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Ⅳ:十二月第四週:君は僕のもの
三年前 火葬場にて②
しおりを挟む「君のお父さんを、迎えに来たんだ」
一瞬、猫科の獣染みて見えた男の目が縦に光る。
だが次の瞬間、火葬場のロビーに深緋色のスーツで優雅に立つのは、場違いに華やかな男の姿だった。子守り疲れで幻覚でも見たのかと、澄雨は目を擦る。
「お父さんは、もう死んじゃってるのに?」
――連れて行くって、どこへ?
小首を傾げる澄雨に、男は明らかに火葬場には不釣合いな笑顔を浮かべ、
「地獄だよ。だって自殺は罪だからね」
「……じ……ごく?」
「罪人は閻魔さんの前で生前の罪状が暴かれて、その罪に相応しい地獄へと送られるんだ。知ってるだろう?」
当たり前のように語る男を、澄雨はまじまじと見上げた。中学生にもなって、そんなおとぎ話を信じるのは馬鹿げている。けれど、尋ねずにはいられなかった。
「あ……あ、アナタは死神なの?」
「神ではないよ。僕は火車、化け猫の妖怪さ。罪人の魂を、地獄の炎で燃え盛る車に乗せて地獄へと連れて行くのが僕の仕事なんだ」
鋭利な牙を剥き出し笑う。本当に、縦に光る金の虹彩。見間違えではなかった。
「この世では極悪人を生きたまま地獄へ連れ去るとか、死体を攫って貪り食うなんて言われるけどね。生きたままじゃさすがに運ばないよ」
服務規程違反になっちゃうよと冗談めかして言う男に、澄雨は納得した。
男の職業ではなく、父親が地獄へ連れ去られるということに。
線路に飛び込み電車の運行を止めたせいで、大勢の人達の交通の足が乱れて迷惑を掛けた。――でも、それだけじゃない。
この一年間、父親は自分達を苦しめ続けてきた。うつ病で仕事を辞めた父親は、食事と風呂と通院以外は部屋に引き篭もったままだった。家事を手伝うこともなく、生まれたばかりの幹也の顔すらまともに見てはいない。
父親が死んで残したのは、わずかな生命保険と莫大な損害賠償だけだった。父親の地獄行きはもっともだと澄雨も思う。生前から家族を苦しめ、死んでからも苦しめ続けるのだから、自分だけ楽になられては困るのだ。
澄雨はずっと誰にも言えない思いを胸に抱え、心の中で血の涙を流していた。
そんな澄雨を黙って眺めていた男は、
「なるほど。君の心の内は、怒りと憎しみがドロドロと渦巻いているんだね……」
澄雨は、驚いて男を見上げる。見ず知らずの男に、気安く心を開くほどガードが緩いわけじゃない。けれど、悲しみや寂しさとは無縁な汚らしい気持ちを言い当てられた澄雨は、噴き出す感情を抑えられない。涙があとからあとから溢れ出る。
「泣かせる気はなかったんだ……おいで」
気が付くと、背中に弟をぶら下げたまま見知らぬ男の胸で泣きじゃくっていた。
男の胸はひどく温かい。猫は体温が高いそうなので、化け猫になっても高いままなのかもしれない。そしてほのかに漂う温泉場のような匂い。
いままでずっと泣いてなかったのと、澄雨はしゃくり上げた。お父さんの親戚に、冷たい子だって言われた。でも、本当に私は冷たい子なの。私だってお父さんが死んで悲しくないわけじゃないけど、これからどうなるんだろうとか、もっとお父さんのためにできることがあったんじゃないかとか、いろいろ考えちゃって――。
控え室で一人待っている母親は、いましも父親の親戚達から何故むざむざ死なせたのかと無言の責め苦を受け続けている。澄雨は居たたまれなさのあまり、幹也にかこつけて逃げ出したのだ。
父親を救えず、母親も見捨てて。
これが自分の罪だった。
自分はなんて酷い人間なんだろう。
「なんで、私に、声を掛けた……の?」
「君があんまり可愛いから」
「うそ。私、冷たい子なんだもん」
化け猫が本性の男は、獣が空気の匂いを嗅ぐように鼻をうごめかせ、
「君の心を満たす怒りと憎しみ。人間の生臭い負の感情は、地獄の住人である僕にとって馥郁たる香りさ」
すると突然、男は良いことでも思い付いたというように、ぎゅっと澄雨を抱き締め、
「ねぇ、君。僕と一緒に来ないかい?」
「地獄へ連れて行くの? 私が冷たくて悪い子だから?」
「違う違う。僕と一緒に地獄で暮らさないかい? どうせこの世に未練はないだろう?」
澄雨は整った男の顔を、閉じ込められた腕の中からまじまじと見上げた。
「硫黄臭いし亡者の呻き声がひっきりなしだけど、住み慣れれば良いところだよ」
それに、お父さんの苦しむ声が聞きたくない? うっそりと微笑む男の囁きが、まるで遅効性の毒のようにゆっくりと澄雨の心を蝕んでいく。
鉄道会社から要求されているという多額の損害賠償のこともある。確かに、自分なんかいない方が、食い扶持がひとり減って生活し易いかもしれない。母親だって、子供は赤ん坊だけの方が再婚に都合が良いのではないか。
行き場なんて、どこにもない。
だったら、どこに行ってもいいはずだ。
澄雨はこくりと頷いた。
「よし、君の地獄行きは決まった、と」
楽しそうに手を打ち鳴らした男だったが、
「そういえば、君いくつ?」
「中学一年生、十三歳だけど」
さすがに子供は、と男は困ったように呟いて難しい顔をしていたが、
「大人になったら迎えに来るよ。どうかそのままで、どす黒い心の怒れる君のままでいてくれると嬉しいな」
これは約束だからねと言い、澄雨の前髪を払って形の良い額にちゅっと唇を落とす。
「じゃあ、それまでは元気でね」
後ろ手に手を振り、姿を消した。まるで最初からいなかったように、唐突に。すぐに、ロビーのざわめきが甦った。
背中でひゃんひゃん泣き出す弟の声を聞きながら、澄雨は自分のおでこに触れる。
父親の葬儀で死神からキス、なんて。
あまりにも親不孝過ぎると、澄雨は泣きながら笑った。
傍目には悲しくて泣いているように見えるかもしれない。これで父親の親族も満足だろうかと思いながら、澄雨は控え室へ引き返す。
ロビーの窓から、雨雲の中を飛び去る火の玉のような何かを見たような気がした。
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