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第Ⅰ章 明暗分かれる姉妹 ~The Doppelgangers~

#2 邪神の息吹

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 ――瘴気しょうき

 ウルヴァルゼ帝国に落日をもたらし暗黒の時代に陥れた、忌々しい毒素の名だ。

 この世界には『魔素マナ』という、魔力の素となる物質が全体に満ちている。

 血管を通じて血液が人体を循環しているように、魔素マナは『地脈』を通じて世界全体に行き渡り、全ての生物は魔素マナを摂取する事で魔力を生成している。
 魔法が使える程の魔力を持つ人間を『魔才持ち』と呼び、豊富な魔力を元に既存の種から進化を遂げた人間以外の生物種を『魔物』と称する。

 そして魔素マナと、魔素マナから生み出される魔力と魔法には属性があり、地水火風光闇ちすいかふうこうあんの六つに分類される。
 瘴気とはその六属性の一つ、闇属性の魔素マナが高濃度化したものだ。

 その瘴気がおよそ百年の周期で地脈から大量に噴出、広域に拡散すると何が起きるか。

 暗雲による日照率の減少、
 大雨や強風など異常気象の増加、
 大気や土壌、河川や海などの水質汚染、
 疫病の大流行、
 自然荒廃と、それに伴う凶作と飢饉、
 極度の飢餓による生物の狂暴化や突然変異、

 そして――特に深刻なのが不死魔物アンデッドの大量発生。

 厄災によって命を落とした者達の亡骸と霊魂が瘴気で汚染、アンデッドと化して生者を襲って死者に変え、その死者がまた不死者となって生者を襲う、という最悪の連鎖を防ぐべく、遺体は全て焼却、または脳髄に穴を空ける、首を切断する、聖水で浄めるなどの処置が法律で義務付けられている。

 しかもこれらはウルヴァルゼ帝国に限った話ではなく、この西大陸だけでなく東大陸、更には世界全体で、地域によって時期にズレはあるものの、百年眠っては百年起きるというサイクルを繰り返し、人間を含めたあらゆる生物を蝕んでいくのだ。

 ――『邪神の息吹』。

 恐怖と憎悪と込めて、人類はこの大いなる厄災をそう名付けた。

 この『邪神の息吹』が発生する度に、血の海と骨の原と屍の山が生まれ、政治と人心は乱れに乱れた。
 民衆の怒りや嘆きの矛先は、厄災に対処できない支配者層に向かい、戦争や騒乱、革命が幾度と無く繰り返され、歴史のターニングポイントとなってきた。

 月の引力に寄せられて満ち引きを繰り返す潮の如く、忘れた頃に襲い来ては、世界を搔き乱して消えていく――。

 そんな終わり無き暗黒の歴史に、栄耀教会とウルヴァルゼ帝国が光の一ページを書き加えたのは、今から三百年前の事だ。



 礼拝堂の地下にある、秘密の儀式場。

 宮廷の舞踏場の倍はあるその空間の中央部には、皇立劇場の舞台を想わせる大掛かりな魔導具――『大聖壇』がでんと鎮座していた。
 あの大聖壇こそ『儀式』の要であり、既に起動は完了、巨大な魔方陣がぼんやりと輝き、薄暗い儀式場を幻想的に照らしていた。

 場内に居る者は聖職者や聖騎士、聖魔術師など栄耀教会に所属する者が大半だが、世紀の『儀式』を拝むべく皇族や宰相、評議会議員など、ウルヴァルゼ帝国を代表する貴人達が立ち会いを希望、今も場内に入って来ている。

 例えば私が今居る場所から少し離れた所では、第三皇子ミルファスとその派閥がサファース枢機卿すうききょうと談笑しており、その様子を後ろから、第二皇子グランとその派閥の貴族が忌々しそうに観察していた。

 第三皇子派は最前列に置かれ、第二皇子派はその真後ろ。
 実に露骨な配置である。

『邪神の息吹』のお陰で、皇族や貴族の間でも様々な問題が起きており、私としてはこれから始まる『儀式』や、その後の活動に悪影響が出ない事を願うばかりだ。

「おやおや、そこに居るのは今月入団したばかりのラウル君じゃあないか」

 後ろから掛けられたのは、あからさまに見下した声音。
 振り返らずとも誰なのかすぐに分かり、途端に気が滅入った。

「……任務ご苦労様です、ザッキス殿」

 従兄のザッキス・エルハ・ズンダルク。

 現教皇ラモン・エルハ・ズンダルクの孫で、私と同じ聖騎士だ。
 ズンダルク家もまた、エーゲリッヒ家と同じく教団関係者を数多く輩出する『聖なる一族』だ。

「大聖堂内の警備担当者の一覧には名前が無かったし、外で張っている連中の中にも見当たらなかったから、更にその外側の警備か、警備自体から外されたものとばかり思っていたよ」
「任が与えられたのは今朝の事です」
「成程、僕も加えて下さいと御父上に駄々をこねたのか。団長閣下には同情するよ。未熟な息子の我儘に付き合わされて、さぞお困りだろうね」

 父の方から誘ってくれたなどと、この男に言うつもりは無い。

 共に『聖なる一族』で、しかも従兄弟という間柄もあって、不幸な事にザッキスとは顔を合わせる機会が多く、その度に嫌味や皮肉を浴びせられ、時には殴り合いの喧嘩に発展した事もあった。
 やがてネチネチと絡んでくる者は相手にしない事が最善だと学んだので、今では野良犬の威嚇だと思って受け流している。

「……特に御用が無いようでしたら、失礼させて頂きます」

 つまらない男のつまらない嫌味に付き合う事ほど、つまらない事は無い。

 従兄から離れ、父の元へ戻ると、

「ようこそお越し下さいました、皇后様」
「ご機嫌よう、ゼルレーク殿」

 今しがた訪れた一行を、父が出迎えている所だった。

 訪れたのはウルヴァルゼ帝国皇后、レヴィア・ニネ・ウルヴァルゼ。

 本来であればこの場に居る全員で整列して出迎えるべきなのだが、今回は秘密の『儀式』である為、皇族であろうとも仰々しい出迎えは不要、粛々と進行すべしというのが皇帝と栄耀教会の意向だ。

 父への挨拶を済ませたレヴィア皇后が、私を見つけてやって来る。

「ご機嫌よう、ラウルも」
「ようこそお越し下さいました、皇后様」

 この国で最高位の女性にうやうやしく敬礼する。

「何だか他人行儀ね。お婆様と呼んでくれてもいいじゃない」
「申し訳ありません。公務中ですので」
「まあ、生真面目だこと。ゼルレーク殿にそっくりね」
「お褒めにあずかり光栄です」

 我が母アイリーンは皇帝とレヴィア皇后の間に生まれた皇女、すなわち私は現皇帝の孫に当たる。
 聖なる一族エーゲリッヒ家と、誉れ高きウルヴァルゼ皇族――二つの高貴な血統を汲むこのラウルは、ウルヴァルゼ帝国に於ける最上位のサラブレッドであり、それを自信と誇りにして生きてきた。

「しかし皇后様、本日は何故こちらへ?」

 義理の母にゼルレーク聖騎士団長が訊ねる。
 と言うのも、レヴィア皇后は『儀式』に立ち会わない予定だったのだが、今朝になって彼女の方から急な申し出があったそうだ。

「どうしても伝説の『聖女』様にお会いしたくて、皇帝陛下と教皇猊下に無理を言って来てしまったわ。騒がせてしまってごめんなさいね」
「はぁ……」

 悪びれた様子も無く、マイペースな笑みを見せる祖母。
 普段は皇后らしく凛然と振る舞っているが、親しい者の前ではこうした一面を見せる事があり、亡き母を想い起こさせる祖母のその振る舞いが嫌いではなかった。

 特に嫌いな相手に絡まれて心がささくれ立った今は、それが心地良い癒しになった。

「大丈夫よ。『儀式』の間は良い子にしてるから」
「畏まりました。では皇后様、こちらへどうぞ」

 親しみと呆れが入り混じった苦笑いを浮かべて、丁重に皇后を案内する。
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