聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 悠人の方を向くと、ただ事ではないと理解した顔をしていた。同じ目線の高さに合わせると、モデル起用をやめないからねと言い切られた。思わず聞き返した。

「プラセルの仕事をやめないからね。何があったかは分からないけど。会社と個人は別物だから。お母さんの手助けがしたい。譲らない!」
「悠人。それには頷けない」

 島川からの申し出を話した。相づちを打つのを確認しながら説明した。地位を得る手伝いをする代わりに、黒崎製菓グループを裏切れという件のみだ。俺への恋愛感情と、黒崎社長の大事なものを奪い取る話は避けておいた。

 島川の妄想に過ぎない可能性がある。感情的になり、口走ったのかもしれない。後で後悔するパターンだ。自分にも覚えのあることだ。

「黒崎製菓に残る。裏切った形では、先に進めないと返事をした。ああいう雰囲気になったのは、俺が至らないせいだ。感情的になった。お互いに」
「時間をおいて話したらいい。ただの喧嘩なら。ヘッドハンティングを受けるのは珍しくないだろ?今回だけはやり遂げたい。お母さんは何も言わないけど、助かると思っているよ。社員も。俺が断っても計画は進むだろうけど、後味が悪いよ」
「島川を信用できない。裏切れと口にしたからだ」
「まだ信じたい」
「悠人!」
「あの人はそそっかしい。後で失敗に気づいて、後で落ち込むんだ。この間から思ってたんだけど。島川さんって、考えずに物を言っているよ。チャンスを残してあげて。もう一回話してよ。俺も一緒にいるからさ……」
「君には関わらせない」
「可哀想だよ。怪我をして黒崎家に行くまで、誰もそばに居なかった人だよ。誤解される言い方しか出来ないのかもしれない。黒崎さんがそういう人だったって、夏樹が教えてくれたんだ。裕理さんも知っているだろ?」

 この子の優しさに付け込まれてしまった。島川が子供のような目をして見つめていた。たったそれだけのことで。悠人のことを輝かせたいという、欲から招いた失敗なのか?巻き込んでしまうのか。

 IKUやバンド、夏樹たちも関わっていることだ。お母さんを助けたい。何でも相談するから。断らないで。そう言いながら、両目に涙をためて見つめられた。

 もしも断らせた場合はどうなるか?悠人が母親から失望されるだろう。そういう人だと、悠人はまだ知らない。

 彼のせいではない。荷物を背負ったままで歩かせることになる。それならば、俺が雑草を刈り取ればいい。この子のためなら何でもやりたい。

 この子は純粋無垢だ。駆け引きなしの愛情の持ち主だ。偽りの姿だろうが信じている。この子を守る。君の優しさに助けられたからだ。

 偽りの姿から本物の姿へ。薄い膜を取り去り、顔も知らない父親からの贈り物を開封した。偽りの優しさから、本当の優しさを知った。これは君からの贈り物だ。偽りだらけの現実から守ってみせる。

 島川も同じだろうか?ブリキの心に命を吹き込まれた、あの人のように。新しい命を吹き込まれるだろうか?

 それを島川が受け入れるだろうか?悠人に対して求めている予感がしている。しかし、その役目を担わせない。どんな荷物も背負わさないと決めた。

「分かった。島川と話す。その前に圭一さんに」
「話したら揉めないかな?夏樹のことが大事だから。危険な人だって思うと……」
「どっちが大事なんだ?」
「うん……」

 意地の悪い質問をした。”俺のことは?”と付け加えると、どうなるのか。こうやりなさいと語りかけると、主体性を失わせる。ヒントを与えた上で考えさせて、自分で動く流れを作る。自分で考えさせるようにしたい。返事を待つ間、悠人は目を閉じて考えた。

「俺以外の全員が大事だよ。誰かを傷つけようとするなら容赦しない。暴力はいけないけど、心を込めて否定するよ。あんたは間違いだって」
「分かった。圭一さんには話すぞ。今までにも、ヘッドハンティングを受けたことがある。断ったことも知っている。いいね?」
「うん」

 悠人が頷いた。この件だけでないことに、気づいている。知らないふりをしているのか。ここで頭を切り替えよう。

「パンが冷めたね。焼き立てなのに。サンドイッチを作ろうか?そのパンを使って」
「うん。一緒に作ろうよ!」

 袋の中から甘い匂いがした。ミルクロールパンだ。美味しいものを食べて気を取り直そう。緊張がゆるんだ悠人の右手を握って、日常の世界に戻った。これは現実だ。笑顔を返して歩き出した。
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