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朝陽がテーブルの前に移動して、グラスを手に取った。そして、アイスティーも飲みたかったんだと言った。マリーズカフェにも商品としてあるのだが、あの店ではコーヒーを飲まないといけない空気感を感じるそうだ。俺はそれを聞いて、なんだよそれと言って笑った。自由に好きなものを頼めばいいと思ったからだ。
「六槍君ね、カフェの店員さんに写真を撮られていたんだよ。宣伝用だよね?」
「ああ、たぶんそうだよ。常連だからって頼まれて。SNSに載せるんだとか」
「やっぱり。だって、他の人より長く写ってたもん。かっこよかったよ」
「照明が良かったんだよ」
「ちがうって。六槍君の雰囲気がよかったんだよ」
朝陽のその一言に、六槍さんの表情がふっとやわらいだ。そして、照れたように目を伏せながら微笑んで、アイスティーを口にした。
「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
彼の笑顔は、何の計算も感じさせなかった。その笑顔を見ていると、こちらの心まで穏やかになる。この空気が、きっと朝陽を安心させるのだろう。ユーリーが、そんな二人を眺めながら言った。
「いい雰囲気だな。若いっていいね。僕の歳になると、こういう空気が懐かしいんだよ」
「ユーリーも若いよ~」
俺が笑いながら言うと、ユーリーは大げさに肩をすくめてみせた。見た目だけだと言いながら。
「本当に見た目だけだ。心はだいぶ古くなっている」
「そんなことないって。いつも明るいし」
「そう言ってくれるのは、若い人の優しさだね」
「うひゃひゃひゃ」
俺たちの間に笑いが広がり、アンがうれしそうに尻尾で床を叩いた。窓の外では、ゆっくりと光が傾き始めている。金色に染まった庭の土が少しずつ影に覆われていく。すると、庭に風が吹き抜けたようで、木の葉を優しく揺らした。六槍さんがその風を見て、静かに言った。
「この風の感じ、好きだな。夏が終わっていく感じがする」
「うん。秋が来るんだね」
俺の声に少しだけ寂しさが混じった。季節の変わり目の空気は、どこか感傷的だ。しかし、そんな時間も悪くないと思った。すると、黒崎からラインが入った。予定通りの定時で帰るという連絡だった。
「黒崎さん、定時で帰るってラインが入ったよ」
「それなら一緒に食べられるね」
「そうだね。ちょうどいいタイミングだ」
朝陽とユーリーが言った。すると、六槍さんの目に少しだけ影ができた。そこで、俺が見つめると、微笑み返しを受けた。さっきのまなざしは気のせいだったのか。
外の空はすでに茜色に染まりはじめていた。陽が沈む少し前の光の中で、みんなの顔が柔らかく照らされている。六槍さんの笑顔も、朝陽の横顔も、どこか温度を帯びて見えた。
「朝陽、二葉は何て言ってた?」
「やっぱりそうだったのかって言っていたよ。お互いにさ、お母さんのことでは考えることがあるよねって言って、ちょうど向こうが次の授業が始まる頃だったから、電話を切ったんだ。二葉兄ちゃん、泣くかと思ったんだけど、泣いていなかったよ。情けないお母さんだって言っていたけどさ」
「そっか」
俺はうなずきながら、グラスの中の氷を見つめた。ゆっくり溶けていくその透明な塊が、まるで心の中に残る痛みを少しずつ薄めてくれるようだった。そして、朝陽が続けた。
「二葉兄ちゃんはさ、“お母さんのしたことは許せないけど、あの人も壊れてたんだと思う”って言っていたよ。俺もそう思う。たぶん、ずっと誰かを信じることが怖かったんだと思う」
言葉の一つひとつが静かで、真っ直ぐだった。その横で六槍さんは、ゆっくりと視線を落とし、グラスの水面を見つめていた。彼の表情は穏やかだが、その奥に朝陽を想う複雑な色が宿っている。何か言いたいことがあるのだろう。しかし、この場では言わないことに決めたようだ。そこで、ユーリーがぽつりと言った。
「人はさ、壊れる前に何かを求めるんだよ。求めて、間違って、でもそれでも、生きようとする。たぶん君のお母さんもそうだったんだ」
そこで、朝陽は少しだけ考えるように目を細め、それから頷いた。
「……そうかもしれない。俺、もう誰を責める気にもなれないんだ。なんか、みんな疲れてたんだなって思う」
その言葉に、誰もすぐには返さなかった。部屋の中に、エアコンの音と氷の溶ける音が重なって、静かな時間が流れた。そこで、アンが尻尾を振って、朝陽の足元に来た。遊ぼうと言っているかのようだった。そして、アンドリューがその横をすり抜けていき、悲しい気持ちを取り払ってくれているかのようだった。
「六槍君ね、カフェの店員さんに写真を撮られていたんだよ。宣伝用だよね?」
「ああ、たぶんそうだよ。常連だからって頼まれて。SNSに載せるんだとか」
「やっぱり。だって、他の人より長く写ってたもん。かっこよかったよ」
「照明が良かったんだよ」
「ちがうって。六槍君の雰囲気がよかったんだよ」
朝陽のその一言に、六槍さんの表情がふっとやわらいだ。そして、照れたように目を伏せながら微笑んで、アイスティーを口にした。
「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
彼の笑顔は、何の計算も感じさせなかった。その笑顔を見ていると、こちらの心まで穏やかになる。この空気が、きっと朝陽を安心させるのだろう。ユーリーが、そんな二人を眺めながら言った。
「いい雰囲気だな。若いっていいね。僕の歳になると、こういう空気が懐かしいんだよ」
「ユーリーも若いよ~」
俺が笑いながら言うと、ユーリーは大げさに肩をすくめてみせた。見た目だけだと言いながら。
「本当に見た目だけだ。心はだいぶ古くなっている」
「そんなことないって。いつも明るいし」
「そう言ってくれるのは、若い人の優しさだね」
「うひゃひゃひゃ」
俺たちの間に笑いが広がり、アンがうれしそうに尻尾で床を叩いた。窓の外では、ゆっくりと光が傾き始めている。金色に染まった庭の土が少しずつ影に覆われていく。すると、庭に風が吹き抜けたようで、木の葉を優しく揺らした。六槍さんがその風を見て、静かに言った。
「この風の感じ、好きだな。夏が終わっていく感じがする」
「うん。秋が来るんだね」
俺の声に少しだけ寂しさが混じった。季節の変わり目の空気は、どこか感傷的だ。しかし、そんな時間も悪くないと思った。すると、黒崎からラインが入った。予定通りの定時で帰るという連絡だった。
「黒崎さん、定時で帰るってラインが入ったよ」
「それなら一緒に食べられるね」
「そうだね。ちょうどいいタイミングだ」
朝陽とユーリーが言った。すると、六槍さんの目に少しだけ影ができた。そこで、俺が見つめると、微笑み返しを受けた。さっきのまなざしは気のせいだったのか。
外の空はすでに茜色に染まりはじめていた。陽が沈む少し前の光の中で、みんなの顔が柔らかく照らされている。六槍さんの笑顔も、朝陽の横顔も、どこか温度を帯びて見えた。
「朝陽、二葉は何て言ってた?」
「やっぱりそうだったのかって言っていたよ。お互いにさ、お母さんのことでは考えることがあるよねって言って、ちょうど向こうが次の授業が始まる頃だったから、電話を切ったんだ。二葉兄ちゃん、泣くかと思ったんだけど、泣いていなかったよ。情けないお母さんだって言っていたけどさ」
「そっか」
俺はうなずきながら、グラスの中の氷を見つめた。ゆっくり溶けていくその透明な塊が、まるで心の中に残る痛みを少しずつ薄めてくれるようだった。そして、朝陽が続けた。
「二葉兄ちゃんはさ、“お母さんのしたことは許せないけど、あの人も壊れてたんだと思う”って言っていたよ。俺もそう思う。たぶん、ずっと誰かを信じることが怖かったんだと思う」
言葉の一つひとつが静かで、真っ直ぐだった。その横で六槍さんは、ゆっくりと視線を落とし、グラスの水面を見つめていた。彼の表情は穏やかだが、その奥に朝陽を想う複雑な色が宿っている。何か言いたいことがあるのだろう。しかし、この場では言わないことに決めたようだ。そこで、ユーリーがぽつりと言った。
「人はさ、壊れる前に何かを求めるんだよ。求めて、間違って、でもそれでも、生きようとする。たぶん君のお母さんもそうだったんだ」
そこで、朝陽は少しだけ考えるように目を細め、それから頷いた。
「……そうかもしれない。俺、もう誰を責める気にもなれないんだ。なんか、みんな疲れてたんだなって思う」
その言葉に、誰もすぐには返さなかった。部屋の中に、エアコンの音と氷の溶ける音が重なって、静かな時間が流れた。そこで、アンが尻尾を振って、朝陽の足元に来た。遊ぼうと言っているかのようだった。そして、アンドリューがその横をすり抜けていき、悲しい気持ちを取り払ってくれているかのようだった。
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