後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香

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軍勢(壱)

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 翌日、嬰がいつものように御祓と礼拝を終わらせると、幽貞は聖域の外へ向かった。

 嬰は前日と同じ尾根を歩いて行く。貴重な薬草が沢山とれる場所を通るからだろうか、手に篭を掛けていた。

 尾根を登りきり、最初の頂上に立つ。昨日同様、遥か彼方に都の象徴である大塔が見えた。しかし、すぐに違和感を覚える。

 眼下の草紅葉の原に、昨日まではなかった立派な幕舎や陣幕が、いくつも準備されているのだ。そして、中央には巨大な祭壇が築かれている。幽貞が祭司を務める祭壇に違いなかった。

 嬰はしばし凝視した後、俄に走り出した。尾根を一気にかけ降りる。下りきると、昨日喜んで摘んだ木の実の森にも目もくれず、再び尾根を登り始めた。

 尾根を登りきると、また視界が広がる。真下の平原には、昨日同様に軍勢が犇めいていた。軍旗はなおまだはっきりとは見えない。

 すると、弾んだ息のまま、嬰は何ともと来た道を戻り始めたのである。尾根を下り、再び登り。最初の峠に戻ってくると、草紅葉の原には陣幕が整い、祭壇からは煙が昇っていた。

 すぐに、向こうの森から原に、数多の軍勢が隊列正しく入ってきた。

 嬰は凝視すると、その草紅葉の原へ向かって下り始めた。人はあまり通らないのか、獣道しかない。

 草木を掻き分け、獣道を下山して行くと、彼方に貞人の小屋が見えた。ならば、小屋の辺りには道があるはずである。

 嬰は小屋の前まで道なき道を進んだ。小屋に至ると、確かに山道があった。それを麓に向かって進みかける。

「おや、お散歩ですか?」

 背後から声をかけられ、振り返れば、小屋の入口から貞人が顔を出していた。

「ええ、今日は良い天気で、気持ちが良いですね」

 嬰は愛想よく言って、再び前を向く。

「散歩日和ですが、そちらは気をつけられよ。聖域の外が近いですから。うっかり標の外に出られませぬように」

 なお貞人が嬰の背中に注意してくる。どうやら、道は当たっているようである。嬰は礼を言ってさらに麓へと下りて行った。

 やがて、標に行き当たった。これ以上、道を進むことはできない。

 嬰は道から外れて、標に沿って草木の中を歩き出す。相変わらずの急ぎ足で。

 やがて、草紅葉の原を見渡せる場所に出た。藪から顔を出すと、原全体が見渡せる。個々の顔も何となく判別できた。

 中央の祭壇にいるのは、確かに幽貞であろう。日差しの下、頭髪が白銀に輝いている。

 軍はどんどん草紅葉の原に集まってきて、その祭壇の前に整然と並んでいく。嬰が山中を移動している間に、大分集合していたようで、もう原は軍勢でほとんどいっぱいだった。

 軍勢で埋め尽くされた原。

 そこへ、大きく鮮やかな軍旗をいくつもはためかせた戦闘馬車が、続々と入ってきた。軍旗は三種あり、中の一つには韓の字が見える。

 韓の旗を挿した馬車は五輌。乗っているのは女性とわかる。戦袍凛々しくはためかせている若い女性が、韓の馬車の先頭を進んでいた。

 他には田の字の旗、賓の旗があり、それぞれ同様に数輌ずつ、皆女性が乗っていた。

 馬車は祭壇の近くで停まると、乗っていた人は皆降りてきて、祭壇の回りに集まる。

 続いて、宮殿の貞人たちの集団が入ってきた。そして、それらに護衛されるように回りを囲まれた、美しい馬に乗った貴人──子解が現れたのである。

 大きな箕の旗が、雄々しく風に揺られている。甲冑姿の子解は非常に美しかった。

 子解に続いて現れたのは、司母辛を乗せた戦闘馬車だ。

 金色の箕の旗が目に眩しい。

 司母辛には、顔が判別できない遠距離からでも、それとはっきりわかる、他の者にはない圧倒的な存在感があった。司母辛を包む空気が、そこだけ違っている。

 司母辛も年齢を感じさせないほどしゃきっとして、甲冑を見事に着こなしていた。

 司母辛の後には数十輌の戦闘馬車が続く。さらにその後方には女性のみの歩兵がぞろぞろと数百は続いていた。皆、殺気のような鋭い空気を纏った女性で、すでに祭壇の前に集っていた男の兵たちよりも強そうな雰囲気がある。

 その間にも子解は祭壇の前に至り、司母辛と共に祭壇に歩いて上っていく。そして、幽貞に並んだ。

「ああ、子解……」

 木陰から嬰が嘆息を漏らしていた。手を伸ばさなくても触れられる距離にある標を、ちらと見やる。この標を恨めしく思っているのだろう。

 嬰はそれから祭壇の前にいる娘たちに目を向けた。彼女たちが子解の妻の候補なのだろう。

 賓の軍旗の娘は、嬰が候補から外れたので補足された者に違いなかった。

「……羨ましい……」

 嬰はついそう独り言を口にしていた。本来、あそこには嬰がいたはずなのだ。

「あっ!」

 一人の男に釘付けになった。祭壇の前の娘たちの近くに立っている。高官で、甲冑は身につけていない。背が高く、風貌の立派な中年である。

「張大夫」

 嬰は聞こえもしない相手に、そっと話しかけた。

「せっかく貴方がご推薦下さいましたのに、こんなことになってしまいました。すみません……」

 嬰が詫びる男が、以前の周雅の目となっていた者の正体だった。

 狩の前の儀式が始まった。嬰はじっと長時間、それを見ていた。

 幽貞と司母辛中心に行われる儀式。狩の成功と安全を祈願してのものである。狩の後には獲物をほふって、また祭壇に捧げ、感謝の儀式を行うことになろう。

 しかし、今回はそれだけではない。子解の妻となる者が選ばれるのだ。そのための儀式もある。

 狩の開始前には、天にその候補の娘たちを紹介するのだろう。狩の成功を祈願する儀式が終わると、三人の娘たちが祭壇に上って、拝礼した。

 子解はそれをどこか上の空で眺めている。ふと、こんこん咳き込んだ。鼎の煙に噎せたのではあるまい。

 嬰ははっとして、俄に森の中に走って行った。そして、薬草を摘み始めたのだ。

 持っていた籠いっぱい薬草で満たすと、また原に戻りかけた。

「そういえば……おかしいわ、張大夫のお姿が儀式の途中で見えなくなって……それに……」

 独り言に続いて、嬰は別の道を走り始める。

「旗の色が違う。軍の様子もまるで違う……」

 走りながら向かうのは、沢山の木の実がある低い場所だ。そこから峠を登ると、昨日のうちから幕舎、陣幕が広げられ、多数の兵で犇めいていた平原が見下ろせる場所に着く。

 しかし、途中ではっと嬰は足を止め、岩陰に身を隠した。木の実溢れる場所は標も近い。その標の向こう側、聖域との境ぎりぎりの所を数名の兵が進んでいたのだ。

 兵はいかにも忍び足といった様子で、辺りを窺いながら、そっと行く。彼らは子解の狩に参加している兵とは身形が違っていた。

 すると、反対側から女兵が三人やって来た。こちらは子解の狩の兵だろう。両者は出会うなり、こそこそ耳打ちして、頷き合っている。そうかと思うと、さっと四散した。

 行ってしまうのを確認してから、嬰は急いだ。息切れも何のその、尾根をかけ上がって峠の天辺へ。そして、眼下を覗き込んだ。
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