小倉鍋──織田信長の妻になった女──

国香

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二・斎藤家の姫君(下)

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 相谷城には城主の小倉左近将監良親はもちろんだが、甚五郎もお鍋と一緒に来ていて、信長を出迎えた。

 馬を下り、忠三郎を従えて近づく信長を見上げる甚五郎の瞳には、すでに武将の鋭い眼光が宿っている。

 鯰江城との戦を小倉城から指揮した経験が、甚五郎を一気に成長させたようだ。

(やはり、お鍋の子は優秀なようだ。今度生まれる子が男子ならばなあ……)

 信長は既に生まれ育っている息子達を頭に思い描いて、嘆息した。

 皆それぞれ良いところを持ってはいる。将来性が期待できるし、きっと名将になれる子もいるであろう。だが。

(こやつに勝る者はおらん。全員こやつには負けている)

 信長は自身の背後に従っている娘婿と我が子たちとを比較して、そう思った。

 今度こそ、今度生まれる我が子こそ、忠三郎以上の才子であって欲しい。そう願う。そして、甚五郎を見て、期待してしまう。

「甚五郎、此度はよくやったな。八風越の封鎖も見事だったぞ。よくぞ六角の内室を捕えた。ようした」

 信長は甚五郎を褒めると、良親にも鷹揚に頷いてみせた。

 無言のうちにも、良親の労をもねぎらっている。良親はようやく肩の荷を下ろせた心地がした。

 やがて、信長一行は良親の案内で城内に入って行く。通された部屋は美しく整い、質素ながらも好感が持てる。

 上座に信長、その左に忠三郎が座る。信長と向き合うように、下座に良親と甚五郎が並んで座った。

 すぐに茶や菓子が運ばれてくる。乗馬で暑かった。信長はすぐに茶で喉を潤した。

 そうしている間に、お鍋が義治の奥方の井口殿を連れて現れるはずだ。

 かと思われたが、どうしたわけだろうか、なかなか現れない。

 しばらく此度の鯰江城の戦の様子などを話していた面々だったが、さすがに良親も焦り出した。信長は短気なのだ。いくら信長の室のお鍋のことだとはいえ、そう長々と待たせるわけにはいかない。

 忠三郎がよく喋るので、どうにか場はもっているが、いつまでも喋っていられない。

 信長をちらと盗み見れば、まだじれたようには見えないが、さすがに少々飽き気味な感じがしなくもない。

 奥に問い合わせさせようかと思った時、侍女が一人、廊下から良親に目配せしていた。

「失礼を――」

 一言断ってから、良親が席を外す。信長はそれを見ながら、菓子を口にした。

「そういえば、忠三郎。お前の所の日野菜はうまかった。御台もまた食いたいと言っていたぞ」

「それは是非、お持ち帰り下さい。すぐにこちらへ参らせましょう」

「うむ。冬姫も色が気に入っていたようだが」

「よく召し上がって下さっています」

「甚五郎の母も好物だったな」

 そんなことを言い合っている間に良親は戻ってきて、少々まずそうに告げた。

「三崎御前が参っております」

 何故お鍋ではなく、三崎殿が来たのか。良親にもわからない。

「通せ」

 だが、信長は許可した。

 すぐに単身で現れた三崎殿は、ひどく慌てていた。

「申し訳ございませぬ!」

 開口一番に詫び、ばっと三崎殿は床に三つ指をつく。

「なんとした?お鍋は?なぜ冲羅を連れて来ぬ?」

「それが、ただ今、御方様には俄に産気付かれまして、奥にてお悶え遊ばしておられまする」

「何ですと?」

 声を上げたのは良親だった。

「左近将監殿、奥を産所にお借りしたい。宜しいか?」

 三崎殿はここで産ませるしかないので、有無をも言わせぬ勢いであるが、一応は確認をとる。

「そ、それは勿論、結構でござるが……」

 急な展開に良親は驚くばかり。いや、とっさに脳内で、厄介なことになったら困るとさえ考え、同時に義治の妻の面影が浮遊する。

 良親とはまた別に、甚五郎も不安げに落ち着かなくなった。

 信長は眉一つ動かさなかったが、慌てている三崎殿に訊いた。

「何か問題が起きているのか?随分と早いではないか。早産ではないのか、危険はないのか?」

「あ、はは、はい……ご予定よりもお早いので、心配でございますが、御方様はいつも安産でしたので……」

 自分を安心させるように三崎殿はそう言ったが、やはり途中から不安が勝って、語尾が消える。

「それで、六角家のご内室は?」

 冷静に肝心なことを訊いたのは忠三郎だ。ここで一番冷静なのは、彼だろう。

「あ、はい。御方様についておられまする。先程は、御方様の御腰をさすっておられました。あ!」

 急に我に返って、三崎殿はまた慌てて頭を下げた。

「すぐに、こちらへ連れて参りまする!」

「よい!」

 ぴしゃりと信長が言った。

「お鍋の手助けをしておるのならば、それで良い」

 お鍋の介抱をしているということは、すでにお鍋がうまく彼女を丸め込み、親しくしているということだろう。

「出産には男は何もできないものよ。冲羅に任せるわ。左近将監、悪いが今日はここに泊まるぞ。お鍋の無事を見届けてから帰る」

「ははっ!」

 良親は両手をつくと、色々支度があるので下がって行く。甚五郎も手伝うと言ってついて行った。三崎殿もすぐに奥にとって返す。

「おい!」

 信長はすぐに廊下に声をかける。伴ってきた小姓達が控えていた。

 彼らにしばらくの滞在を告げる。小姓たちは指示を受けると、すぐさま己の役目を果たすため、あちこちに散っていく。

 それを一瞥して、数年前は彼らと同じことをしていた傍らの婿へ、信長は言った。

「出産というのはいつも突飛なもので、火急、危機にも容赦はしてくれない。冬姫の時にも、お前、そうやって冷静なのか?」

「え、冬姫様……?」

「なんだ、お前、いつか冬姫が母になることを考えぬのか?」

 にやり、信長はさらに肩をくっと上げた。

 夫婦といってもまだ形ばかり。冬姫に子を産ませるなどと、そんな想像――姫には指一本触れたことがない忠三郎は、急に赤面した。

 そんな彼をにやにや見ているのは、やはり信長でも、心がいつもと違うからなのだろう。




 相谷城の奥のお鍋は、突然の陣痛に我ながら驚いていた。

 義治の奥方――冲羅と話をしていた最中でのことだった。

 最初はそうでもなかったが、すぐに痛みが増し、信長が来たという報告が来た時には、陣痛の間隔も短くなっていた。

 冲羅はやがては自分もこうなるのだと思うからだろうか、誰に頼まれたわけでもないのに、お鍋を介抱した。

 お鍋は出産など慣れたものだ。四人目である。

 それでも痛いものは痛い。汗だくになって堪えているのを、恐いとも思わず、冲羅は必死に介抱する。これは女性の本能だろうか。

 冲羅に腰をさすってもらい、お鍋も幾分楽になった。気も――。

「ありがとうございます、冲羅様」

 お鍋の額の汗を拭いながら、冲羅はその顔を美しいと感じていた。神々しい。

 そして、思うのは、近い将来の自分ではなく、何故か、自分を出産した時の生母だった。岐阜にいるという母。その母が自分を産んだ時のこと。

 お鍋の美しい姿が母と重なる。

 お鍋は必死なので、そんな彼女の心の中など読み取れなかったが。

 ばたばたと、相谷城の侍女たちが駆け回っている。三崎殿が戻ってきて、産婆もやって来た。

 こういう時は、極めて血の近い身内の女性がそばにいてくれると、安心する。お鍋は実姉の三崎殿が来たとたんに、早めのお産の不安が霧散するのを実感した。

 急拵えの産所ができ、移動する。といっても隣の間だが。

「急にこんなことになって、迷惑をかけますね。すみません」

 痛みがありながらも、お鍋は相谷城の侍女たちに声をかけた。

 出かけ先での俄かな出産。また汗を拭ってくれた冲羅の温もりに、ふと思い出す。

「御台様――冲羅様の叔母上様に初めてお目にかかった時のことを思い出しました」

 冲羅にそんな話をする。気が紛れる。

「あれは永禄二年の春。上洛途中のお屋形様と御台様は、柏原の成菩提院にそろってご宿泊で――。その時、急に御台様が産気付かれたのでしたわ。何でしょうね、此度の私もこんなことになって、お屋形様の和子様たちは、変な時に……ああ、いえ、きっと好奇心が旺盛なのね、いつもは見ることのできない場所の景色をご覧になりたいと、それで出かけ先で生まれようとなさるみたいですわね」

「さすがお屋形様の和子様でございますね」

 三崎殿が笑えば、冲羅は頷いた。

「なれば、殿の和子は住み慣れた所しか知りとうないと思うているであろう……」

 そのまま自身のまだ目立たぬ腹を凝視した。

「石部城?」

 お鍋はそう問うたが、強い痛みに襲われ、話が途切れる。冲羅も次の言葉なぞ頭から飛んで、お鍋を介抱した。

 いよいよ分娩となる。

 さすが四人目ということか。随分するすると順調に進んで行くようだ。

 どれほど経ったか。

 辺りはもう闇、ぬばたまの中に、突如として産声が上がった。

 奇しくも信長も、表の座敷で、永禄二年の濃姫の出産を思い出していた。

(あの時関わった小娘が、今俺の子を産む……)

 あの時も出かけ先でのことだった。この同じ近江で。そして、この相谷に来て世話になって――。

 しゅるしゅると慌ただしい衣擦れの音が耳に入ってきた。衣擦れはどんどん近づき、あっという間に、そこの前廊に女の姿が飛び込んでくる。

 三崎殿である。

「申し上げます!」

「生まれたか?」

「はいっ!!お健やかな若君様にございます!!」

「男かっ!でかした!」

 信長は叫びざま、立ち上がった。いつも以上に声高で、狂喜乱舞の体である。

 今度こそ、婿より優秀な息子かもしれない。

 信長は奥へと向かうべく、一歩踏み出した。

 産所では、力尽きたように、お鍋が白い顔をしてぐったりしていた。だが、その顔は輝いていて、美しい汗だった。

 妊婦ながら、終始出産に立ち会った冲羅は、自分のことのように疲れていた。だが、気分が悪くなることもなく、魅入られたように、お鍋の清らな姿を見つめている。

 目が離せなかった。

 周囲ではばたばたと女たちが忙しなく動き回っている。

 産婆が洗い清められた赤子を抱いてきた。

 赤子と呼ぶに相応しく、真っ赤な顔に、目は閉じている。

 産婆によって、お鍋の胸元に持ってこられた赤子。

 お鍋は涙が溢れるままにしていた。この涙もこの世で最も美しい涙だ。

「まあ、姫と違って……」

 感動しながらも、ふふっと笑う。

 我が子の頬を指でそっと突いた。

「鶴姫はとても綺麗なややだったけど、やっぱり男の子なのね……」

 言外に綺麗でない赤子だと、笑っている。

 そのささやかな悪口も、幸せに浸ってのことだというのが、冲羅にも伝わってくる。

 冲羅は他人のことなのに、感動した。

 美しい。ひたすらこの母子の姿にそう思っていた。

 三崎殿が戻ってきた。障子を隔てた廊下から、信長の来訪を告げる。

 信長――一気に冲羅の頭が冷やされた。現実を思い知る。

 何事もなければ、数ヶ月後、この目の前の美しい光景は、自分の上に起こるものであるはずだ。だが、冲羅にはそれが保証されていない。

 冲羅の顔が急変するのを、お鍋も鋭く見て取った。

「冲羅様、ご懐妊のことを隠し通すことはできませんよ。今はまだ見た目にもわかりませんが、すぐにお腹は大きくなります」

「あ、わ私はっ!」

 産んでも祝福されず、父親に赤子を抱いてもらうこともない。いや、産んだら、赤子の顔さえ見ることかなわず、産み落としたそばから、その子は殺される。

 いや、産む前に堕胎させられるかもしれない。いやいや、お腹に子を宿したまま、子諸共に殺されるのかもしれない。きっとそうだ。

 こんな美しい感動は。自分には訪れない。冲羅は――。

 思うより先に、体が動いていた。ざっとお鍋の隣に寄り、胸元の赤子を覗き込んだ。

 目が開いていないのがよかった。赤子の目が見えていたなら、般若に見下ろされて、この子は肝をつぶしただろう。

――お鍋の子。信長の子。この子をどうにかしてやろう、そう思えば――

 捕らえられた時の良親の言葉が頭に響いた。

 般若の手が赤子に伸びる。同時にお鍋がよりいっそう赤子を抱え込むようにした。

 気付いているのか無意識か、たまたまか、はたまた本能か。

 冲羅ははっとして、手を引っ込めた。

「隣に寝かせて」

 お鍋が赤子を産婆に渡して姿態を変え、四肢を伸ばして横になった。その横に産婆が赤子を寝かせる。

 すぐに信長が来るであろう。産婆は産褥から離れて、部屋の隅に控えた。次の間に控える侍女たち。廊下で待つ三崎殿。

 枕頭に座るのは冲羅だけだ。

 お鍋は目を閉じた。まだ信長の足音は響いてこない。

「冲羅様」

 声は掠れ気味だった。

 はっと冲羅がお鍋を見ると、お鍋の顔は凛然としていた。

「私は昔、罪を犯しました……」

 目を閉じたまま、お鍋は言った。不思議と言葉が出てくる。

 瞼の裏に浮かぶのは、過ぎし日の光景。

 声にならない掠れ声で、するすると言葉を紡いだ。

「昔、私には好きな人がいたのです……自分の子を産んでくれなんて言われて、子供だから、本気にした。ただの冗談、からかわれただけだったのに。私は本気で好きに――。でも、その人にはかけがえのない人がいました。私を好きだと言ったのに、私に俺の子を産めと言ったのに、その女はその人の子を産んで……」

 何故か自然に出てくるのだ。墓まで持っていくつもりでいたことなのに。

「そして、私はその女の世話をする羽目になって……滑稽でしょう?」

 目を開けて、冲羅と目が合うと、くすっと笑った。

「今思えば、私、あの方が本当に好きだったわけではないのだと思います。きっとこけにされて悔しかっただけなのね……」

 子を産んで、汚いものまで全て、出て行ってしまったのだろう。今しか言えないことなのかもしれない。

「私はその女とその女の娘を呪ったのです……そして、その娘は産まれてすぐに亡くなってしまいました……」

「え?」

 初めて冲羅が声を上げた。

「私が呪い殺したようなものなのです。私の怨念が、あの子を殺した……」

 冲羅はおろおろとお鍋と赤子に視線を泳がせる。

「今の冲羅様と同じ顔をしていましたもの、あの頃の、鏡の中の私……」

「え……」

「因果なもの……そうですね、この子は冲羅様に呪われて当然なのかもしれません。私の罪を、天が……」

 濃姫の姪に呪われるのは、道理なのかもしれない。

 お鍋が濃姫の子を呪ったから、今度はお鍋の子が呪われる番なのだ。濃姫の姪によって。

「それでも!」

 お鍋は急に懇願するような目になった。

「私は身勝手で、貪欲で、どうしようもない女です。冲羅様に呪われるのが道理であっても……お願いです、この子を奪わないで!」

 ばっと起き上がった。

「なりませんっ!御方様!」

 産婆が叫んだが、それが遠くに聞こえた。

 お鍋がふらつくその一瞬を、冲羅は逃さなかった。

 冲羅が赤子を抱え上げる。お鍋が倒れ込む。産褥に崩れ落ちる瞬間、追い付いた産婆の手がお鍋の背と産褥との間に割り込む。

「御方様!」

 辛うじて産婆に抱き抱えられたお鍋は、その叫びを遠くに聞いていた。どうやら三崎殿の声も混じっているらしい。

 目を開けているのが億劫だった。

 産婆によってそっと褥に横たえられたらしい。

 三崎殿が障子を開け放ったのだろう、夜風がひゅうっと入ってきて、お鍋の額髪を揺らした。いや、三崎殿がそこまで来て、空気を動かしたせいかもしれない。

「何の真似です!?」

 頭の中にザーザー音が鳴り響く中、やけに遠く感じるが、確かに至近距離から三崎殿の声がした。

「これ以上、寄るなっ!」

 冲羅の声だ。

 いつの間にお鍋から遠退いたのだろう、随分部屋の奥の方から声がする。

 突発的なものだったようで、あるいは横になったのがよかったのか、お鍋の頭の中の雑音は薄くなってきた。

「冲羅っ!」

 夜風が信長の声を運んできた。

(ああ、お屋形様……お屋形様がおいでになった)

 起き上がれる気がしない。多分、今度こそ意識を手放す。だが、そっと目を開けてみた。開けられた。

 天井は回らず、そっと視線を動かせば、ザアザアといつもより暗く見える景色の中、廊下に信長が立っている。

「お屋形……様……」

 声にはならなかった。

 信長が中に入ってきた。

「冲羅!」

 聴覚が戻ってきた。信長の声がはっきり聞こえる。

 信長は我が子を産んだばかりのお鍋に目もくれずに、冲羅と対峙している。異様なことではある。

 お鍋はそこまで頭は回らなかったが、首を反転させて、信長の睨めつけているものを見た。

 冲羅だ。部屋の奥の壁に寄り掛かるようにして立ち、赤子を抱えていた。

「冲羅!」

「近寄らないで!信長!この子がどうなってもよいのか!?」

「どういうつもりだ!?」

 信長は青ざめた。

「その子を寄越せ!」

「この子は殺す!そなたの子は今死ぬ!」

 はっと、お鍋の意識がはっきりした。

「や、やめて……」

 声にならないお鍋。起き上がろうと身動ぎしても、産婆に抑えられている。

「鍋殿、さきほど私に呪われても仕方ないと申したな。母親がその覚悟なのだ、殺されても文句はあるまい」

「やめろ!」

 信長が甲高く叫んだ。動転しているのか。

 良親の言葉が脳裡に響く冲羅。

(これだ!……これしか私と腹の子が生き残れる道はないのよ……)

 冲羅は赤子を強く抱く。

「懐妊……しているのでしょう?母なら、どうしてこんな残酷なことができます?御方様の御感情、あなたなら痛いほどわかりましょうに!!」

 三崎殿の言葉。お鍋は不意にすとんと落ちた。

(そういうこと、冲羅様……)

 掠れ声を絞り出して、お鍋は言った。

「お屋形様……」

 動転する信長には、その声は届かない。

 お鍋は産婆の袖を必死に引いた。

「あ、お屋形様、御方様が!」

 産婆の注意でようやく信長がお鍋を見た。

「お屋形様……冲羅様を助けて下さいませ。冲羅様はご懐妊中です。お腹のお子は六角の子なれど、冲羅様のお子なれば、どうぞ御台様に免じて、お命、お許し下さいませ。お腹の子も冲羅様も助けるとお約束下さいませ。さもなくば、ややが……お屋形様の若君様が殺されてしまいまする!お屋形様の若君様をお助け下さいませ。何卒!」

「そうよ、信長!私の子を助けると約束せよ。殺すというなら、この赤子の首を、今このまま捻り潰す!」

 冲羅は赤子の首に手をかけた。

 赤子が泣き叫ぶ。

「やめろ!」

 信長が一歩踏み出す。

「寄るな!寄れば殺す!」

 冲羅の手に力が宿るが、よく見ると震えている。しかし、今の信長にそんなものは見えない。

 信長の目の前には、昔失った濃姫の娘の姿が浮かんでいる。実際には会ったことのなかった、冬姫の紫のおくるみに包まれたその娘が――。

 信長はその面影を振り払うように、ぎゅっと目を強く瞑りつつ喚く。

「――以前にも生まれたばかりの我が子を失うた!もう我が子が死ぬのは嫌だ!」

(ああ、その子は私が殺した……)

 お鍋の思考に覆い被さる冲羅の絶叫。

「我が子を失うのが堪えられないならば、私の気持ちもわかるであろう!」

「俺の子を返せ!」

「私の子を殺すな!」

 冲羅と信長の絶叫が飛び交う。

「約束して!私の子を生かすと。子さえ助けてくれるならば、子が生まれたら、私の首は差し出すから……」

 冲羅の懇願に、信長はどう反応したのか。再び頭がザアザアいって、景色も暗くなったお鍋。信長の反応も見えず。

「ああ……私が……殺……」

 お鍋は意識を手放した。
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