聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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15-1 疑念と信頼する心(早瀬視点)

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 4月10日、水曜日。14時。

 黒崎製菓では新入社員を迎え、いっそうの活気に包まれている。今日から新人研修が始まり、午前中の講師を担当してきた。時間に余裕ができたところで、役員室の方を見た。黒崎は不在だ。副社長室へ出向いている。

(人事の件だな。受けるしかないだろう……)

 再来年には、黒崎社長が引退する。深川副社長が代表取締役社長へ就き、黒崎が副社長のポストへ打診されている。本人は器ではないと断っているが。

 俺にも打診があった。専務取締役のポストだ。社長の補佐を務め、全般的な業務を管理する。君に合った役職だと言い切られた。このグループの、経営戦略部の部長にも就いているのに。

(スーパーへ行きたい。悠人と手を繋いで……)

 予定表を見ると、スケジュールで埋まっている。早く帰りたいがために、特急で仕事を済ませた結果、さらに仕事を増やされた。いい評価が嬉しくもあり、俺の行動の矛盾ともいう。その結果として、求めているものに近づけた。

 この先、社会的な地位と人脈が必要だ。あの子のために頑張る。守る力を多方面で増やしたい。本音としては、バリバリ働いて出世するよりも、ゆるく働いて自分の時間を大切にしたい。この考え方を黒崎に話すと、こう表現された。

(クラゲ系というのか。お前のことを。……そういうのを、どこで覚えたんだ?)

 気合を入れず、クラゲのように漂っていて、自分を向上させようと思わない脱力系。そう説明された時、完全否定が出来なかった。悠人と出会う前は、ガツガツしていたそうだ。普通は反対になるはずだと、ツッコミを受けた。

(仕事優先にしてフラれ続けた。悠人には逃げられたくない……)

 島川から聞かされた、実母のことが頭によぎった。優れていない娘だと、早瀬家の中でレッテル貼りされていたそうだが、ふたを開けると、誰よりも優秀だったようだ。祖父からの言葉が腑に落ちた。

(やればできる。出来ないはずがない。お母さんの息子だからか。実母のことを話していたのか。手のひら返しじゃないか……)

 実母のことは早瀬家から勘当したはずだ。しかし、黒崎社長からの応援を受けた。黒崎製菓グループへ引き抜こうとまでしていたそうだ。

 それはたった今、親父から聞いた話だ。そして、さらに島川から俺を千尋製菓の副社長になるように、ラブコールを受け、”お父さんからも、勧めてもらえませんか?” と、そう電話が入ったそうだ。しつこすぎる。

 いつから島川と親しくなったのかと聞かれ、どうせ知っているだろうと洗いざらい話した。黒崎社長への恨みは伏せておいた。どこの家でもあることだ。親を恨んでいることなど。ただし、悠人や夏樹への心配がある。黒崎には話しておく。

 今日の予定の中には、ミユー企画とプラセルとの打ち合わせがある。悠人の母である、森井美夕氏が出席する。やっと直接会える。

 島川とは、一昨日連絡を取った。重ねて引き抜きには応じないことと、あくまでも仕事上の付き合いのみだと念押しした。その返事はYESだった。当てにはならないが。

「早瀬代理。黒崎常務がロビーでお待ちです」
「ああ、すまない」

 林田からの声掛けに席を立った。ロビーへ向かう間に、20代の部下のグループとすれ違った。話題は桜木聡太郎のことだ。さっそく妬みをかっている。

 インターン生として、この部署で一年半勤務していた。新人とはいえない力を発揮している。幹部候補として育てることが決定した。20代で決定することは、限られたものしか知らない。

(枝川もそうだった。平田のことは聞いていない……)

 莉奈のことを思えば、出世してもらいたい。自分のことが棚にあげている。ここにも矛盾がある。部長代理、専務取締役、経営戦略部長。まだ先があるのか。疲労やプレッシャーを感じない。後でいきなり襲われるパターンか?いや、今までに一度もなかった。

 悠人との時間がなくなる。黒崎以外が耳にすれば、反感を買いそうだ。島川こそ、こういう考えに腹が立つのだろう。難なくクリアしているのだと言って。

(悠人との時間を失くさせる目的か?俺のことを調べているはずだ。悠人のこともだ……)

 島川は数学の大会の件を知っていた。学校へ問い合わせたのか?そもそも、島川の発想は一般的ではない。悠人のことを調べた可能性は十分にある。黒崎社長から大事なものを奪い取る。それだけが目的ならば。
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