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銘秋声琴(上)
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政任の逐電から数ヶ月経ち、季節は冬となった。
周雅も広仲も師宅に行くこともなく、二人が会うこともあまりなくなった。
政任が残して行った琴や楽譜等の宝物は、誰が何を受け継ぐか、全て決まっている。政任の弟子で、所在が確かなのは三人だけなので、三人で分けて所持することになった。
兄弟子の広仲が多くを受け継ぎ、周雅も多少は貰った。まだ幼い清花の姫君には僅かしか渡されない。
周雅は姫君とは親戚だし、姫君の兄君は友人なので、周雅が姫君の邸にその宝物を届けることになっていた。
(結局、熱田には手がかりはなかったな……)
周雅は牛車の中でそう思った。
熱田に遣わした家人は、十絃琴のことを必死に調べたらしいが、何の手がかりも掴めないまま、富士の裾野まで行ってきたらしい。その辺りに、太古の昔、徐福が来たという伝説だけは聞いて、帰ってきた。
(清羽の父君ということになった徐公とは、徐福の婿だったのだろうか)
周雅はそう思いながらも、頭の中で、あの夢の曲が鳴るままにまかせた。未だ周雅のお気に入りの一曲だ。楽譜はあの時燃えてなくなったが、なお弾くことができる。
周雅自身が寝ながら作曲したのか、未だ不明の謎の曲。楽譜がないので、今となってはこの世で周雅しか弾ける者はいない。
「若君、着きましたよ」
不意にそう告げられる。
六条西洞院。清花の姫君の邸である。
今日、周雅が師の宝物を姫君に渡すために来訪することは、前もって伝えてあった。
周雅は歓迎されて、寝殿へと案内される。従者たちに宝物を持たせて、通された寝殿の内に待っていると、友の頼周がやって来た。
清花の姫君の同母兄だ。大変美しい少年で、周雅と並ぶと絵巻から抜け出てきたようだ。周雅の美貌に勝るとも劣らない。だが、黙っていれば物語の主人公のようなのに、口を開くと、吃驚させられる程の、底抜けに明るく面白い人だった。
「お待たせしました」
今日も容姿を裏切る陽気な大声が、寝殿じゅうに響いた。
「父と妹は奈良に出かけているんです。ま、父なんかが出てきても、迷惑なだけでしょ?良い日に来ましたね」
などと言って、けらけら笑うのだ。冬の乾いた柱がそれに反響して、ぴきっと音を弾かせる。
「御身という方は、本当に……」
周雅も苦笑した。
師の宝物を姫君に渡すとはいっても、高貴な姫君が直接他人と会うことはない。周雅が会うのは姫君の父君だろうとは思っていた。
だが、父君は不在で、代わりに兄君が相手するという。確かに、父君よりは兄君の方が、周雅としても気兼ねはない。
周雅は従者たちに、頼周の前に宝物を運ばせた。最後に周雅自身が目録を手渡す。
頼周は目録を見ながら、
「確かにお預かりしました」
と言って、にっこり笑った。
「しかと妹に渡しておきますからね」
「宜しくお願い致します」
「ということで、用事はもう終わったでしょう?では、遊びましょう!打毬しませんか?」
頼周はうきうきと、すでに腰を浮かせている。いや、立ち上がって周雅に飛び付き、腕を掴んだ。
「ね、ね、遊びましょう」
と、すでに腕を引っ張っている。
「御身が来ると聞いて、準備して待っていたのですから。早く早く。見せたいものがあるのです」
周雅と遊ぼうと、待ち構えていたわけである。周雅は思わず吹き出してしまう。
頼周に引っ張られて庭に出る。政任宅とは違い、その数倍はある広大な敷地に、草一本生えていない。
すぐに全身を毛皮で被った派手な装いの者が、馬を二頭引かせて、向こうから歩いてきた。
周雅は目が点になった。まず馬が大きく、見たことのない類のものだったのだ。それを引く者たちの装いも、驚くほど派手だ。
しかも、それらを従えて歩いて来る毛皮の人間は、何と女だった。毛皮の下の衣は全て絹だが、唐土の女の衣装である。
「……宋人で……?」
思わず呟くと、頼周がけたけた笑った。
「違いますよ、あれは女真の鼬の毛皮で、宋の衣を着てはいますが、五条の刀自です」
五条の刀自とは、有名な女大商人だ。何でも日本の各地の港に拠点があり、宋や高麗と私的に貿易しているという。
「最近は宋だけでなく、女真とも取引しているそうですよ。どうやら、陸奥の方の港まで手に入れたようです。あの立派な馬も、女真から手に入れたのだとか。それを私が買ったのです」
唐土北部の名馬だという。道理で和駒とはまるで違うと思った。頼周が見せたかったものとは、この二頭の馬だったのだろう。
「立派な馬ですね」
黒毛と栗毛で、どちらも艶やかだ。腰の筋肉も美しい。
五条の刀自は周雅と頼周の前まで進んでくると、恭しく頭を垂れた。
「妹の女房の一人が、この者の身内なのです」
頼周は周雅に刀自を紹介した。
「以前からおもとの噂は聞いていた……」
周雅は刀自の身形に圧倒されていた。よく肥えた体。丸い顔に真っ白な白粉を惜しげもなく塗りたくっている。全身毛皮を着ているので、巨大な猫のようだ。毛皮は相当温かそうである。
「いつも話している琴の琴の名手の我が友だ」
頼周が周雅を刀自に紹介すると、刀自は商魂逞しく、身分も厭わず図々しく話しかけてきた。
「これはこれはお噂は予々。何ぞお入り用のものがございましたら、何なりとお申しつけ下さりませ。唐土のものは勿論、亀茲から天竺、さらに西域の文物も手に入れて差し上げまする故。唐土には漢の頃の古い琴や、梅花紋のある琴など、時々稀少な琴が出ることがございます。もしも欲しいと思われましたら、お申しつけ下されば、宋の支店で確保致しますこと故」
梅花紋とは、古い琴の表面に生じる断紋のことで、琴人はこれを珍重する風潮がある。製造から千年程経過しないと浮かんでこないと言われる珍品だ。
そのため、梅花紋のある琴は、唐土でも滅多にない。もしもそのような名品が出てきたならば、皇帝に献上されるだろう。
「おもとは梅花紋の琴さえ扱うのか?」
思わず周雅は身を乗り出した。そんなものが出てくれば、宋人だろうと本朝の人だろうと、金にいとめはつけず、是が非でも手に入れようとするものだ。たとえそれを買うため、無一文になってしまったとしても。
「ええ、以前、揚州の店に回ってきたことがありました。すぐに売れてしまいましたけどね。こちらはおかげで大きな港を手に入れて、大儲けでしたわえ」
大きな港の権利と交換したということか。
「残念ながら、梅花紋の琴が出てきて、うちで扱ったのはそれ一度きりですけどねえ。でも、梅花紋に限らず、珍しい名器は時々出るんでございますよ。最近は伯牙の琴の残骸の一部を部品に用いたという物、泰山の仙人の愛用だったという物、蓬莱山の玉を埋め込んだという物なぞがございましてね……」
「蓬莱山だって!?」
急に周雅が顔色を変えた。友が珍しく大声を上げたので、頼周が驚愕する。
「それは、それは十絃琴かっ?」
「は、はて……?」
周雅の勢いに気圧されて、さすがの刀自もやや身を引いた。
「……普通に七絃と存じますが、わらわは現物を見てはいないので……揚州の支店の宋人の者が確保したと、連絡が……ただ、蓬莱山の玉を埋め込んだ物とのみ聞いているので、詳細はわかりかねますが、もしかしたら、もとは十絃のものを修復して七絃にしたのかもしれませんね……」
「どこから来た物なのか?どうやって刀自の店で手に入れた?」
「ある宋人から手に入れたものです。その宋人は遼の者から奪ったとか。とはいえ、遼の人間も東丹にあったものを略奪してきて我が物にしていたようですから、もともとが盗品なのです。遡って、東丹にあったということまでは判るのですが、それ以前は何者の所用の物であるかは不明で。ただ、蓬莱の玉を埋め込んだというからには、古には蓬莱にあったものでしょう」
「東丹……」
周雅の目が鋭くなった。
(東丹と言えば、渤海の後、遼の傀儡として建てられた国……場所は鴨緑江より北、遼東周辺だったか……韓の国があった半島からは離れているが、箕子の国、衛満の国があった漢の楽浪郡からは近い。もしや?)
姫嬰が子解の死後、愛用の十絃琴を持って帰国したならば──。その自害後、その琴に彼女の玉を徽として埋め込んだならば。
嬰の琴は半島か、あるいは遼東周辺にあったとしても不思議ではない。
おそらく嬰が使っていた時点で相当年期が入っていた。今はあれからさらに千年近く経過しているだろうから、さすがに壊れて使えないに違いない。
渤海人辺りが、あるいはもっと前の高句麗人が、嬰の琴を修復して、使える状態にしたのではないか。それが東丹に伝わり、遼人が奪って、さらに宋人が手に入れたのかもしれない。
「刀自、それは今もおもとの揚州の店にあるのだろうか?」
周雅は刀自に訊いた。
「もしあるなら、是非買いたい。いや、すでに他者の手に渡ってしまったならば、どうにかして、こちらに譲ってもらえるよう、手配してもらえないだろうか。金は惜しまぬ」
とたんに刀自の顔つきが変わった。まるで周雅を値踏みするような、商人の目だ。
「我が店にございますよ。でも、蓬莱山の玉ですからねえ。それこそ梅花紋の琴より高価ですよ。何しろ異世界の玉なのですから。梅花紋はあくまで現世の品ですし」
ちょいちょいと、慌てた様子で頼周が袖を引いた。
「およしなさいませよ」
吹っ掛けられるよと、頼周が目で注意する。この刀自の身内を召し使っているくせに、刀自のことは信用していないようだった。
「いいえ、私は是が非でも蓬莱の玉の十絃琴を手に入れなければならないのです!」
頼周が呆れるほど周雅は真剣に訴えた。そして、簡単に、以前体験した異変について説明した。
「──私がその琴の主とならなくてはならないのだと、将監の君も仰せでした」
「ううむ、あの将監の君がそう仰っしゃるなら、そうなのでしょうねえ」
頼周も頷いて、刀自を見る。
「どうだろうか?手に入れて差し上げられないか?」
「そういうことでしたら。すぐに揚州の店に連絡致しましょう。ちょうど十日後に難波から船を出すところでしたので」
刀自は快諾した。
周雅も広仲も師宅に行くこともなく、二人が会うこともあまりなくなった。
政任が残して行った琴や楽譜等の宝物は、誰が何を受け継ぐか、全て決まっている。政任の弟子で、所在が確かなのは三人だけなので、三人で分けて所持することになった。
兄弟子の広仲が多くを受け継ぎ、周雅も多少は貰った。まだ幼い清花の姫君には僅かしか渡されない。
周雅は姫君とは親戚だし、姫君の兄君は友人なので、周雅が姫君の邸にその宝物を届けることになっていた。
(結局、熱田には手がかりはなかったな……)
周雅は牛車の中でそう思った。
熱田に遣わした家人は、十絃琴のことを必死に調べたらしいが、何の手がかりも掴めないまま、富士の裾野まで行ってきたらしい。その辺りに、太古の昔、徐福が来たという伝説だけは聞いて、帰ってきた。
(清羽の父君ということになった徐公とは、徐福の婿だったのだろうか)
周雅はそう思いながらも、頭の中で、あの夢の曲が鳴るままにまかせた。未だ周雅のお気に入りの一曲だ。楽譜はあの時燃えてなくなったが、なお弾くことができる。
周雅自身が寝ながら作曲したのか、未だ不明の謎の曲。楽譜がないので、今となってはこの世で周雅しか弾ける者はいない。
「若君、着きましたよ」
不意にそう告げられる。
六条西洞院。清花の姫君の邸である。
今日、周雅が師の宝物を姫君に渡すために来訪することは、前もって伝えてあった。
周雅は歓迎されて、寝殿へと案内される。従者たちに宝物を持たせて、通された寝殿の内に待っていると、友の頼周がやって来た。
清花の姫君の同母兄だ。大変美しい少年で、周雅と並ぶと絵巻から抜け出てきたようだ。周雅の美貌に勝るとも劣らない。だが、黙っていれば物語の主人公のようなのに、口を開くと、吃驚させられる程の、底抜けに明るく面白い人だった。
「お待たせしました」
今日も容姿を裏切る陽気な大声が、寝殿じゅうに響いた。
「父と妹は奈良に出かけているんです。ま、父なんかが出てきても、迷惑なだけでしょ?良い日に来ましたね」
などと言って、けらけら笑うのだ。冬の乾いた柱がそれに反響して、ぴきっと音を弾かせる。
「御身という方は、本当に……」
周雅も苦笑した。
師の宝物を姫君に渡すとはいっても、高貴な姫君が直接他人と会うことはない。周雅が会うのは姫君の父君だろうとは思っていた。
だが、父君は不在で、代わりに兄君が相手するという。確かに、父君よりは兄君の方が、周雅としても気兼ねはない。
周雅は従者たちに、頼周の前に宝物を運ばせた。最後に周雅自身が目録を手渡す。
頼周は目録を見ながら、
「確かにお預かりしました」
と言って、にっこり笑った。
「しかと妹に渡しておきますからね」
「宜しくお願い致します」
「ということで、用事はもう終わったでしょう?では、遊びましょう!打毬しませんか?」
頼周はうきうきと、すでに腰を浮かせている。いや、立ち上がって周雅に飛び付き、腕を掴んだ。
「ね、ね、遊びましょう」
と、すでに腕を引っ張っている。
「御身が来ると聞いて、準備して待っていたのですから。早く早く。見せたいものがあるのです」
周雅と遊ぼうと、待ち構えていたわけである。周雅は思わず吹き出してしまう。
頼周に引っ張られて庭に出る。政任宅とは違い、その数倍はある広大な敷地に、草一本生えていない。
すぐに全身を毛皮で被った派手な装いの者が、馬を二頭引かせて、向こうから歩いてきた。
周雅は目が点になった。まず馬が大きく、見たことのない類のものだったのだ。それを引く者たちの装いも、驚くほど派手だ。
しかも、それらを従えて歩いて来る毛皮の人間は、何と女だった。毛皮の下の衣は全て絹だが、唐土の女の衣装である。
「……宋人で……?」
思わず呟くと、頼周がけたけた笑った。
「違いますよ、あれは女真の鼬の毛皮で、宋の衣を着てはいますが、五条の刀自です」
五条の刀自とは、有名な女大商人だ。何でも日本の各地の港に拠点があり、宋や高麗と私的に貿易しているという。
「最近は宋だけでなく、女真とも取引しているそうですよ。どうやら、陸奥の方の港まで手に入れたようです。あの立派な馬も、女真から手に入れたのだとか。それを私が買ったのです」
唐土北部の名馬だという。道理で和駒とはまるで違うと思った。頼周が見せたかったものとは、この二頭の馬だったのだろう。
「立派な馬ですね」
黒毛と栗毛で、どちらも艶やかだ。腰の筋肉も美しい。
五条の刀自は周雅と頼周の前まで進んでくると、恭しく頭を垂れた。
「妹の女房の一人が、この者の身内なのです」
頼周は周雅に刀自を紹介した。
「以前からおもとの噂は聞いていた……」
周雅は刀自の身形に圧倒されていた。よく肥えた体。丸い顔に真っ白な白粉を惜しげもなく塗りたくっている。全身毛皮を着ているので、巨大な猫のようだ。毛皮は相当温かそうである。
「いつも話している琴の琴の名手の我が友だ」
頼周が周雅を刀自に紹介すると、刀自は商魂逞しく、身分も厭わず図々しく話しかけてきた。
「これはこれはお噂は予々。何ぞお入り用のものがございましたら、何なりとお申しつけ下さりませ。唐土のものは勿論、亀茲から天竺、さらに西域の文物も手に入れて差し上げまする故。唐土には漢の頃の古い琴や、梅花紋のある琴など、時々稀少な琴が出ることがございます。もしも欲しいと思われましたら、お申しつけ下されば、宋の支店で確保致しますこと故」
梅花紋とは、古い琴の表面に生じる断紋のことで、琴人はこれを珍重する風潮がある。製造から千年程経過しないと浮かんでこないと言われる珍品だ。
そのため、梅花紋のある琴は、唐土でも滅多にない。もしもそのような名品が出てきたならば、皇帝に献上されるだろう。
「おもとは梅花紋の琴さえ扱うのか?」
思わず周雅は身を乗り出した。そんなものが出てくれば、宋人だろうと本朝の人だろうと、金にいとめはつけず、是が非でも手に入れようとするものだ。たとえそれを買うため、無一文になってしまったとしても。
「ええ、以前、揚州の店に回ってきたことがありました。すぐに売れてしまいましたけどね。こちらはおかげで大きな港を手に入れて、大儲けでしたわえ」
大きな港の権利と交換したということか。
「残念ながら、梅花紋の琴が出てきて、うちで扱ったのはそれ一度きりですけどねえ。でも、梅花紋に限らず、珍しい名器は時々出るんでございますよ。最近は伯牙の琴の残骸の一部を部品に用いたという物、泰山の仙人の愛用だったという物、蓬莱山の玉を埋め込んだという物なぞがございましてね……」
「蓬莱山だって!?」
急に周雅が顔色を変えた。友が珍しく大声を上げたので、頼周が驚愕する。
「それは、それは十絃琴かっ?」
「は、はて……?」
周雅の勢いに気圧されて、さすがの刀自もやや身を引いた。
「……普通に七絃と存じますが、わらわは現物を見てはいないので……揚州の支店の宋人の者が確保したと、連絡が……ただ、蓬莱山の玉を埋め込んだ物とのみ聞いているので、詳細はわかりかねますが、もしかしたら、もとは十絃のものを修復して七絃にしたのかもしれませんね……」
「どこから来た物なのか?どうやって刀自の店で手に入れた?」
「ある宋人から手に入れたものです。その宋人は遼の者から奪ったとか。とはいえ、遼の人間も東丹にあったものを略奪してきて我が物にしていたようですから、もともとが盗品なのです。遡って、東丹にあったということまでは判るのですが、それ以前は何者の所用の物であるかは不明で。ただ、蓬莱の玉を埋め込んだというからには、古には蓬莱にあったものでしょう」
「東丹……」
周雅の目が鋭くなった。
(東丹と言えば、渤海の後、遼の傀儡として建てられた国……場所は鴨緑江より北、遼東周辺だったか……韓の国があった半島からは離れているが、箕子の国、衛満の国があった漢の楽浪郡からは近い。もしや?)
姫嬰が子解の死後、愛用の十絃琴を持って帰国したならば──。その自害後、その琴に彼女の玉を徽として埋め込んだならば。
嬰の琴は半島か、あるいは遼東周辺にあったとしても不思議ではない。
おそらく嬰が使っていた時点で相当年期が入っていた。今はあれからさらに千年近く経過しているだろうから、さすがに壊れて使えないに違いない。
渤海人辺りが、あるいはもっと前の高句麗人が、嬰の琴を修復して、使える状態にしたのではないか。それが東丹に伝わり、遼人が奪って、さらに宋人が手に入れたのかもしれない。
「刀自、それは今もおもとの揚州の店にあるのだろうか?」
周雅は刀自に訊いた。
「もしあるなら、是非買いたい。いや、すでに他者の手に渡ってしまったならば、どうにかして、こちらに譲ってもらえるよう、手配してもらえないだろうか。金は惜しまぬ」
とたんに刀自の顔つきが変わった。まるで周雅を値踏みするような、商人の目だ。
「我が店にございますよ。でも、蓬莱山の玉ですからねえ。それこそ梅花紋の琴より高価ですよ。何しろ異世界の玉なのですから。梅花紋はあくまで現世の品ですし」
ちょいちょいと、慌てた様子で頼周が袖を引いた。
「およしなさいませよ」
吹っ掛けられるよと、頼周が目で注意する。この刀自の身内を召し使っているくせに、刀自のことは信用していないようだった。
「いいえ、私は是が非でも蓬莱の玉の十絃琴を手に入れなければならないのです!」
頼周が呆れるほど周雅は真剣に訴えた。そして、簡単に、以前体験した異変について説明した。
「──私がその琴の主とならなくてはならないのだと、将監の君も仰せでした」
「ううむ、あの将監の君がそう仰っしゃるなら、そうなのでしょうねえ」
頼周も頷いて、刀自を見る。
「どうだろうか?手に入れて差し上げられないか?」
「そういうことでしたら。すぐに揚州の店に連絡致しましょう。ちょうど十日後に難波から船を出すところでしたので」
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