青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖

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 さて、これからどうしようか。俺は二葉の名前が載った住民票を手にして、天井を見上げた。ここには屋根というものがあり、雨風をしのげて、安全だ。人間はそれだけの環境があれば生きていけるのだろうか。テレビもなく、新聞もない。インターネットもない。そんな時代に生きていたら、自分はどんな男だっただろうか。そんなことが頭の中に浮かんだ。

「なあ、夏樹。二葉。俺は黒崎製菓を49歳で引退することにしているが、ピアノはどこでだって弾けるという気がしてきた。晴海兄さんのように、華道家に師事して花の道を進んでいくのは根性がいると分かった。俺には無いような気がしている。師匠に弟子入りすれば、ピアノが嫌になるかも知れない」
「黒崎さん。それって、練習するのが嫌で、ピアノが好きだっていう気持ちまで無くしそうだっていうこと?」
「ああ、その通りだ。振り返れば、親父は酷い父親だ。俺の音大の推薦入学を勝手に辞退させたんだぞ。待っていたのは、黒崎製菓の仕事だった。ピアノは趣味にしろ、どうせ弾く時間なんか無くなると言っていた。そんな親父なのに、俺は好きだという気持ちがある。二葉、そんな親父が父親でいいのか?」
「お兄ちゃん。今更だよ。もう黒崎二葉になったんだよーー。倉口には戻れないんだ……。それに、お父さんは牛熊っていう姓になるんだろうし……。あの家だって、売るかも知れないんだし……。もう、二度と戻れないんだ。俺の気持ちを分かってよーー。怖いことを言うなよーー」
「そうだよ~。黒崎さん。二葉が逃げるじゃん。こんな家、出て行く!って……」
「出て行くのは、誰かと住むことになったときだけにしてくれ」
「お兄ちゃん……」
「俺はお前にはバーテルス家が良いと思っている。でも、志乃さんが独身を貫くと言った気持ちが続いていくのなら、一緒に住むのは良いだろうと思った。ずっと続く友情だ……」
「うん……」
「あ、とうとう降り出したみたいだよ」

 夏樹が来庁者が持っている雨に濡れた傘を見て言った。すると、二葉が少し笑った。俺は住民票を二葉に返して、どうしたのかと聞いた。

「俺って、本当にお母さんの子供なんだなあって思うんだ。雨女の息子。でも、お兄ちゃんは晴れ男だもんね。俺、お母さんに似ているってことかな……」
「ちっとも似ていない。そう言ってもらいたいんだろう?」
「ううん。お兄ちゃんがお母さんのことを褒めていただろ。運が強い人だって。だから、ほんの少しだけ好きになったよ」
「そうか……。無理をせずに、嫌っているままで良いんだぞ。俺はそうはいかない。嫌いだけじゃ話は進まないからな。弟とか妹というのはいいものだ。俺は末っ子だった。両方の気持ちが分かって得をしている」
「お兄ちゃんみたいに、ポジティブになりたいよ。夏樹もそうだね。すっごいポジティブ。俺、ネガティブだからさーー」
「二葉、もう雨が止んだってさ。今、入って来た人が、そう言っているよ」
「そっか……」

 俺達が外に出ると、雨雲が薄くなり、少しだけ晴れ間があった。今のうちに車に乗ろうと言い、駐車場に向かった。

 すると、晴海兄さんからラインが入った。今、父の家に来ているという。花の交換のためだと書いてあった。わざわざ書かなくても分かっていると言い返しそうになったが、やめておいた。俺達のことが心配で来たのだろう。

 もうすぐで、朝陽と二葉が育った家が無くなるかも知れない。その選択をすることになるのかも知れない。もうすぐで、倉口は、牛熊という姓になるだろう。朝陽は既に烏丸という姓になっており、倉口という4人家族だった家は跡形も無くなる。家族には今、それぞれに家があり、違う人生を歩み始めた。

(ママ、僕は間違えないだろうか……。ちゃんとした選択ができるだろうか……)

 まるで俺は子供の頃に戻ったかのように、空に向かって母に語りかけた。いつでも連絡はできるというのに。そして、父に電話を掛けた。手続きは完了したことと、今から帰ることをだ。それは普段通りの父の声であり、昔のように怖くは無くて、大人の自分に戻った気がした。そして、夏樹と二葉を車に乗せて、黒崎家へと帰っていった。
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