白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

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 18時。

 全ての収録が終わって控え室に戻った。廊下を歩いている間、色んな人からステージを褒められた。素直にヤル気が出たし、次も頑張らないといけないと思って、気が引き締まった。俺の隣には長谷部さんがいる。励ましてもらっているところだ。

「どんどんハードルが上がっていくよ」
「大丈夫よ。みんなが同じなのよ」
「はい……」
「自信のない子ね。その謙虚さが有難いけど。悠人君も同じだから助かっているの。ディアドロップのメンバーは、初期から仲が悪かったのよーー。一番ひどかったのは、佐伯さんがソロで売れた後よ。特にボーカルのEMIRIが反発したのよ。悠人君とはそうなってほしくないわよー?」
「大丈夫ですよ。悠人は歌も上手いけど。ジャンルも違うし」
「勅使河原さんも仰っていたでしょう?ジャンルの垣根を越えているって。クラシカルクロスオーバーっていうのよ」
「そのジャンルを聞いたことがないです」
「タイムセイ……がそうよ。声楽を生かしたオーケストラをバックにした楽曲よ。有名でしょう?全世界で2500万枚以上のセールス。日本でも人気が出たわ」
「黒崎さんが好きだから、家で歌っているんです」
「なるほどねえ。黒崎さんは高校3年生の夏に出たコンクールで有名になったそうよ。世界のシーンで活躍できるだろうって期待されていたのよ。美形だからますます。今の立場を考えると、何が正解なのか分からないわね」
「知らなかったです。でも……」
 
 これは言ってはいけないことかな?49歳でビジネスの世界から退いて、ピアノをやるという話だ。まだ13年も先の話だし、些細なことが影響するかもしれない。言わないでおこう。

 そこまで上手だったのか。知らなかった。本人は口にする人ではないし、お義父さんは妨害した側だ。ママとは交流がない時代で、拓海お兄さんは亡くなっている。沙耶さんは知っているはずだ。黒崎がどんな思いで断念したのか。

(話を聞いてみたいな。自分のことを話さないもん。寄り添うなら……)

 ステージに立ったのは同じだ。励ましというより、自分も緊張したぞと共感された。通じ合っているものがある。育った環境も考え方、価値観も違うのに。真逆と言ってもいいほどだ。

「黒崎さんに会いたいよ~」
「もうすぐで迎えにいらっしゃるでしょう?」
「そうだけど……。すみません!タメ口になりました」
「やっとタメ口になってもらえたわー。それこそ垣根が存在してた。警戒するように言われてるでしょ?家のことを思うと躊躇するわよね。ましてや結婚した相手の家だもの」
「長谷部さんもそうだったって聞いたよ」
「うちの実家が、黒崎さんの家と似ている面があるの。私ね、20歳の時にお笑い芸人の道へ入ったのよー」
「ええええ?」

 思わず声をあげた。たしかに面白い人だけれど。今の仕事は繋がりはあっても、想像できない。バリバリの人だし、管理能力もお墨付きと聞いている。事務職をしていたかと思っていた。

 テレビで観た女性芸人のファンになったのがきっかけだそうだ。その人のライブに出かけて、その輝き方が半端なくて養成所に申し込んで入校した。家出同然で飛び出して、養成所の寮生活を始めた。28歳で好きな人ができたが、転勤族だった。大して売れない状態だったから、スッパリ辞めた。離婚後にIKUで働き始めた。先輩がIKUで働いていたから、その人を頼って入社した。そして現在の長谷部さんがいるということだ。

「芸人の道を続けるのか、好きな人に付いていくのか。迷ったわー。今ほど交通事情が良くなかったし、家を空けることが多い仕事よ。そうじゃないといけないから。中途半端はやめた」

 だったら自分はどうだろう?黒崎は都内の本社から異動しないのは確定している。海外転勤もない。ミュージシャンを続けていくと、家を留守にすることが増えるだろう。デビュー前はぼんやりとしか理解していなかった。一年後の活動をどうするのと話し合う段階が訪れているのに。

「来年のこと、もう決めないといけないよね?」
「その通りよ。今の活動で知名度をあげて、その波に乗る。デビューする前のことを覚えている?あなたには、POPS か R&B で売り出したいと打診した。あなたはハードロックで歌えないならデビューしないと突っぱねた。利益だけを考えたわけじゃないの。クロスオーバージャンルの歌手だと判断したからよ」
「そうだったんだ。利益重視かと思ったんだ」
「夏樹君のことを離したくなかったわけよ。他のレコード会社に盗られるから。そこは利益重視よ。いい経験になるはずだし、人気ロックバンドで活動した方が、知名度が上がるはず。要は方針転換をしたの。悠人君もブルース寄りのクロスオーバーです!」
「そうなんだ!?」
「IRON ANGEL時代のバラードがそうだった。讃美歌のイメージで、パイプオルガンの音色でスタート……」
「そうだね。たしかに……」
「これは言い切ってしまう。悠人君はそのジャンルへ行くはず。何年か先には。佐伯さんも同じ意見よ。一年後の計画の話を年明けにしましょう」
「はい!」

 返事をしたところで、着信音が鳴った。黒崎の好きなタイムセイだ。どういう引き寄せだろう?未来のことが現れているようだ。さっきまで浮かんできた不安な気持ちが、スピーカーを通して聞こえてきた声にかき消された。俺にとっての特効薬だ。

「……もしもしー。黒崎さん、お疲れさまー」
「……駐車場に着いたぞ。デートをして帰ろう」
「あのさ。報告したいことがあるんだ!」
「……ベッドで抱きながらでも構わない?」
「ヒョーーーーッ」
「……うるさい」

 ニヤけた顔をしている自覚はある。さっさと帰り支度をして、悠人たちを誘って地下駐車場へと向かった。
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