後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香

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賓客(下)

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 迎賓館に暫く滞在することになった。

「商人の皇子が直々に参られた!」

というので、かえって困惑してしまうほどのもてなしである。

 恐縮して遠慮しようとしても、大王からの命令だからと、蓬州人たちは過度な奉仕をやめない。

 その大王からは、なかなか対面が許されない。

「我々の要求に警戒しておられるのだろうか?我々が援軍を求めていることは、すでに周人の王から聞いて知っておられるだろうから──」

 子解はなかなか対面できないことに、不安を感じていた。常に傍らには筆大夫がいるので、彼に悩みを打ち明ければ、意外や筆大夫はあっけらかんとしたものである。

「臣も気になって、少々調べてみたのですが。どうもそういうことではないようです。子解との対面の儀式は盛大にしなければならないと、その準備のために、なかなか対面が実現しないだけのようです。何しろ、儀式に使用するための建物を、新築しているくらいですから」

「え、わざわざ対面用の建物を作っていると?」

 子解は仰天した。

「そこまで体裁を整える必要なんて……」

 建物が完成するまで対面できないとは──。

「倭人とは、体面のためならどこまでもと、そういう人種のようです」

「悠長な。私はここに数日滞在するつもりでいたが、こんな生活があとどれくらい続くのだ。ただ大王に会って、援軍を要請するだけなのに。半年か?一年か?ずっとこんな生活を続けろと?こんなところでのんびりしている間に、父上はどうなってしまわれる!?」

 子解が決して短気とは筆大夫も思わない。早く援軍を連れて、準王と合流しなければと焦る気持ちはよくわかるし、実際、ぐずぐずしてはいられないだろう。

「ですが、倭人の好意を踏みにじるようなことをしては──」

「それはそうだが、時間がないのだぞ。それに、倭人のもてなしは度を越している。対面の儀式に使用する建物ができるまで、対面しないというのだぞ?援軍を出すつもりはないということではないか?大王は、建物の完成に時間がかかると言って、実は私との対面を拒否しているのだろう、違うか?」

「……伝を使って、どうにかして高官と接触し、援軍のことを依頼致します」

 筆大夫も、対面の儀式の日まで何もしないのは愚の骨頂と思い直した。水面下では話をつけておく必要がある。

 翌日から、筆大夫はじめ子解の高官たちは、大王の貴族たちに接触して、折衝するようになった。

 子解は子解で、その対面の儀式に使用するという建物の進捗状況が気にかかるので、蓬州人の長を連れて、その場所を見に行った。

「田公、これはまた随分立派だなあ……」

 普請現場の巨大な柱の数々を見て、子解は嘆息をもらした。

 三層の造りの建物だが、下から三階までを、巨大な柱が貫いている。そのような柱が何十と、地面から立っていた。基礎となる石も、随分大きなものばかりだ。

「これは、いつ完成するか知れたものではない……」

 それまでの間、本当に大王とは会えないのだろうか。

 すぐ近くに大王の御殿がある。それを子解は恨めしげに眺めた。その中に籠っているであろう大王に、思い馳せる。

「手を伸ばせば、すぐ届く距離にいながら……」

 御殿の戸を蹴破って、乱入することも容易いのではないか。

「ほ、ほ、ほ、ご短気ですなあ。援軍だのと、そんな殺伐としたことはやめて、我々のようにこの地に永住なされば宜しいのに。毎日、こうしてのんびり暮らせるのですよ」

「田公はどうして倭へと渡られたか?」

「戦から逃げてきたのですよ」

「逃げてきた人には、この地は安住の地であろう。しかし、戦わなければならない人には、このぬるま湯は辛すぎる」

 子解のこの感情は後世の「髀肉の嘆」の心境なのだろうと、周雅は思った。

 おかしい。周雅として思考ができる。意識が混濁としてきているのか。

 子解は目をぎゅっと瞑り、頭を振った。

「皇子、どうかなさいましたか?」

「いや、何でもない。おや、田公、あれは何だ?」

 若い女たちが列をなして歩いて来る。それぞれ両手いっぱいに荷物を持って。普請現場に女の姿とは不思議だ。

「ああ、そろそろ休憩時間なのですよ。食事です」

「なるほど」

 子解が納得して頷く。作業する男たちの食事を持った女性たちの一団が、子解の前を通り過ぎて行く。

 その時、一人の女に釘付けになった。

「嬰っ!?」

 子解は駆け出していた。

「嬰っ、嬰っ!」

 女の肩を掴む。

 きゃあと、仲間の女たちが叫ぶ中、肩を掴まれた女はきょとんと子解を見上げた。

「嬰!」

 嬰としか思えなかった。

「皇子、どうなさったのです?」

 追いついた田公が怪訝そうに子解に声をかけたが、彼の耳には届かない。

「嬰、ああ、生きて……」

 子解の目は涙で潤んでいた。

 しかし、相変わらず女はきょとんとしている。まるで、子解を初めて見るかのようだ。

「それは清羽。恐れながら、倭の言葉しか話せない女でございます」

 子解は初めて田公の言葉に反応した。

「申し訳ございません。これも蓬州の女ですが、秦の言葉がわからぬので、こちらの普請場に回したのでございます。秦の言葉を操れれば、器量良しゆえ、皇子のお世話をさせたかったのですが……」

 清羽とかいう女。嬰にあまりにも似ている。いや、似ているなどというものではない。嬰そのものとしか思えなかった。他人で、これほど似ている人がいるわけがない。

「嬰でないなんて、あり得ない」

 しかし、子解が何を言っても、この女はきょとんとしている。明らかに子解の言葉が通じていないのだ。

 まさか、本当に蓬州の倭人なのか。清羽という、嬰とは全くの別人なのか。

 子解には信じられなかった。こんなに似ている他人が存在するなんて。

「嬰……嬰ではないのか?」

 子解はもう一度、女に問うた。だが、女にはやはり通じていないようで。

 田公が女に何事か言った。すると、その女も周りの仲間の女たちもびっくりして、急に子解の前に平伏した。田公は、これが子余の国の太子であると倭語で伝えたのだろう。女たちは慌てて平伏したのだ。

 清羽なる嬰に似た女が、平伏したまま何事か言っている。

「皇子とは知らず、ご無礼をお許し下さいと申しております」

 田公が通訳するのを、子解は茫然自失と聞いていた。

 嬰ではないのだ。こんなに似ているのに。

「……嬰は……幽貞に殺されたのだった……舟に乗せられ、水葬された……」

 嬰なはずがないのだ。嬰は死んだのに。

「は、はははは……」

 かわいた笑いしか出てこなかった。

 田公は何を思ったのだろうか。

「お気に召しましたならば、側仕えさせましょうか?言葉は通じませぬが、それで宜しければ。今夜から、ご寝所に上がらせましょう」

 などと言う。子解は首を左右に振った。

 清羽はずっと平伏し続けていた。その腕に美しい玉の腕輪が光っていた。
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