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Ⅲ:十二月第三週:シノニオイ
お手ふりみーたんと赤猫*
しおりを挟む辺りはすでに暗闇に包まれていた。駅から徒歩五分に位置する某マンションの五階までエレベーターで一気に上がってきた幹也少年は、通路をきょろきょろ見回してからエレベーターの開きっぱなしの扉に向かって手招きする。
「大丈夫だよ。僕の姿は人には見えないから、おかしな風評は立ないと思うよ」
赤猫の背には最愛の姉が背負われていた。幹也にはその状況が不満でならないが、自分では姉を運べないので仕方がない。この男の姿は見えなくても背中の姉はどのように見えるのかと思う余裕は、幹也にはなかった。
とにかく、幼児がひとりで戸外にいて、木ノ下家は育児放棄などと噂されてはかなわない。姉のコートから取り出した鍵で、幹也はすばやく自宅マンションのドアを開く。先に赤猫を玄関へ入れ、姉にいつも言われている手洗いうがいを終えて居間に入ると、ぐったりとした姉がソファーに横たえられていた。
意識を失って倒れ、顔をアスファルトに打ち付ける寸前で男の腕に抱えられた為、怪我は一切なかった。まるで毒リンゴを食べた白雪姫のようにこんこんと眠り続ける姉の傍らに跪いた赤猫は、馴れ馴れしく血の気の失せた頬に触れる。
早く出て行けとばかりに幹也が睨み付けるのも意に介さず、
「お姉さんは僕のものだよ。君が背中でぶら下がっていた時からずっと……ね」
幹也は覚えていた。この男は以前、泣き喚く自分を不思議な力で黙らせたのだ。今思い出しても腹立たしい。
「君もそのうち、僕の姿が見えなくなる。そうしたらもう、お姉さんのことを守れなくなるね」
そう言って、姉の艶やかな髪を一房取って口付ける。
それだけでは飽き足らないとばかりに、顔を擦りつけるようにして喉をゴロゴロ鳴らし出した。飼い主は自分のものだと、匂いを付けて主張する飼い猫のように。
そんな仕草をしている赤猫は、本当に大きな猫みたいだと幹也は思った。色鮮やかな深緋色のスーツに、光の加減に寄っては縦長に見える虹彩。迂闊な姉をすっぽり包み込んでしまう、少し高めの体温――いや、マジで猫なんじゃないだろうか。
幹也は黙って台所に走って行き、戻ってきた小さな手には冷えたヤク○トが二本。
一本をぐいと赤猫に差し出すと、一通り擦りつけて気が済んだのか、憑き物の落ちたような顔で苦笑いしながら受け取った。
「とりあえず労いというわけか。頂くよ」
幹也は赤猫を睨みつつヤク○トの蓋を開け、どうすればこの大きな猫を姉の側から追い払えるだろうと考えながら、甘ったるい中身を一気に飲み干した。
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