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百王の意味
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花園殿が摩利御前を妻としてから数年が経過した。
すでに二人の間には三人の子がある。
花園の羽林。
近頃そう呼ばれるようになっていた。
そして、自慢の庭はますます美しくなり、桜の季節には、これまでの宴に加えて、為長の演奏も披露されるようになった。
ところで、縦目阿闍梨法真の仕業なのであろうか。
最近、樺殿が夏火星であるという噂が立っていた。あの予言書のことは、花園殿も樺殿も他言していない。勿論、十二安にも黙らせておいた。だから、夏火星の噂の出所は縦目阿闍梨しか考えられないのである。
しかし、樺殿が夏火星として、人々に畏れられることはなかった。
噂が立ちはじめた頃、樺殿は陸奥で病死したからである。
烏丸殿と呼ばれる公卿がある。代々大臣を務め、国母、后妃を輩出する名門であった。
彼の姉も后宮(きさいのみや)である。
誰よりも天子に忠実な男であった。
だから、樺殿の噂を聞いて、花園殿を疑わずにはいられなかった。
樺殿が亡くなった頃からであろうか、件の予言書が世の中に出回るようになったのは。とはいえ、それは、ごく一部の貴族の間でのみ知られるようになっただけであり、庶民にまで広く知らしめられたというわけではない。
貴族の間で、誰彼となく知られるようになったのだった。
ある日のこと。殿上の間でのことである。帝の出御前の時、誰かがその話をした。
「近頃、奇怪な予言書の噂を聞きましたが、昨日、ついに実物を目にしましてね」
ある人がそう言った。
その場にいた殿上人のほとんどが、その予言書の噂は知っていたが、実際、その内容まで知っている人は少なく、その文言を確かに読んだという人はほとんどいなかった。
だから、皆、発言者の口元に注目した。無論、烏丸殿も同様である。
「噂では、唐土で書かれた予言であり、我が日本のことを言ったものだとのことでしたが、果たしてこれ、我が国のことと断定できましょうや?」
「と仰いますと?」
誰かがそう訊いたが、皆一様にそう思ったらしく、誰もが身を乗り出している。
「東海姫氏の国、とありました」
「東海姫氏国ですと!?」
叫びながら、膝を立てた人があった。
「どうなされたか、中納言殿?」
烏丸殿が問う。
その人は、
「いや、それ、聞き覚えが……」
と言いながら、姿勢を戻して首を捻った。
「洞院の殿。聞き覚えがあるのですか?以前から、この予言をご存知だったのですか?」
別な人もそう尋ねる。
洞院中納言殿は、しばらく首を傾げていたが、急にはっとしたような表情を浮かべた。何か思い出したらしい。そして、途端にまずいことをしたという表情になった。
烏丸殿はそれを見逃さない。
「中納言殿。いつ、誰からお聞きになったのですか?」
烏丸殿の詰問は厳しい。逃れられないことは誰でも知っている。だから、洞院中納言殿は迂闊であったと後悔した。
「……いや、いつのことだったかな。酔っていたことだけは覚えているのですが。ええ、何年か前に、酔っていた時、聞いたような?だから、はっきり覚えておらぬのですよ。ご勘弁下さい。ただ、東海姫氏国とは、日本のことか、周か呉かと聞かれたような気がするのです」
「誰に!?」
烏丸殿の口調は鋭い。
この場に花園殿はいなかった。
しかし、洞院殿は、
「酔っていましたからねえ……誰かな?どなたか公卿のお一人だったかとは思うのですが。記憶違い?いや、まさか、夢かな?」
と誤魔化した。
「公卿だったなら、誰です?この中にいるのですか?」
烏丸殿はなお詰め寄る。内心、逃れられないと洞院殿は観念しながらも、なおとぼけてみせた。
「申し訳ない。本当に思い出せません」
殿上人ずらり居並ぶ席で、それ以上問い詰めるわけにもいかず、烏丸殿もいったんそこで諦めた。しかし、後日また、ぎゅうぎゅう問い詰められることになるだろうと、洞院殿は覚悟した。
「仕方ない。で、予言の中身はいかようなものだったのか?」
烏丸殿は、今度は初めに発言した人に向かって、予言の内容を聞き出し始めた。
「はい。それがですね」
普段から軽はずみな言動が目立つ人である。場もわきまえず、さらに、内容の不遜さに思い至りもしなかったのか、彼は平気で喋り始めた。
「日本が滅ぶという予言との噂だが、そうか?」
「ええ、大まかには。いや、正しくは日本そのものが滅ぶというより、王朝がということですね。天変地異が起こり、王朝衰退し、下克上の世の中となる。野蛮な猿が取って代わり、王朝百代にして遂に滅ぶ……」
せいせいとした顔なのは、喋っている本人で、聞いていた人全てが、途中から青ざめた。隣の殿上人が袖を引いたのだが、話すのに夢中で本人は気づかなかったらしく、最後まで喋ってしまった。
殿上の間は凍り付いている。烏丸殿が怒声を上げるまで、誰一人唾も飲まなかった。
どん!
不意に、烏丸殿が床を踏み鳴らして、
「誰ぞ、こやつを捕らえい!」
と叫んだ。
「こともあろうに殿上の間で、かような根も葉もない噂話を披露するとは。反逆の心の表れだろう!」
俄かに事件となってしまった。
発言者は謀反の疑いありとして捕らえられ、彼に予言書を見せた者も捕らえられた。
人々の間で、東海姫氏国とは日本のことであるのか、どこであるのかと議論になった。また、洞院殿に東海姫氏国について問い合わせた者が誰なのかという話で持ちきりになった。
噂は当然、花園殿の耳にも入ってきた。これはまずいことになったと彼は思い、また、洞院殿に迷惑をかけていることを知り、思い悩んだのである。
洞院殿は烏丸殿からしつこく問いただされていたが、ずっととぼけて、花園殿の名は出さずにいた。
殿上の間での一件が、ここまで大事になってしまったのだ。花園殿の名が出れば、首謀者にされてしまうかもしれない。
洞院殿はじっと耐えてやり過ごす作戦を貫いた。
烏丸殿も諦めたか。そのうち洞院殿に尋ねたりもしなくなった。しかし、烏丸殿という男は、普通の忠臣とは違う。極端な人間なのだ。
彼は疑わしい人を、片っ端から調べていた。
烏丸殿が疑いを抱いていた人物は数人。その中には、花園殿もいる。
弟の樺殿は夏火星という噂だ。それに、陸奥守としてかの地に赴任してからというもの、相当好き勝手をしていたという話も聞く。
陸奥には黄金都市があり、異国との密貿易で莫大な利益を上げ、私兵を数万隠しているという噂がある。
あやしい。実にあやしい。
烏丸殿は夏火星の樺殿を大いに疑った。その樺殿亡き今、疑うべきは兄の花園殿である。
花園殿もまた、十二安というおかしな組織を持っている。修験者と称しているが、全国各地を飛び回り、いったい何を調べているのか。
烏丸殿が大いに疑っていた矢先、花園殿は失敗した。
花園殿の行動は終始監視されていた。密かに烏丸殿が密偵を送り込んでいたのだ。女房として入り込んでいたから、十二安もそれとは気づかなかった。
花園殿、ある日、烏丸殿からの追求がなくなってひと安心している洞院殿を、訪ねてしまったのだった。勿論、迷惑をかけたことを詫びに行ったのである。
密偵の女房は同行できなかったので、花園殿が洞院殿と何を話したのかは分からなかった。しかし、花園殿が洞院殿を訪ねたことは、烏丸殿に報告された。
烏丸殿には、それで充分だった。
花園殿は洞院殿とはあまり親しくない。決して仲が悪いわけではないが、わざわざ家を訪ねて行くほどの仲ではないのである。
時期が時期だけに、烏丸殿は怪しいと思った。
もしかしたら、洞院殿に、東海姫氏国について質問したのは花園殿ではないのか。洞院殿が花園殿の名を出さなかったので、その礼に出向いたのではないか。
烏丸殿はそう考えた。
結果的に、その考えは正しかったのであるが。いずれにせよ、これは花園殿の失敗である。多少非常識であっても、彼は洞院殿を訪ねるべきではなかった。
さて。烏丸殿は、洞院殿に東海姫氏国について尋ねたのは、花園殿かもしれないと考えた。とすれば、東海姫氏国は日本か周か呉かと尋ねたのも、花園殿ということになる。
その意味を烏丸殿は考えた。
周や呉は姫氏の王朝である。しかし、日本が姫氏ということがあるか。
考えながら宮中を歩いていると、天敵の風香殿と出くわした。
この世には、どうしても好きになれない奴がいる。理屈ではない。何故かこの男が受け付けられない。
恐らく、風香殿の方もそうであろう。何かと目の敵にしてくる。
その大嫌いな男に会ったので、とても不快な気持ちになった。それなのに、よりによって、風香殿が烏丸殿を呼び止めたのだ。
「何か?」
頗る棘のある声が出て、自分でも驚いたくらいだった。風香殿の方も目を眇めている。凄い眼光だ。そこまで睨みつけなくてもと思う。
「先日以来話題の、東海姫氏の意味を考えてみたのだが」
意外なことを風香殿は口にした。睨みつけたまま。
政敵とはいえ、いや、互いに朝廷を思えばこそ、政敵となっているのである。その王朝存亡に関わるとなれば、敵の味方のと言っている場合ではあるまい。そう思って、風香殿も声をかけてきたのだろう。
「ほう、何かわかりましたか?」
我慢して、烏丸殿も応じた。
すると、風香殿は静かに、重々しく頷いた。
「内裏で口にするのは憚りながら──」
風香殿は寄って、ひそと語りかけた。
「唐土では、どうやら日本を周の裔と考えているようです」
風香殿といえば、学者さえも言い負かす人として有名である。やたらと漢籍に詳しい。
「姫氏とは、日本ですか?」
「ええ。周か呉かと洞院殿に尋ねた人がいたとかいうあの話ですが、おそらく、唐土では日本を周の末裔と考えているところから考察されたものでしょう」
「呉の太伯、虞仲は周から分家したものですな。本来、嫡子は太伯なれども、末弟が嗣子となれば周は栄えるとて、末弟に譲って呉の地に流れた。果たして、周は栄え、殷を討って王となった。その末裔であると、唐土では考えてられているというのですか?」
「そうなのです。呉は越に敗れて、夫差の時に滅びますが、その時、呉人達が日本へ渡り来たということでしょうか。太伯から夫差まで二十五代。まことに無礼ながら、今上までの代数に、その二十五代を加えてみて下さい」
「な!我が国の帝と呉を一緒にするなど!」
「勿論、およそ別の系統です。しかし、唐土では、我が王朝は呉王の続きと思っている。呉王二十五代を加えねば、百王の意味をなしませぬぞ」
つまり、神武の帝の前に、二十五代あったとして考えよということか。予言では、百代目の王で滅ぶとある。
「待たれよ!」
はたと烏丸殿は気がついた。察して、風香殿も頷く。
そう。呉王二十五代を加えれば、百代までそう遠くはない。この先、代替わりが頻繁に行われれば、数十年以内に、百代に達する可能性がある。
「今!まさに今ということですか?予言の言う滅びの時とは」
「その可能性があります。洞院殿に尋ねたという人は、きっとそう思ったに違いありません。今だと。まさか、予言を利用して、予言を信じて、謀反を企てたりはしないでしょうな?」
「まさか!」
烏丸殿は、頭を殴られたような気分だった。
洞院殿に尋ねたのが花園殿だとしたら。彼は今こそ王朝滅びの時と思っているのか?いや、自ら滅ぼさむと画策しているのか?
だから、十二安をあちこち走らせているのか?だから、樺殿は陸奥で大儲けして、私兵を準備しているのか?朝廷を討つために。
だから、樺殿を夏火星だというのか?
夏火星は戦乱を告げる星。現れると、世が乱れるという……
そもそも。この予言書というものからして、頗る怪しい。
唐土で書かれた物だというが、それさえ事実かわからない。もし、本当に唐土で書かれたのだとして、いつ、誰が本朝にもたらしたというのか。
そして、日本で作られた可能性はないのか。
もしかしたら、日本国内で何者かが作成し、唐人の予言と偽ったのかもしれないではないか。
そうこうしているうちに、密偵の女房が恐ろしい通報をしてきた。
「件の予言書、花園の羽林の殿がお持ちにございます。筆跡は、羽林の殿のものに間違いございませぬ。ええ、お側でお仕えしておりまする故、羽林の殿の手跡はよく存じております。間違いなく、あの予言書はおん直筆」
それでは、近頃話題の予言書は、唐土で作られたというのは嘘で、実は日本で作られたということか。そして、その作者は花園殿ということか。
すでに二人の間には三人の子がある。
花園の羽林。
近頃そう呼ばれるようになっていた。
そして、自慢の庭はますます美しくなり、桜の季節には、これまでの宴に加えて、為長の演奏も披露されるようになった。
ところで、縦目阿闍梨法真の仕業なのであろうか。
最近、樺殿が夏火星であるという噂が立っていた。あの予言書のことは、花園殿も樺殿も他言していない。勿論、十二安にも黙らせておいた。だから、夏火星の噂の出所は縦目阿闍梨しか考えられないのである。
しかし、樺殿が夏火星として、人々に畏れられることはなかった。
噂が立ちはじめた頃、樺殿は陸奥で病死したからである。
烏丸殿と呼ばれる公卿がある。代々大臣を務め、国母、后妃を輩出する名門であった。
彼の姉も后宮(きさいのみや)である。
誰よりも天子に忠実な男であった。
だから、樺殿の噂を聞いて、花園殿を疑わずにはいられなかった。
樺殿が亡くなった頃からであろうか、件の予言書が世の中に出回るようになったのは。とはいえ、それは、ごく一部の貴族の間でのみ知られるようになっただけであり、庶民にまで広く知らしめられたというわけではない。
貴族の間で、誰彼となく知られるようになったのだった。
ある日のこと。殿上の間でのことである。帝の出御前の時、誰かがその話をした。
「近頃、奇怪な予言書の噂を聞きましたが、昨日、ついに実物を目にしましてね」
ある人がそう言った。
その場にいた殿上人のほとんどが、その予言書の噂は知っていたが、実際、その内容まで知っている人は少なく、その文言を確かに読んだという人はほとんどいなかった。
だから、皆、発言者の口元に注目した。無論、烏丸殿も同様である。
「噂では、唐土で書かれた予言であり、我が日本のことを言ったものだとのことでしたが、果たしてこれ、我が国のことと断定できましょうや?」
「と仰いますと?」
誰かがそう訊いたが、皆一様にそう思ったらしく、誰もが身を乗り出している。
「東海姫氏の国、とありました」
「東海姫氏国ですと!?」
叫びながら、膝を立てた人があった。
「どうなされたか、中納言殿?」
烏丸殿が問う。
その人は、
「いや、それ、聞き覚えが……」
と言いながら、姿勢を戻して首を捻った。
「洞院の殿。聞き覚えがあるのですか?以前から、この予言をご存知だったのですか?」
別な人もそう尋ねる。
洞院中納言殿は、しばらく首を傾げていたが、急にはっとしたような表情を浮かべた。何か思い出したらしい。そして、途端にまずいことをしたという表情になった。
烏丸殿はそれを見逃さない。
「中納言殿。いつ、誰からお聞きになったのですか?」
烏丸殿の詰問は厳しい。逃れられないことは誰でも知っている。だから、洞院中納言殿は迂闊であったと後悔した。
「……いや、いつのことだったかな。酔っていたことだけは覚えているのですが。ええ、何年か前に、酔っていた時、聞いたような?だから、はっきり覚えておらぬのですよ。ご勘弁下さい。ただ、東海姫氏国とは、日本のことか、周か呉かと聞かれたような気がするのです」
「誰に!?」
烏丸殿の口調は鋭い。
この場に花園殿はいなかった。
しかし、洞院殿は、
「酔っていましたからねえ……誰かな?どなたか公卿のお一人だったかとは思うのですが。記憶違い?いや、まさか、夢かな?」
と誤魔化した。
「公卿だったなら、誰です?この中にいるのですか?」
烏丸殿はなお詰め寄る。内心、逃れられないと洞院殿は観念しながらも、なおとぼけてみせた。
「申し訳ない。本当に思い出せません」
殿上人ずらり居並ぶ席で、それ以上問い詰めるわけにもいかず、烏丸殿もいったんそこで諦めた。しかし、後日また、ぎゅうぎゅう問い詰められることになるだろうと、洞院殿は覚悟した。
「仕方ない。で、予言の中身はいかようなものだったのか?」
烏丸殿は、今度は初めに発言した人に向かって、予言の内容を聞き出し始めた。
「はい。それがですね」
普段から軽はずみな言動が目立つ人である。場もわきまえず、さらに、内容の不遜さに思い至りもしなかったのか、彼は平気で喋り始めた。
「日本が滅ぶという予言との噂だが、そうか?」
「ええ、大まかには。いや、正しくは日本そのものが滅ぶというより、王朝がということですね。天変地異が起こり、王朝衰退し、下克上の世の中となる。野蛮な猿が取って代わり、王朝百代にして遂に滅ぶ……」
せいせいとした顔なのは、喋っている本人で、聞いていた人全てが、途中から青ざめた。隣の殿上人が袖を引いたのだが、話すのに夢中で本人は気づかなかったらしく、最後まで喋ってしまった。
殿上の間は凍り付いている。烏丸殿が怒声を上げるまで、誰一人唾も飲まなかった。
どん!
不意に、烏丸殿が床を踏み鳴らして、
「誰ぞ、こやつを捕らえい!」
と叫んだ。
「こともあろうに殿上の間で、かような根も葉もない噂話を披露するとは。反逆の心の表れだろう!」
俄かに事件となってしまった。
発言者は謀反の疑いありとして捕らえられ、彼に予言書を見せた者も捕らえられた。
人々の間で、東海姫氏国とは日本のことであるのか、どこであるのかと議論になった。また、洞院殿に東海姫氏国について問い合わせた者が誰なのかという話で持ちきりになった。
噂は当然、花園殿の耳にも入ってきた。これはまずいことになったと彼は思い、また、洞院殿に迷惑をかけていることを知り、思い悩んだのである。
洞院殿は烏丸殿からしつこく問いただされていたが、ずっととぼけて、花園殿の名は出さずにいた。
殿上の間での一件が、ここまで大事になってしまったのだ。花園殿の名が出れば、首謀者にされてしまうかもしれない。
洞院殿はじっと耐えてやり過ごす作戦を貫いた。
烏丸殿も諦めたか。そのうち洞院殿に尋ねたりもしなくなった。しかし、烏丸殿という男は、普通の忠臣とは違う。極端な人間なのだ。
彼は疑わしい人を、片っ端から調べていた。
烏丸殿が疑いを抱いていた人物は数人。その中には、花園殿もいる。
弟の樺殿は夏火星という噂だ。それに、陸奥守としてかの地に赴任してからというもの、相当好き勝手をしていたという話も聞く。
陸奥には黄金都市があり、異国との密貿易で莫大な利益を上げ、私兵を数万隠しているという噂がある。
あやしい。実にあやしい。
烏丸殿は夏火星の樺殿を大いに疑った。その樺殿亡き今、疑うべきは兄の花園殿である。
花園殿もまた、十二安というおかしな組織を持っている。修験者と称しているが、全国各地を飛び回り、いったい何を調べているのか。
烏丸殿が大いに疑っていた矢先、花園殿は失敗した。
花園殿の行動は終始監視されていた。密かに烏丸殿が密偵を送り込んでいたのだ。女房として入り込んでいたから、十二安もそれとは気づかなかった。
花園殿、ある日、烏丸殿からの追求がなくなってひと安心している洞院殿を、訪ねてしまったのだった。勿論、迷惑をかけたことを詫びに行ったのである。
密偵の女房は同行できなかったので、花園殿が洞院殿と何を話したのかは分からなかった。しかし、花園殿が洞院殿を訪ねたことは、烏丸殿に報告された。
烏丸殿には、それで充分だった。
花園殿は洞院殿とはあまり親しくない。決して仲が悪いわけではないが、わざわざ家を訪ねて行くほどの仲ではないのである。
時期が時期だけに、烏丸殿は怪しいと思った。
もしかしたら、洞院殿に、東海姫氏国について質問したのは花園殿ではないのか。洞院殿が花園殿の名を出さなかったので、その礼に出向いたのではないか。
烏丸殿はそう考えた。
結果的に、その考えは正しかったのであるが。いずれにせよ、これは花園殿の失敗である。多少非常識であっても、彼は洞院殿を訪ねるべきではなかった。
さて。烏丸殿は、洞院殿に東海姫氏国について尋ねたのは、花園殿かもしれないと考えた。とすれば、東海姫氏国は日本か周か呉かと尋ねたのも、花園殿ということになる。
その意味を烏丸殿は考えた。
周や呉は姫氏の王朝である。しかし、日本が姫氏ということがあるか。
考えながら宮中を歩いていると、天敵の風香殿と出くわした。
この世には、どうしても好きになれない奴がいる。理屈ではない。何故かこの男が受け付けられない。
恐らく、風香殿の方もそうであろう。何かと目の敵にしてくる。
その大嫌いな男に会ったので、とても不快な気持ちになった。それなのに、よりによって、風香殿が烏丸殿を呼び止めたのだ。
「何か?」
頗る棘のある声が出て、自分でも驚いたくらいだった。風香殿の方も目を眇めている。凄い眼光だ。そこまで睨みつけなくてもと思う。
「先日以来話題の、東海姫氏の意味を考えてみたのだが」
意外なことを風香殿は口にした。睨みつけたまま。
政敵とはいえ、いや、互いに朝廷を思えばこそ、政敵となっているのである。その王朝存亡に関わるとなれば、敵の味方のと言っている場合ではあるまい。そう思って、風香殿も声をかけてきたのだろう。
「ほう、何かわかりましたか?」
我慢して、烏丸殿も応じた。
すると、風香殿は静かに、重々しく頷いた。
「内裏で口にするのは憚りながら──」
風香殿は寄って、ひそと語りかけた。
「唐土では、どうやら日本を周の裔と考えているようです」
風香殿といえば、学者さえも言い負かす人として有名である。やたらと漢籍に詳しい。
「姫氏とは、日本ですか?」
「ええ。周か呉かと洞院殿に尋ねた人がいたとかいうあの話ですが、おそらく、唐土では日本を周の末裔と考えているところから考察されたものでしょう」
「呉の太伯、虞仲は周から分家したものですな。本来、嫡子は太伯なれども、末弟が嗣子となれば周は栄えるとて、末弟に譲って呉の地に流れた。果たして、周は栄え、殷を討って王となった。その末裔であると、唐土では考えてられているというのですか?」
「そうなのです。呉は越に敗れて、夫差の時に滅びますが、その時、呉人達が日本へ渡り来たということでしょうか。太伯から夫差まで二十五代。まことに無礼ながら、今上までの代数に、その二十五代を加えてみて下さい」
「な!我が国の帝と呉を一緒にするなど!」
「勿論、およそ別の系統です。しかし、唐土では、我が王朝は呉王の続きと思っている。呉王二十五代を加えねば、百王の意味をなしませぬぞ」
つまり、神武の帝の前に、二十五代あったとして考えよということか。予言では、百代目の王で滅ぶとある。
「待たれよ!」
はたと烏丸殿は気がついた。察して、風香殿も頷く。
そう。呉王二十五代を加えれば、百代までそう遠くはない。この先、代替わりが頻繁に行われれば、数十年以内に、百代に達する可能性がある。
「今!まさに今ということですか?予言の言う滅びの時とは」
「その可能性があります。洞院殿に尋ねたという人は、きっとそう思ったに違いありません。今だと。まさか、予言を利用して、予言を信じて、謀反を企てたりはしないでしょうな?」
「まさか!」
烏丸殿は、頭を殴られたような気分だった。
洞院殿に尋ねたのが花園殿だとしたら。彼は今こそ王朝滅びの時と思っているのか?いや、自ら滅ぼさむと画策しているのか?
だから、十二安をあちこち走らせているのか?だから、樺殿は陸奥で大儲けして、私兵を準備しているのか?朝廷を討つために。
だから、樺殿を夏火星だというのか?
夏火星は戦乱を告げる星。現れると、世が乱れるという……
そもそも。この予言書というものからして、頗る怪しい。
唐土で書かれた物だというが、それさえ事実かわからない。もし、本当に唐土で書かれたのだとして、いつ、誰が本朝にもたらしたというのか。
そして、日本で作られた可能性はないのか。
もしかしたら、日本国内で何者かが作成し、唐人の予言と偽ったのかもしれないではないか。
そうこうしているうちに、密偵の女房が恐ろしい通報をしてきた。
「件の予言書、花園の羽林の殿がお持ちにございます。筆跡は、羽林の殿のものに間違いございませぬ。ええ、お側でお仕えしておりまする故、羽林の殿の手跡はよく存じております。間違いなく、あの予言書はおん直筆」
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