白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

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18-1 空っぽだった心

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 5月11日、土曜日。午前1時。

 まだ真夜中だ。寝苦しくて目が覚めた。パジャマには汗が滲んでいる。先週から続いていることだ。黒崎の身体が熱いのは関係ないだろう。神経が高ぶっている影響だと思う。この間、悠人と早瀬さんが駆け込んで来た日のことだ。一貴さんを叱るつもりだったのに、言い過ぎて傷つけた事への後悔のためだ。

 黒崎は書斎に籠らずに、最初から一緒に寝てくれている。黒崎にしては早すぎるぐらいだ。俺の心の変化に寄り添われている。感謝するしかない。

 一貴さんの件から、約10日が経った。一貴さんはカウンセリングを受け、休養したことで元気になってきた。足が良くなり、オフィスへの出勤が増えた。お義父さんの家に居づらいのではないと言っていた。

(僕は今まで、あれほど真剣に叱ってくれた人がいなかった。プラセルの社長には逆らえないからだ。悠人君が血を流していたのに、嬉しいと思ったのは、おかしいだろう。分かっている。やっと個人として見てもらえた。夏樹君。君から叱ってもらえて良かった……)

 一貴さんは傷ついている人だった。そういう人に、俺はひどい仕打ちをした。俺には居場所があり、受け入れて貰える存在があってこその、強さを持っている。許されるからこその、傲慢な言動をした。悪いことをして相手を傷つけたとしても、もっと寄り添うべきだった。 

 一貴さんとは朝ごはんを一緒に食べている。普段と変わらない毎日を送っているが、本当にそうだろうか?

「汗をかいているぞ。着替えさせる」
「黒崎さん……。自分でするから」
「座っておけ」

 そばの椅子には着替えを置いてある。汗を拭いてもらった後、着替えをした。すっと身体が軽くなったのは一瞬で、背中や関節が痛み始めた。きっと一貴さんの痛みだ。理解しなかったから、身体が反応して教えてくれている。だから受け入れる。

「いた……」
「今日、病院へ連れて行く。続きすぎだ。おいで」

 抱き寄せられて横になった。黒崎が口にした言葉の意味を知った。”心の方を守れなかった”と。あの時の俺は、どんな目をしていたのかな?教えてくれないから、昔に戻っていたかもしれない。誰のことも嫌いで、信じていなかった頃に。一貴さんと同じか?いや、彼の方がずっと、温かみがある。

「黒崎さん……。何も変わっていないよ。俺、傲慢だよ」
「そんなことはない。ショックが大きすぎた。元の関係に戻そうとするな。無理をしているからだぞ。親父が引退するのも、お前のせいじゃない」
「一貴さんを……。俺が殺したようなものだよ。俺がこの家をダメにしたんだ」
「悲しませるつもりは無かっただろう。まだ21歳だ。理解出来ないことがあって当然だ。自分を責めるな」

 低い声が心地いい。しかし、背中の痛みは消えない。朝になれば消え失せて、笑顔で朝ごはんを食べ始める。嘘の光景だと思う。自分の発言への後悔も身体の痛みで表われたのだと思う。

 コンサートの練習には支障が出ていないし、悠人も普段通りだ。一貴さんがコンサートの会場に出向き、差し入れをしてくれている。プラセルがスポンサー企業に加わり、代表取締役として面倒を見てくれた。悠人は普通に一貴さんと話している。伝えるべきことは終わったと言っている。しかし、唇の傷は治っていない。10日も経つのに。

「冷静になって話を聞けるか?今だけでいい」
「うん」
「この家を出ないか?もちろん俺も一緒だ。都内に家を借りる。なるべく庭がある物件を探す。それまで、裕理たちと同じマンションへ引っ越そう。空き部屋がある」
「いやだよ!ここから出ない!」
「お前の方が大事だ」
「下に降りてくる。お茶を飲んでくる。一人がいい」
「だめだ。一緒に行く」

 キッチンへ降りた後、温かいお茶を飲んだ。すると、黒崎がスマホを差し出してきた。ラインのメッセージがあり、“中山秋桜”とあった。母のことだ。何かあったのか?奪い取るようにして見ると、心配していたことではなかった。

「『何時でもいいから、電話をしてくるように伝えてください』……」
「今からかけろ。甘えておけ。マザコンだろうが、21歳だろうが関係ない。お母さんも寝られない。一発で解決かもしれないぞ?俺よりもいい」
「黒崎さん。そんなことないよ……、あ……。電話をかけるなよ……」

 止める間もなく、黒崎が連絡先をタップした。すぐにつながり、スピーカー越しに母の声が聞こえてきた。ぽたぽたと涙が零れ落ちて、黒崎の後で電話をかわった。

「お母さん。あのね……」
「謝りなさい。ごめんなさい。言い過ぎたって」
「それだけ?」
「お兄ちゃんだもの。許してくれるわよ」
「うん。今日の朝に謝るよ。おやすみ」
「はいはい。おやすみなさい」

 最後はあくびの声が聞こえてきた。これで眠れると言っていた。すっと、背中の痛みが消えた。
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