後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香

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「……終わった」

 家司が食事を持ってくると言って下がると、どちらともなく身動ぎして、大きく息を吐き出した。

 全て終わったのだ。せっかく書いた楽譜も燃えてなくなってしまった。

「……十絃琴は姫嬰のもの。その琴の徽は姫嬰の持っていた玉。もとは蓬莱か神の島の勾玉だった玉……それを徽として姫嬰の琴に埋め込んだ……」

 姫嬰の死後に──。

「先程の、火中の幻影は何だったのでしょうか?」

 広仲は半蔀の外を見上げ、問うた。この家の家司が開けて行った。几帳やら御簾やらを退けたので、庭の景色がよく見える。庭は相変わらず草が茂っているが、空は見えた。月が輝いている。

「……清羽は姫嬰でした」

 周雅は夢の話をした。

 そして、件の玉が倭の大王の勾玉と同じもので、神の島のものであることも──。

「姫嬰は身分を隠し、清羽として都に出てきた──。愛用の十絃琴を倭で弾くことは許されず、蓬莱に置いてきたと言っていましたから──」

「つまり、十絃琴は蓬州、おそらく熱田辺りにあるということですね」

 広仲が確信したように確認した。つまり、周雅が夢を見ている間に、その琴の行方を求めて、家人を熱田に旅立たせたのは、正しかったのだろう。

「しかし、おそらく蓬莱の幻に出てきた琴の徽は、その姫嬰の玉であるはず」

「先程の火の中に見た光景から考えても、そうでしょうね」

「ですが、玉は姫嬰が持っていました。琴が蓬州にあり、玉は姫嬰と共に都にあったならば、これが一つになるということが──?」

 確かに、周雅の疑問の通りである。

 周雅は言った。

「姫嬰は倭の大王の宗室として、子解の妃にならなければならないとのことでした。夢はそこで終わってしまいましたが、先程、火の中に将監の君と一緒に見ましたよね、あれは華燭の儀ではないでしょうか?」

 大王と子解の対面の儀式の翌日は、子解と清羽の婚礼だと言っていた。なれば、先程広仲と火の中に見た最初の光景は、子解の婚礼だろう。

「姫嬰は姫嬰であることを秘めたまま、倭の大王の養女として、子解の妃になったのでしょう。なれば、子解は倭の軍三千を借りられたはず」

「とすれば、二つ目の火中の景色は、子解が倭の大軍を率いて、衛満と戦ったところだったのでしょうね」

 広仲はそう推測した。

「なれば、姫嬰は人質として、戦が終わるまでの間、倭に留められていたはず。倭は子解の妻子を預かると言っていましたから」

「なるほど、姫嬰の御腹が大きかったのは、子解の子を身籠っていたからなのでしょうね。子解が倭の軍を率いて、自国に攻め上っていた間、倭に残った姫嬰は蓬州から琴を取り寄せたかもしれませんね」

 そこで琴を手にした嬰と、玉とが一つになる──しかし、周雅は首を振った。そうは思えなかった。

「最後に墓で自害した姫嬰は、なお腕に玉を持っていました。琴はどうしたのかわかりませんが、姫嬰が亡くなった時点では、まだ玉は琴の徽になってはいません」

 広仲は唸った。あの最後の光景は、いったい何だったのか。あれはどこで、何故身重の嬰が自害などしなければならなかったのか。

「一つ前の景色は、まるで即位の儀のように盛大でした。準王は確かに王位にあった。若君、子解は衛満に勝ったのだと思われますか?」

 広仲の疑問に、周雅は首を傾げずにはいられない。二人とも、その辺りの歴史は史書を読んで知っているからだ。

「あれが準王の勝利を表しているならば、子解が倭軍と戦った相手は、衛満だったでしょうか?」

「漢がその地にあった国を滅ぼして、楽浪郡を置いた時、滅ぼされたのは衛氏の国だったと『史記』にはありますね」

「一方、準王は半島で韓の国を建てたと。それが正しければ、子解が連れてきた援軍は、半島の土人を蹴散らし、父王に見事、新しい王国を建てさせたけれど、北へ攻め上って衛満と戦っても、勝てなかったということでしょう。結局、衛満から国を取り返すことはできなかった」

 だから、新天地で建国したのだろう。

 先程の火の中の幻は、衛満との負け戦の様子だったのか、新天地での勝ち戦の様子だったのか。

「何れにせよ──」

 広仲の声がややくぐもった。月から目を反らし、俯き加減になって、

「あの光景がどの戦だったのかは不明ながら、子解は討ち死にしたのでしょう。衛満との負け戦か、あるいは土人との勝ち戦のどちらかで……」

「……勝ち戦の方だったならば、悲し過ぎます……戦には勝って、父王のために建国しながら、自分は死んでしまうなんて……」

 周雅も暗く打ち沈んだ。

 なれば、最後に見た墓丘は、倭内ではなく半島であろう。あの墳墓は子解のものだったに違いない。

 嬰は墓の中で自害した。しかも、その石棺に抱きついて果てていた。子解の墓でなくて、誰の墓だろうか。

「悲しくて、子解の後を追ったのでしょうか……」

「身重だったのにですか?」

 周雅には、身重の女性の心理はよくわからなかった。

 ただ、母親というものは強いものという思い込みがある。いくら、愛しい男が死んだからとて、子を胎内に宿している女が自害などするだろうか。

「ましてや、子解によって建国した国の王子を宿しているのですよ。子解は父王の太子。太子が不幸にして死んだなら、その遺児を是が非でも無事に誕生させようと、国じゅうが願うはず」

 嬰の腹の子は準王の嫡孫だ。太子の子解が早世したなら、準王は嫡孫に王位を譲るであろうに。

 それほど大事な子である。嬰がその子を宿したまま死ぬのは、国にとっても大きな損失だ。

「──あまり考えたくはありませんが、生まれても、命狙われるような事態になったのやもしれませんね。倭に狙われるようになったか。いや、準王に、他に王子ができれば──例えば、韓の土人の首長を外祖父に持つ王子が生まれたとか。ならば、倭の外孫である姫嬰の子は狙われるかも……もしかしたら、倭の大王の婿である子解は、戦で討ち死にしたのではなく、暗殺されたのかもしれませんよ」

 火の中の短時間の幻影を見ただけでははっきりしたことはわからないが、もしかしたら、そのようなどろどろと渦巻く政治的な問題で、子解は死んだのかもしれない。

 広仲の言葉が周雅に重くのしかかってきた。

「姫嬰が子解の墓の中で死んだならば、姫嬰はその後、倭を出て半島に行ったことになりますね。あの十絃琴を持って行ったならば、今は琴は熱田にはないということになりましょうか?」

 振り出しだ──そう呟く広仲の声が、月夜に切なく響いた。
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