後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香

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蓬莱の女(壱)

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 子解が田公と共に普請場を去って行く。その背中を見送っていると、

「清羽」

 声をかけられた。振り返ると、中年の女である。他の女性たちは、配膳の支度を始めているところで、人足たちも食事をしようと、作業を止めたところだった。

「あ、ただ今致します」

 他の女性たちに遅れて、叱られるとばかりに慌てると、中年の女は手を差し出してきて、清羽の抱える荷物を取った。この人は女性たちの纏め役だ。

「あなたはいいのよ。田公がお呼びだから、行きなさい。明日からはもうここに来なくてよいから、田公の指示に従うのよ」

 女はそう言うと、踵を返して、配膳する女性たちの方へ行った。

 清羽は近くの井戸に寄り、水を汲んで手を洗おうとした。その手には強く光る玉の腕輪。器に汲んだ水に映る顔は若くて美しい女のもの。

 長らく子解の目を通してこの幻を見てきた周雅は、今度は清羽の目となったらしい。

 張大夫に始まり、嬰となり、次いで子解となっていたが、最後の最後で清羽になったようだった。

 水面に映る清羽の花顔は、やはり嬰によく似ていた。いや、似ているなどというものではなかった。

 普請場は埃っぽい。清羽は手を洗うと、次いで顔も洗った。

 嬰とはよく似ているが、それでも別人と思えるのは、化粧をしていないからだろうか。

 清羽は汚れを落とすと、迎賓館へと向かった。

 迎賓館は秦語が飛び交っているが、雇われている蓬州人たちが、倭語が話せないわけではない。二人の侍女を連れた女性の上長が、清羽に倭語で話し掛けてきた。

「もう午後だから、今からぼちぼち支度を始める。先ずはあちらで髪を洗ってくるように」

 二人の侍女に、泉の涌き出る清流に連れて行かれる。そこで洗髪をし、さらにその清流で体まで洗う。衝立があるものの、素肌に水浴びである。

 侍女二人に素肌を見られて、清羽はもじもじしていた。だが、全く気にした様子もなく、侍女たちはてきぱきと無言で手伝いをする。

 身が清められると、新しい衣服を着せられ、迎賓館に戻った。

 上長がそれを見て、満足げに頷いていた。

「髪を乾かしたら、綺麗に結い上げて、化粧しなさい」

 上長は侍女たちに命じて、さらに翡翠の装飾品を手渡した。

 清羽は侍女たちに連れられ、迎賓館の隅の一室に入れられた。

 綺麗な色の衣が畳んである。

「先ずはこれを羽織って下さい」

 侍女たちにそれを着せられた。先程の上長でもなければ、身につけないような代物だ。

 それを着せられると、座らされて、髪をいじられ始めた。やがて器用に結い上げられ、上長から渡された翡翠が挿される。

 髪ができたら、次は化粧である。侍女たちがせっせと作業をしている。清羽自身には、自分の顔の様子はわからない。

 随分念入りにされたようで、完成した頃には日も傾いた。

 侍女たちは力作の清羽を見て、互いに満足して笑い合った。

「まあ、なんて綺麗なの!」

「私達って、凄くない?我ながら、何て器用なのかしら!」

「ねえ!」

「まあ、清羽がもともと綺麗なのだけど」

 手を取り合って喜んでいる。

 やがて、上長も部屋にやって来て清羽を見、一瞬息を呑んだ後、侍女二人を手放しで褒めた。

「素晴らしい、二人とも。よくやった」

 そして、再び清羽を惚れ惚れと見つめ、何度もその美貌を讃えた。

 そうしているうちに夕暮れて。侍女たちは別な仕事に戻って行き、上長だけが残った。

 何やら清羽に心構えを語って聞かせる上長。

「お前は本来、こちらに雇われるはずだった。だが、秦語を話さぬが故に、普請場などに回されたのだ。皇子はそのことをよくご存知である。とはいえ、いくらご存知でも、皇子のご命令に全く従えないのでは、皇子もご不自由であろう。今から、簡単な言葉を教えるから、しっかり覚えるように」

 上長はそれから随分と長い時間、秦語を教えていた。清羽は聡明な質のようで、覚えはとても良かった。とはいえ、そう沢山の言語がすぐ身に付くわけがない。

「まあ、あとはわからなくとも、皇子のなされるに従い、決して逆らわなければ、どうにかなるであろう。大して言葉も要らぬことであるから」

 上長は次いで、簡単に清羽の役目を教えた。改めて、普請場で田公が言ったことが告げられる。清羽は顔を赤らめて俯いた。

 確かに、そう言葉も必要ないことだろう。始まってしまえば、それこそ一言もなくても済む。

「とにかく、閨房に入るまでが大事。皇子のご機嫌を損じないよう、必死にそのお言葉を理解しようと努めよ。閨房に入ってからは、皇子のなされるに委せれば、大丈夫」





 夜更けになり、清羽は他の侍女たちと共に子解の寝所へ行った。寝所を整え、準備万端にしておく。終わると、入口付近に控えた。

 やがて、子解がやってきた。侍女たちは子解の着替えを手伝う。脱いだ衣を持って一人が下がり、一人が灯りの側に立つ。

「そろそろ寝るよ」

 子解がそう言うと、侍女は寝牀の所の一つを残して、灯りを消して行った。寝所の入口付近に立っていた者たちも、戸を閉めて皆出て行く。

 清羽だけが残された。

 戸の前に立つ清羽。そこはすきま風が入る。夜風が存外寒く、昼間清流に浸かったせいか、体の芯から冷えきっていた。

 子解はそのまま寝た。清羽に一言も声をかけずに。

 清羽は黙って戸の前に立ち続けていた。

 どれくらい経っただろうか。がちがちと小刻みに震えていると、物音がして、子解が起き上がった気配がした。こちらを見ているようである。

 やがて床から出て、こちらに向かってきた。

「……清羽……だったか」

 清羽の目の前に立ち、顔を覗き込む子解。

「……下がってよい」

「……」

 清羽は俯いたまま、答えなかった。

 子解がため息をつく。

「よいと言ったのに。本当に寝所に上げるとはな……」

 子解は清羽の顎に手を添え、上を向かせた。しげしげと見つめるその瞳に暗い陰が宿るのが、夜目にもわかる。

「嬰……」

 瞬きもせず、清羽を焦げるように見つめて、もう一度、

「嬰」

「……」

「そなたは嬰なのだろう?嬰としか思えぬ!」

 清羽は身じろぎ一つしなかった。まるで、耳が聴こえていないかのように。ただ子解を見つめ返している。

「何故黙っているのだ、嬰?事情があるのか?」

「……難しい言葉、妾わかりません。ご無礼お許し下さい」

 どうしても子解の言葉がわからない時に言えと、上長から習った言葉を口にする。清羽は継いで、眉根を寄せ、懇願した。

「どうかお許し下さい。大王にお怒りにならず、ご慈悲を下さい」

 そうも教えられた。身を投げ出し、平伏して詫びよと。

 子解は目を伏せ、清羽から手を離した。

「……下がってよい」

「どうかご慈悲を」

「……そうか、下がることは許されていないのか……」

 そこで、ふいと踵を返し、寝牀に戻って、子解はそこにあった上着を手にした。

「……私は愚かだな。そうであった、嬰は幽貞に……ああ、そなたが嬰だったならば、どんなに幸せだろう……嬰ならば、我がものとできることに、少しの惑いもないだろう……」

 呟いて、上着を持って、清羽の所に戻ってきた。

「人に問われても、ここでのことは何も言ってはならぬ。良いか?」

 清羽の反応がいまいちなので、子解は通じているのか不安なのか、もう一度言った。

「これを着て。黙っているのだぞ?」

 そう念を押して、清羽に自分の豪華な上着を着せた。

「さあ、もう下がりなさい」

 手振り付きで子解が言う。清羽は拝礼してから戸を開けて外に出て行った。

 外はまだ暗い。だが、もう起き出している人々もいるのだ。清羽が灯りのある所へ行くと、上長が火にあたっていた。

「おや、清羽」

 上長は清羽に気づいて、彼女を中に招き入れた。

「随分早く戻ってきたな。まあ、もうじき明け方だが──」

 火の傍に招いて、上長は清羽の上着に気づいた。すぐににんまりとする。言葉遣いも改めて、

「これは皇子の御衣。ご首尾よく運ばれたようですね。おめでとうございます」

 上長は改めて清羽の全身をなめ回すように見た。そして、満足そうに頷く。

「本当にお綺麗です。私が見立てた翡翠、よく似合っていらっしゃるし。着物も、皇子の御衣とよく調和して──。それにしても、その玉はとても美しいですね」

 火の光に輝く清羽の腕輪を褒めた。

「徐侯より賜りました。蓬莱の玉だそうです。私の身を不浄より守ってくれる、身につけているだけで体に良い、浄化作用のある玉とか」

「そうでしたか。徐侯は格別に貴女に目をかけておられた故──」

 上長は遠い目をした。そして、今度は朗らかに微笑した。

「貴女が皇子のご寵愛を得たと知ったら、どんなに喜ばれたでしょう」

「それはどうでしょう……」

 清羽は思い詰めたような顔をした。

「どうしました?」

「いえ、何も……」

「疲れたのね。少し休まれませ。今日からは皇子のお側でお仕えするのですから」

 清羽は曖昧に頷き、腕輪に目を落とした。

 上長が席を立って、炊事場へ向かった。一人になった清羽は腕輪の玉を撫でた。

「蓬州に戻るべきですよね?せめて普請場へ……」

 小さく呟いた。
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