聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 2月10日、火曜日。19時。

 晩御飯の時間を迎えた。ホテル内の鉄板焼き店に来た。このホテルに滞在して2日目だ。旅行で泊まっても、2泊以上は経験がない。いつ帰れるのか分からないが、暢気なことに旅行気分のままだ。

 朝ごはんを作らないのは、久しぶりのことだった。レストランで和定食を選んだのは、みそ汁が飲みたいからだ。お互いに調子が整わないと笑っている。しかし、今日の晩ご飯も美味しそうだ。どんどん腹に入る。野菜も大盛りだ。

 カレンダーアプリを見ると、72候の欄には黄鴬見睨・うぐいすなくと書かれている。昨日と同じだ。

「ウグイスは春告鳥・はるつげどりとも呼ばれています。……メニューの絵が春っぽいね」
「ああ。梅の絵が綺麗だ。ちゃんとキャベツを食べているじゃないか。どういう風の吹きまわしだ?」
「身体が資本だもん。血流をよくするんだ。内川さんが楽譜を持って来てくれたから、今晩から始められるよ」

 マンションから持ってきてもらった楽譜を使って、楽曲のアレンジを考えることにした。今できることをやる。俺たちは荷物を取りに戻らない方がいい。加藤さん達が部屋の中を調べてくれている。

(色んなことがあるんだろうな……)

 俺のことを嗅ぎ回っても仕方がないだろう。麻薬とは関係がなく、母も取り調べが終了した。後は元の生活に戻るだけなのに。活動を邪魔したい人がいるのだろう。

「ヴィジブルレイのことが邪魔な人がいるんじゃないの?まだ駆け出しなのに」
「もっと人気が出る。自信のない子だね。……そうか。違和感があるのか。冷静に見ているじゃないか」
「お母さんからの教えだよ。悩んでいる時、一番邪魔なのは”感情”だってさ。本人が感情の起伏がないもん。それを言ったら笑っていたけど」
「ははは。俺の母親とは正反対のタイプだ。お母さんの言っていることが、君に引き継がれているじゃないか」
「慌ててばかりだよー?」
「ステージでは冷静そのものだ。なかなか身に着くことじゃない。良いことを教わったじゃないか」
「へへへ。母の日にカーネーションを渡すよーー」

 ああ恥ずかしい。小学一年生以来、一度も渡したことがない。初給料で用意したプレゼントを渡した時には、母が後ろを向いて涙ぐんでいた。表立って泣けない癖がついている。

「……ゆうとー。ここで話しておく。いいかな?……遠藤さん宅へ泊まった時、記者達が来ただろう?EMIRIの元スタッフが関係していた。ただの嫌がらせ目的だ。他の人にもやったことがある。大した話じゃない」
「しかたないよ。競争の世界だもん。少しでも、精神的にダメージを与えたいんだろー?コンテストでも経験したよ。楽しくできればいいのに……」

 どうしよう?気持ちが沈み込んできた。楽しい空気を作ってもらえたのに。遠足気分で出て来られて、今度は新しい家を用意された。俺が楽しく過ごせるようにと。

 テーブルに涙がこぼれ落ちた。みっともないことに、どんどん水たまりが広がっていく。ここで泣いてどうする?何も変わらない。感情が一番邪魔だと教わったのに。すると、早瀬がそばに座り、強引に抱き寄せられた。

「早すぎたかな。まだ話すことがある。聞くか?」
「全部話してよ。すっきりしたいから」
「しがみついておけ。怖い話をする」
「うん……」

 ここは個室だ。心置きなく抱きついた。怖い話だと前置きをされたのに、優しい声が聞こえてきた。
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