禍の姫君は金の海で運命に踊る

泡沫なかば

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終章

運命の果て

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 帳を上げた寝台に一人、リリアルーラが横たわっている。窓から差し込む陽は明るくも眩く、天蓋の内側の刺繍もはっきりと見て取れる。
 この模様が夜のバイフーラを表わしていると、サジャミールに教えてもらった。王宮の中庭で最も高く大きな樹を描いているそうだが、花が咲いているところは見られなかったから、小さなリリアルーラのつたない説明を元に自らイメージしたらしい。
 中庭で一番大きな樹ならばコブシの木だろうが、生い茂る葉の形も咲き乱れる花の色もまるで違う。しかしリリアルーラは、幼いサジャミールの目に映ったバイフーラがこうも天国のように豪奢に見えたことこそを感慨深く思う。
 十五年前に二人が出会っていたこともサジャミールが話してくれた。リリアルーラの存在が、サジャミールの支えであったことを、切々と説かれた。
 その頃リリアルーラは三歳だ。当然記憶はないし、思い出そうとしても戻ってこない。だが、共に過ごした五日間がどれほど幸福であったかは、この刺繍を見ればわかる。
 建国を祝し、誂えた物だと話していた。いつかリリアルーラが嫁いできた時、遠く離れた砂漠の地にあっても寂しくないように、と。そうして二人が眠る前に同じものを見られるように、と。リリアルーラは今、サジャミールの部屋にいる。要するに彼は、二人のそれぞれの部屋に据えられた天蓋を、同じ刺繍で飾っているのだ。
 サジャミールの愛の深さと重さを思い、リリアルーラは笑う。バイフーラの姫君は運命を選ぶと言うが、リリアルーラはあらかじめサジャミールに選ばれていた。
 突然ノックもなく扉が開いた。また、執務の途中でサジャミールが抜け出して来たのだろう。慌てて起き上がったリリアルーラは、つかつかと歩いてくる兄の姿に目を丸くした。
「お兄様、どうなさったの……?」
 いくらルーユアンが食わせ物と言っても――十八年信じてきた穏やかで優美な兄の姿は既に瓦解した――王の居室にノックもなく入り込んでくるとは思わない。
「うん、ちょっと、急いでバイフーラに戻らなくちゃならなくて。早馬が戻ったんだ」
「え!?」
 早馬をバイフーラに送ってから……六日? 確かにサジャミールは三日で届けるよう申しつけると言っていたが……、急いでルーユアンが戻らなくてはならない理由とは何だ?
「何があったんですか? もしかして、お父様やお母様の身に……」
「いや、お前が帰国する前に、やらなくちゃいけないことが色々あるって気づいてね。ああ、お前が心配するようなことは何ひとつないよ」
 見慣れた優美な笑みが、胸に湧いた疑問をねじ伏せた。まったくもってルーユアンは良い性格をしていると、リリアルーラは舌を巻く。
「伝令よりも早く走るとはどういうことですか、ルーユアン殿下」
 ため息交じりの声にリリアルーラは目を見張る。いつの間にか現れたサジャミールが苦々しく兄を見つめている。
「リリアルーラの兄であろうと、王の居室へは容易く通すわけにはいきません。兵士を困らせないでいただきたい」
「うん? でも後ろから足音が聞こえていたからね。すぐ追いつくと思って」
 リリアルーラはまた一つ新しい兄を知る。伝令を振り切るほどの速さで走ったらしいが、部屋に入ってきた時の彼は息一つ切らせていなかった。
「ねえ、リリー、本当にこんな国に嫁ぐのかい? とんでもない数の兵士がここまでの回廊を守ってたよ。こーんな危ない国なんて良くないよ」
「リリアルーラを守るのに万全を期して何が悪い!」
 轟いた獅子の咆哮に、リリアルーラは竦み上がり――碧の瞳を瞬かせる。
(違っていて何が悪い!)
 男の子の声が、急に頭をよぎったのだ。凜と張った響きを知っている気もするが……誰だろう? 子供の頃の記憶だろうか?
「僕に怒るより先に、あれほど強固な警備が必要ない国にすべきじゃないかなあ」
 だが、のんびりと嘯いたルーユアンと、それを聞いて一瞬で紺碧の瞳を見開いたサジャミールに、巡らせかけていた思考を捨てる。二人を止められるのはリリアルーラだけだ。
「ああ、こんなことしてる時間はないんだ。僕は行くよ、リリー、また。バイフーラで!」
 だが突然ルーユアンは言い捨て、リリアルーラの制止も聞かず部屋を出て行ってしまった。兄に向かって伸ばされたままの指先を、褐色の大きな手が掴む。 
「二人きりですね、リリアルーラ」
 吐息と共に吹き込まれた甘さに固まる。だが、まだ執務の時間だろうと言ったところで、彼が気にするはずがない。ああ、ひとつ、聞いておかねばならないことがあった。
「あの、お父様からの返事は、どのようなものでしたか?」
「それについてゆっくりと話しましょう。こちらへ」
 さっと抱き上げられ、唇を落とされ、リリアルーラはなすすべもなく陥落する。愛する運命に囚われる。十五年前に、彼女を捕らえた運命に。
 そう、リリアルーラは十五年前、既に彼女の運命に出会っていた。覚えていない以前に、気づけなかったのだ。三歳の王女には、恋も運命も早すぎた。
 小さな小さなリリアルーラは、素敵な白い帽子を被った男の子に一瞬で目を奪われた。深い深い青の瞳を持った男の子は、それまでの自分にとって最も格好いい「るーにいさま」よりも格好良く見えた。ちょっと乱暴だけど優しくて、そんなところも好きだった。大好き、と言う言葉を贈る前に彼はいなくなってしまったけれど。そうして、めまぐるしくも鮮烈に過ぎゆく幼子の日々に、たった五日の記憶は彼方へと失われてしまったけれど。
 だが、どんな美丈夫が相手だろうと彼女の心が動かなかったのは、既に運命の虜だったからに他ならない。
 寝台に横たえられたリリアルーラを、サジャミールが組み敷いた。愛という名の檻に、運命を閉じ込めるために。
 その翼がどれほど羽ばたこうと、獅子は小鳥を決して逃がさない。

 
 一年後、シャファーフォン王国国王サジャミールと、バイフーラ王国第四王女リリアルーラの結婚式が、シャファーフォン王国の建国式典と併せて催された。集まったシャファーフォンの民は、王妃のあまりの美しさに驚き、その美しさこそが禍を呼ぶと揶揄されたのだろうと、彼女の不名誉なる呼び名「禍の姫君」を逆に称えた。
 やがて、金の髪と翠の瞳を持つ子が生まれる頃、老若男女分け隔てなく民を慈しむ王妃は「慈しみと幸いの王妃」と呼ばれるようになった。
 王妃の献身的な愛情は王の冷酷で残忍な一面をも溶かし、シャファーフォン王国に平和をもたらしたと、何故かバイフーラ王国史に記されている。

(おしまい)
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