後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香

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夢占(参)

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 周雅は、清花の姫君の琴を聴いた時に見た最初の怪異、次に見た夢、続いて巨大な目と鳳勢に導かれて見せられた幻について、滔々と語った。

 広仲の酔いはすっかり醒めてしまったようだ。話の間、周雅はもちろん、広仲は全く箸をつけていないし、酒一舐めさえしていない。

 語り終えると、疲れたのか、周雅は羮の汁を一口飲んだ。

「ふうむ、なるほど、幻想には二種あるのですね。蓬莱と子余の国と思しきものと」

 広仲は閉じた扇を口元にあて、考え込んだふうになった。

「しかし、御身の夢の曲を奏でる蓬莱の女は、その姫嬰と同じか化身かと思われる……」

 広仲はそう結論付けた。

「そうでしょうか?」

 周雅は羮の椀を置いて、身を乗り出すようにした。

「その姫嬰なる人は、殺されて川に流されたといいまするに。おそらくその亡骸は海に沈んでいるのでは」

「しかし、御身がその子解の目となる直前に見た蓬莱の景色。その中にいた女は、姫嬰の顔をしていたのでしょう?」

「そうか!」

 周雅は思い得た。

「蓬莱は異界。何故、生身の人間たる姫嬰に似た人が蓬莱にいたのかと思いましたが──」

 広仲にも言わんとすることが伝わり、一つ頷いた。

「蓬莱は東海中にある異界。姫嬰の舟は蓬莱に行きつき、姫嬰はかの地で仙女となったのでしょう。仙女は人にあらず。生身の人から仙女と化す者もありましょうが、死者から仙女として蘇る者もあるかもしれませぬ」

 姫嬰は蓬莱の仙女となったのだろうか。

「それにしても、私には縁もゆかりもない話です。何故、このような幻想を見せられるのでしょう?そして、何故、その姫嬰と思しき仙女の奏でる琴曲を夢の中に覚え、弾くことができるようになったのでしょうか?」

 周雅は琴士である。一連の幻想を見せられているのは、琴士であることくらいしか理由が見出だせない。ならば、夢の曲と蓬莱の岩の上にあった十絃琴が、周雅と幻想とを結ぶものなのではないか。

「若君には、その十絃琴にお心当たりは?」

「いいえ、ございません」

「残念ながら、私も蓬莱の十絃琴などというものは聞いたこともありません。まだ知られていない名器なのでしょうか、これから世に現れるのか。何れにせよ、御身がその発見者か、やがて持ち主になるか。将来、御身と関わることになる琴なのでしょう」

 広仲はそこで、なかなかに恐ろしい考えに至った。

「何れにせよ、御身の灌頂の日と関係あるようですから、十八日までに答えを導き出さなければなりません。幻にはまだ続きがあるようです。謎を解くには、再び幻を見なければ。鳳勢が異界へと導くのならば、鳳勢を鳴らしてみましょう」

 周雅は仰天した。そんなことをしたら、またあの邪悪な双眼がやって来るではないか。

「絶対にいけません!」

 強く否定すると、

「大丈夫、悪霊だろうと生き霊だろうと、今は私がついております。お一人ではないから、そんなに恐ろしくはないでしょう?」

「いいえ!将監の君はあの目にお遇いなさっていないから、恐ろしさがおわかりにならないのです」

「ふうむ、したが、その目は師の君に灌頂の意味を教え給いし縦目阿闍梨と無関係とは思われず──。悪意などないように思われますが」

 周雅がまた頑なに頭を振るので、広仲も諦めたのか、ため息をついた後、再び食事を始めた。

「とにかく、食べてしまいましょう。夢解きは十八日までにしてしまわないといけないでしょうから、手がかりは掴まないと。先ずは御身の曲を譜にしてみましょう」

 あの巨大な目を呼ぶことを拒絶している以上、手がかりは夢の曲からしか得られない。広仲は一計を案じ、周雅に楽譜に記すことを提案した。

 食後、さっそく作業にとりかかった。周雅は鳳勢以外の琴一張を膝に乗せた状態で文机に向かった。隣に座った広仲の膝の上にも、鳳勢ではない琴一張。

 周雅は時折、琴絃を弾いて確認しながら、夢の曲を楽譜におこして行く。周雅の手元を覗き、書かれた文字を目で追いつつ、広仲も琴絃を弾いて行った。

 楽譜は基本、文字譜である。唐土では隋の時代から、記譜法の研究が進められていて、唐になると、減字譜なるものが発明された。とはいえ、未だ琴界共通の記譜法は確立されていない。

 だから、面倒だが、文字で記譜するしかなかった。つまり、右手のどの指でどの絃をどういった奏法で弾き、同時にその時、左手はどの指でどの徽をどういった角度で押さえてどこの徽まで滑らせるのかといったことを、いちいち文章で書くわけである。一音書くのに数十文字も必要になる。

 記号化できれば、記譜も楽になるが。しかし、未だこれといった記譜法が確立されていないので、文章でつらつら書いていくしかない。

 一拍(一段)書くのも大変だ。一拍書き終えた時、随分夜も深まっていた。

 周雅は記した楽譜に間違いがないか確認するため、一拍部分を楽譜を見ながら演奏してみる。

「はい、これで大丈夫です」

 広仲に頷いてみせた。

「奏法はさすがに殷(商)の曲らしく複雑ではないようですが、撮の手が多いですね。七絃ではなく十絃ならではといったところですか」

 広仲はそう言うと、楽譜を見ながら、一拍部分を弾いてみた。時折、首を傾げつつ、

「こうかな?いや、こうか」

と、左手を微調整して、周雅にも質問する。

 さすがに政任の高弟だけあり、周雅の説明を受けながら、すぐに弾けるようになってしまった。

「しかしまあ、夢の中で訊いただけで、よくもまあ弾けるようになったものですね。実際に弾いてみると、なかなか厄介なのに。しかも、もとは十絃の曲です。それをよく七絃ですらすら弾けるものだ」

 十絃琴用の曲を、七絃に編曲して弾いているわけである。広仲は改めて弟弟子の天才ぶりに驚愕した。

「いや、それはまことに不思議なのです」

 謙遜せず、周雅はすんなり弾けたことを肯定した。

「夢に聴いた曲を、起きて琴に向かえば、少しの迷いもなくすんなり弾けてしまいました。こんな経験は初めてです。霊験が働いているとしか思えませぬ」

「夢は自分の頭が作るもの。この曲は寝ながら御身が作られたということなのでしょうが、しかし、起きている時にも蓬莱でこれを弾く女を見たならば──。いくら自分で作ったものとはいえ、全くの迷いなくすんなり弾けてしまうというのは、やはり神仏のお力が働いているとしか思えませんね」

 広仲もそう認めた。

 その後、周雅は三拍まで楽譜にした。そこで深更、さすがに疲れたので、寝ることにしたのである。

 灯りは一つ文机の所につけたまま、几帳の向こう側に入り、並んでいる寝具にそれぞれ入り込む。

 周雅は隣の広仲が眠りにつくのを確認する前に、寝入ってしまった。さすがに疲れたのだろう。

「若君?」

 小声で広仲に呼ばれたことにも気付かなかった。

(許されよ)

 広仲は周雅が眠ったのを確認すると、もぞもぞと自分の寝具から這い出して几帳の外に出、鳳勢を掻い抱いた。灯りを寄せ、几帳すれすれににじり寄って、先程の曲を奏で始めたのである。

 やがて、几帳の向こう側から呻き声が聞こえてきた。魘されているのか、それとも邪悪な気配に包まれたのか。

 広仲のいる場所は、空気一つ、何ら変化はなかった。ただ、この薄い几帳一枚隔てた向こうの閨には、何らかの変化が起きているのだ。

 巨大な双眼が現れたのか、周雅は幻想へと連れ去られたのか。

 周雅の夢の曲は、最初の三拍までしか楽譜がない。広仲が弾けるのもそこまでである。だから、広仲はそこだけ絶え間なく何遍も何遍も弾き続けた。

 三拍を往還すること十遍。さすがに疲れを覚えた時、ふと広仲にも変化が顕れた。

 楽譜から目を逸らし、膝の上の鳳勢の焦尾を見やった時である。そこに海が見えたのだ。

 慌てて目を擦ってみると、やはり波にぶつかる岬が見えた。そこには鳥居があって、立派な御社殿がある。

 すると、大波がばんっと弾けて、広仲の指に衝撃が走った。見ると、広仲の指を一振の剣が襲っている。

「痛っ!」

 痛みに我に返ると、幻は消え、鳳勢はまたもとの一張の琴に戻っていた。一番太い宮絃が切れていた。

(草薙の剣?……蓬莱。そうか、熱田!尾張か!)

 広仲は確信して、そして、己の指を改めてよく見てみた。じわりと血が滲んできた。

 懐紙で傷口を押さえ、鳳勢の絃を張り替えようと、塗籠に向かいかける。灯りを手にした時、ふと几帳の向こう側が静かになっていることに気付いた。気になって、几帳の奥を覗いてみた。

 周雅の顔に灯りを翳すと、すやすやと安らかに眠っている。悪夢は去ったようだ。

 安心して、広仲は塗籠に入り、新しい絃を持ってきた。

 鳳勢の絃を張り替える頃には、出血も止まっていた。指から懐紙を取り去ると、広仲は切れた絃を取り払い、新しいものに替えていく。

 張り終えて、絃を調べるために鳳勢を鳴らすと、再び異変が起きた。

 几帳の向こうから、周雅の声がしてきたのだ。一瞬、起きたのかと思った。それくらいはっきりと、話したのである。

「子余の国の王・準、南に至りてこれを討ち、その地で王にならんとすれどもならず。同地、大いに荒れる。衛満、王倹城にて即位し、南下して先王を討たんと欲す。海中の太子・解、満の野心知りて、先王と合流せず、兵を頼まんとて倭に入る……」

「若君?」

 広仲は鳳勢をもとの場所に戻して、灯りを持って閨に戻った。周雅を照らせば、またすやすやと眠っていて、先程しっかり話していた人とは思えない。

(やはり、鳳勢が怪異を見せるようだ……)

 何故、鳳勢は怪異を見せる道具となっているのだろうか。比類ない名器であることは確かだが──。これも周雅の灌頂、または政任の発心と関係があるのだろうか。

 そういえばと、広仲は先程見た政任手製の以前の目録を思い出した。それによれば──

 鳳勢は流祖・曹倫から大学頭行実に渡されたものの一つだが、それら曹倫由来の品のほとんどが、行実から伊定の手を経て、政任に継承されている。だが、鳳勢は伊定を経ず、晩年の行実から幼少時代の政任へ直接渡されたものであった。

 政任にとって鳳勢は特別であったに違いない。政任の一の名器だろう。

(だから、鳳勢が異界への入り口になったのやもしれぬ)

 その鳳勢を離し、夢の曲も奏でない以上、今夜はもう異変は起こらないだろう。念のため、枕元は照らしておこうと、灯りを枕の近くに置くと、広仲は再び衾を被いて、今度こそ熟睡した。
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