拾遺七絃灌頂血脉──山桜創始の巻──

国香

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密筑の里(下)

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 そのうちに、朝廷から使者が来て、正式に婚約が成った。

 大王は宴を開いて、使者をもてなした。重臣達は皆招かれ、姫も勿論出席させられた。

 華やかに着飾った姫はそれはそれは美しく、使者も、こんなに綺麗な姫は後宮にもいないと褒め称えた。

 しかし、姫にはいかなる美辞麗句も耳に入らなかった。居並ぶ重臣達の中にいた、九日長と目が合ったからだ。

 九日長は思わず目を伏せた。姫はじっと切なげに彼を見つめた。その視線にいたたまれなく、九日長も又、自身の姫への想いに気付いたのであった。

 姫の婚約は正式に成った。だから、今まで通り、今度こそ会ってはならないのだ。

 しかし、互いに思い煩う者同士、この日の二人はどうかしていたと見える。

 この夜、姫は久しぶりに庭に出た。

 そして、九日長も庭に来てしまっていたのだった。

 昼間の宴の衣装をそのままに、東屋に佇む姫の姿。それを目にした途端に彼の中で何かが弾け飛んだ。

 九日長は東屋に駆け入る。姫はいきなりその胸に飛び込んだ。

 姫は突然来なくなった彼への恨み言もしばし忘れて、彼にしがみついていた。

「申し訳ありません」

 彼は詫びた。姫を抱きしめ、何度も詫びた。

 しばらくそうしていたが、やがて姫は自ら腕をふりほどいて、彼から離れた。

「いつしかあなたを好きになっていた。でも、私は国のために生きなければならない。これでお別れです。二度とお会いしますまい」

 姫を見つめる九日長の顔。それを見て、どうして彼が姫の前から消えたのか、姫に察せられた。だから、姫は恨み言を一切口にしなかった。

「私のような者に、お心をかけて下さって。御身はかけがえのない御方」

 彼も想いを口にし、最後の思い出に、もう一度姫を抱きしめようとした時であった。

 突然、庭に多数の人の気配がした。

 二人はびくりとし、隠れるか逃げるかしなければと思ったが、見つかってしまった。

「そこで何をしている?」

 大王の声であった。

 供を連れた大王の一行だった。十人ほどはいるか。

 大王の傍らには、例の政敵がいた。

 彼はずっと九日長の行動を見張っていたのだったが、先程、ついに九日長が東屋に入るのを見て、急ぎ大王を誘ったのであった。

「金星が美しいですよ。お散歩など如何でしょう。夜明け前の空の色に金星が輝き、格別です」

 寝ずに起きていた大王は、

「それはいい」

と興をそそられ、彼に導かれるままに、この東屋へ来たのであった。

 そして、大王は姫と九日長の決定的な場面を目撃したのだった。

「いったいこれはどういうことだ!」

「兄上、違います!誤解です」

 姫はとっさに言い訳した。しかし、大王は信じない。

 烈火のごとく怒った。

「まだ朝廷からの使者がおるのだぞ。しかも、姫の婚約の使者だ。よりによってこんな時に!絶対許せん。二人とも、国を滅ぼす気か?私を裏切ったのか?」

「兄上、違うのです!」

「黙れっ!」

 大王は本気で怒った。特に、側近の九日長への怒りは甚しかった。信じていたのに。手放しで信頼していたのに。

「姫を部屋に連れて行け!」

 大王は供の者達に命じる。

「兄上!」

 がたがた言っている姫を、数人がかりで連れて行く。

 姫の姿が消えると、大王は言った。

「処分が決まるまで、蟄居しておれ!」

 九日長はうなだれた。

 大王は鬼の形相で睨む。この眼光だけで、射殺されそうだ。

「こやつの邸に兵を差し向け、監視せよ」

 大王は九日長を睨んだまま、傍らの政敵にそう命じた。

 政敵は極めて神妙に、

「かしこまりました」

と頭を下げた。

 ことの真相は公にはされなかった。朝廷からの使者が滞在している間は、どうあっても知られてはならない事である。

 皆、大王の勘気に大変驚いていた。誰の言葉も信じなくても、九日長の言うことにだけは耳を傾ける。そういう大王であった故。突然どうしたのかと、皆戸惑ったのである。

 一方、部屋に押し込められ、思い詰めた姫は、日に日に衰弱して行った。このままでは、上洛できなくなってしまうかもしれない。

 姫は何度も何度も大王に訴えていた。九日長は何も悪くないと。自分達は決してそういう仲ではないのだと。

 ひたすらそう訴え続けていたが、大王は無視していた。

 そうして姫はどんどん弱って行った。

 大王は是が非でも姫を朝廷にやらなければならないと思っていた。だから、今回のことで、姫には一切処分は下さないつもりでいた。

 しかし、九日長は別である。

 とはいえ、寵臣への情は容易く断ち切れるものではなく。信頼が強かった分、裏切られたことへの憎しみも強かったのではあるが、それでも、なお消えぬ愛情があった。

 故に、九日長への処分を決めるのに、しばらくかかってしまった。一月ほど経って、ようやく決めようとなった。

 処分を発表する前日のことであった。

 姫は意を決して、夜中、こっそり抜け出した。そして、監視の厳しい九日長の邸に行った。

 監視の目をすり抜けて再会を果たした二人は、夢のような一夜を過ごす。しかし、二人が共に過ごせたのは、ごくわずかな時間だった。

 姫は暗いうちに帰って行った。そして、まだ暗いうちに簪を握りしめて、自分の部屋で決行したのだった。

 朝になって侍女が発見した時には、姫はすでにこと切れていた。血に染まった衣はたいそう鮮やかであり、不気味なほどに美しい色だった。

 簪は姫の胸を突き刺していた。

 横たわる姫の傍らの机の上には、大王に宛てた書簡があった。

 朝から大騒ぎとなった。九日長の処分の発表どころではない。

 姫の突然の自害に大王は動転したが、その遺言と思しき書簡を読むだけの判断力は、まだ残っていた。

 それは、大王への命をかけての訴えであった。

 姫は九日長は無実であると書いていた。自分は九日長とは、恋仲ではない。逢い引きなどしたこともない。事実無根である。疑われて心外であるし、功臣の九日長を、無実であるのに処刑してしまったら、国の損失は計り知れない。彼が無実であること、そして、自分は彼とは無関係であることを、命をもって主張する。

 そう綴られていた。

 さすがに大王も、これには心動いた。

 大王は九日長の罪を許し、国政に復権させた。

 しかし、九日長はすっかりぬけ殻であった。姫は己の命と引き替えに、彼を助けたのである。そこまでされて、どうして前向きに生きられる者があろうか。

 しかし、彼には責任がある。

 国の至宝の姫が自害して、王国は外交問題に直面した。姫が亡くなってしまっては、同盟は成らない。

 九日長は己の責任として、その処理に尽力した。

 その甲斐あって、どうにか朝廷を宥め、開戦の危機は脱することができたのだが、彼はもうここで力尽きた。

 帰宅した彼は、宵の金星に向かって語りかけた。そこに姫がいるかのように。

「私はもう無理です。この辺りでご勘弁頂けないでしょうか。私には責任がある。この国難を乗り切るために、戦陣切って、働かなければならない身です。でも、もう辛いのです。姫に賜った命ゆえ、何としてもお役目を果たさなければならないことはわかっているのですが。賜りし命を粗略にしてはならぬことは、重々承知しているのですが。それでも。もうお許し頂きたい」

 金星に浮かぶ面影は、優しく頷いてくれたのであろうか。

 翌朝、なかなか起きてこないのを不審に思って、様子を見に来た下僕が発見した。自害し果てた九日長の姿を。

 能臣を亡くした王国は、策を見いだせず、朝廷との関係を悪化させて行く。大王は努力したが、ついに全面戦争は避けられなくなった。姫の死からわずか二年、朝廷軍の侵攻を許してしまった。

 しかし、王国は強かった。そう簡単に敗れはしない。

 独自の戦術を駆使し、朝廷軍を苦しめた。また、各地に散らばり、あちこちに抜け道を掘り、前にいたと思ったら、急に背後から現れたりなどして、朝廷軍を翻弄したのだった。

 しかし、朝廷は東北以外、ほぼ全国を統一している。強さはもちろん、知恵者揃いだったのだ。いつまでも翻弄されてばかりはいない。

 何年も激闘していたが、次第に朝廷側が優位に立って行く。そうなると、常陸国内の、別な勢力は皆、朝廷側につくようになって行くのだ。

 いつしか、王国は四面楚歌の状態となった。しかしそれでも、最後の力を振り絞って籠城した。

 籠城は意外に長続きした。城が落ち、大王が自害して王国が滅亡するまでに、開戦からおよそ十年かかった。

 ついに王国は滅亡。

 捕らえられた者は四国はじめ各地に連行され、逃げた者は陸奥の奥地へ。しかし、常陸にとどまり、隠れ住んだ者もいた。





 王国滅亡から数百年。

 真崎にいるその残党は、比較的早い時期から朝廷側に寝返った者達であるという。それ故に、領地を多少減らしても、存続することができた。

 彼等は金星を信仰する者達であったという。

 一方、太田郷にいる者達は、その掘削技術を駆使して最後まで朝廷に抵抗した勢力であった。王国滅亡と同時に各地に散らばり、その一部が太田郷の山中に隠れ住んだものである。

 常陸が朝廷に統合されてしばらく経ち、王国の残党もすでに二代、三代と代替わりしていた頃のこと。二代目、三代目では、まだ王国時代の記憶が残されている。

 真崎の者達は身を守るために朝廷に降伏したが、本心では王国の者であった。

 そのため、太田に隠れ住む残党と手を携えたいと思っていた。

 王国時代、真崎の者の方が太田の者よりも身分的に劣っていたというわけではなかった。それでもあえて、真崎の者はわざわざ太田に出向いて、彼等に臣従する形をとったのである。

 太田では、真崎を裏切り者と思っていたが、真崎のこの態度に彼等の本心を知り、また心を一つに手を携えて行くことを承諾した。

 これより以降、真崎は太田を主君として、仕えてきている。

 真崎では混血が進んで、今では全く都人と見分けがつかない。しかし、太田ではあまり混血が進まなかったため、かすかに顔立ちが異なるのだという。

 信基はそう言って、長い王国の話を締めくくった。

 花園殿はじっと耳を傾けていた。途中から、信基の話す王国の景色が、脳裏に浮かぶようであった。大変興味深い話であった。

「おことはその残党なのよな。金星を信仰しておるのか」

「はい」

「しかし、何故金星か?」

「さて、わかりませねど、密教にても金星を飲み込んだ高僧がおりましたでしょう。思えば、かの御方は四国の佐伯。もしかしたら、我が祖先の捕虜が伝えたことやもしれませぬ」

「ああ、滅びし時に捕らえられし人々、讃岐辺りに連行されたとかいう」

「ええ、そうです」

「金星のう。虚空蔵菩薩くらいしか思い当たらぬが」

 花園殿は敢えて天津甕星とは言わずにそう言って、また清水を飲んだ。

「いや甘露だ。おことの主君にも会ってみたいし、真崎にも密筑里にも行ってみたいものだ。しかし、おこと。何で私に祖先の話をした?」

 それこそが、信基の目的であり、願いである。

「羽林の殿が流人でいらせられるからです」

 信基は思いきって言った。

 むっとしたわけではないが、花園殿としては、耳障りな言葉には違いない。流人。無実の身としては心外なことだ。

「無礼を承知で申し上げますが」

「構わん」

「羽林の殿は日本の王朝は百代で滅ぶと仰せになったとか。それで、謀反の疑いをかけられ、こちらまで流されたと聞きました。朝廷に思うところおありかと」

「予言か。それは私が言ったことではない。他に犯人はいるのだ。私は予言を写本にして持っていたに過ぎぬ。私は無実だ。なのに、流された」

「では、余計に朝廷にお腹立ちでしょう」

「おこと」

 そこではたと気がついた。信基の狙いに。

「まさか、おこと」

「我々は朝廷に不満があります。その辺の農夫に聞いてみて下さい。皆、独立したがっていますから。先祖の恨みを晴らしたいだけではありませぬ。殿。我等にお力をお貸し下さいませ。我等の盟主におなり下さいませ」

 初めて本心を打ち明けた信基であった。

「待て待て」

 朝廷に弓引く気か。

 その反乱軍の長にかつぎ上げる気か。

 朝廷には確かに恨みのある花園殿ではあるが。あまりのことに、即答できない。
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