分の悲運に堪えて下さい」

と、わざと言ってやった。

 こんな女と一生添うていかなければならないのだ。高貴な女人へ、婿としての礼を尽くしながら。

 恋の感情なんてものは、とうに心から消えてなくなっている。この女は、自分の利益のために利用するだけの女。だが、そう割り切って考えてみても、この女と添い遂げられるか心配だ。実に嫌な女だ。

 だが、しばらく我慢していると、やはりこれがとても役に立つ女だということが立証された。

 大々的な露顕(ところあらわし)をして、世に敏平が家名卿の娘婿だということを知らしめたからであろう。以後、殿上人達も敏平に会うと、家名卿の婿として遇し、それに対するに相応しい接し方をしてくれるようになった。

 そして、たちまち敏平は皇太后宮大進に任じられ、翌月には大膳亮(だいぜんのすけ)を兼任する。

 住まいは細君の今出川邸。

 もう完全に六条禅門棟成公から独立したのであった。




 女院が六条西洞院第に渡ることになった。大進敏平は同行を命じられたが、その折、女院からもう一つの命が下されていた。

「我が身若かりし頃、禅門(棟成公)の邸に住まいしていたこの身は、よく清花の准后の琴の琴を聴いたものだった。禅門の邸にまかるからには、やはり琴を聴きたいと思う。汝に弾かせて昔を懐かしみたいとも思うが、私には一つの不安がある。それは汝の後のこと。准后の系譜を絶やさずに、未来に繋げて行けるかということよ。そこで、汝の弟子の演奏を聴いてみたいと思う。弟子を我が前にて弾かせ、私を安心させよ」

 これはとんでもないことだと敏平は思った。女院に、自分の後継者候補をご披露しなければならないのだ。だが、そんな弟子を彼は持ち合わせていない。

 困り果てた。だが、左様に優れた弟子はいないと言えば、女院はそれこそ心配するだろう。

 それで、納得いかないことは確かなのだが、民部卿局を披露することにした。彼女は弾けることは弾けるし、能力は弟子の中では随一だ。

 選ばれた民部卿局は大変に萎縮して、食事も喉を通らなくなった。常に胃の腑が吐き気を催し、心の臓が三倍速で動力していた。だが、練習だけは毎日みっちりやって、その日に備えていた。

 民部卿局一世一代の晴れ舞台である。娘の晴れ姿を見んと、生母・とりのこ御前が大和の国から出てきた。
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